わたしたちは、どこから来て、どこへ行くのか? 『聖書はすべて、神の霊感による』(Ⅱテモテ3章16節)ものであり、 『ちり(肉体)はもとあった地(土)に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。』(伝道者12章7節) 『人は、肉体的には両親から生まれます。しかし、人は、霊的には御霊から生まれるのです。』 (ヨハネ3章6節) と書いてある。 わたしたちは、聖霊を受けることにより、『聖書』を正しく理解し、真理を知り、罪の奴隷から解放され、真の自由を得よう。
2012年8月9日木曜日
『 クリスチャンの正しい回心のための聖書義解5 』
5.『聖書』 における「権威」の意味
(1) 世俗社会の「権威」と、『聖書』 の「権威」との “ 不一致の時代 ”
A.権威について
(A) 権威・ 支配力・ 権力 の相互関係
現代の世俗社会における「権威」とは、「人々に服従の義務を要求する精神的・道徳的・社会的・法的な威力を持つ支配力のこと」であり、「支配力」とは、「統治する権力のこと」であり、「権力」とは、「支配者が被支配者に加える強制力のこと」である。 そして、天上の神の御国における「権威」は、神の愛と義から生じている。しかし、地上の世俗社会における「権威」とは、以上のごとく悲惨で酷薄な意味しかない。
(B) 主イエス・キリストの御名の権威
主イエス・キリストの御名の権威が、現代の世俗社会の中で、どれほど通用するのかを考えてみよう。例えば、権威を通貨に例えるなら、米国ドル・日本円・EU(欧州連合)ユーロは、世界各国で換金でき通用するが、中国人民元・韓国ウォンなどは通用しない。 このように、現代の世俗社会の中における主イエス・キリストの御名の通用性、即ち、認知度と効用度という観点から、キリスト教文化圏である欧米・東欧・中南米・中東・アジア諸国・日本固有文化圏である日本国の現状を冷静に観察した場合、『旧教カトリック教会と新教プロテスタント教会の影響下にある人々を除き、主イエス・キリストの御名に権威はない』と言える。 そして、主イエス・キリストの御名の権威を貶(おとし)めた歴史的な原因は、何と言っても、旧教カトリック教会の雄であるローマ・カトリック教会が歩んできた歴史にある。
(C) ローマ・カトリック教会の非聖書的な教理と典礼
ローマ・カトリック教会は、①人の罪を司祭が赦す告解制度を司祭と平信徒の双方が間違って悪用すること、②『聖書』と対等の権威を持つ「聖伝」(聖人の伝承)を間違って高く評価すること、③『旧約聖書』の「外典」をローマ・カトリック教会の『旧約聖書』の「正典」としたこと、④幼児洗礼をもって洗礼の完了とすること、⑤ローマ教皇を「神の御子の代理人」と呼び個人崇拝すること、⑥聖母マリアを主イエス以上に神格化すること、⑦安息日礼拝を廃して日曜礼拝を実施していること、⑧モーセの十戒を改竄したこと・・・など、非聖書的な教理と典礼に基づく邪悪な行動をとってきた。 つまり、キリスト・聖霊に導かれた正統な教会の行動ではなく、悪魔・悪霊に憑かれた異端の教会の行動をとってきた。 例えば、ローマ・カトリック教会が主導した「十字軍」(1096~1291)は、北アフリカ・中東・小アジアに勢力を広げていたイスラム教文化圏の諸国・諸民族に対する侵略・略奪・虐殺・強姦・奴隷貿易・破壊行為を繰り返した。また、エルサレム・フランス・ドイツなどにいたユダヤ人を虐殺し、欧州諸国の敬虔な善男善女を異端審問で大量虐殺し、その全財産を没収してきた。 これらの邪悪な所業の数々のため、今現在に至るも、イスラム教文化圏の人々には、「クリスチャン=悪魔の凶悪犯罪者」という心象しかない。 だから、ソ連によるアフガニスタン侵攻(1979~1988)を契機として、アフガニスタンのイスラム教神学生たちによって組織されたイスラム原理主義運動「タリバン」などに見られる狂信的なイスラム教徒であれば、主イエス・キリストの御名に権威を感ずるどころか、旧教カトリック教会と新教プロテスタント教会のクリスチャンを区別することなく一律にクリスチャンを憎悪し、クリスチャンであることを告白した者を捕(つか)まえ次第、問答無用で殺害してきた。
B.イスラム教について
(A) 暴力と恐怖に基づくイスラム教の布教
イスラム教徒以外には秘密にされているイスラム教典「コーラン」の教理と典礼の根本には、「暴力と流血に対する陶酔感」と「恐怖による人心支配」がある。だから、通常の日本人がイスラム教の野蛮な流血の儀式を撮影した映像を見れば、嘔吐するほどの暗鬱な気分になり、終生のトラウマ(心の傷)になるだろう。そして、ローマ教皇を神と同等の存在と考えているローマ・カトリック教会と、「コーラン」に従うイスラム教モスク(礼拝堂)を比較した場合、イスラム教モスクは、“ 爬虫類のような原始的な野蛮性 ” に憑依されており、ローマ・カトリック教会の異端性の比ではない。また、「旧約聖書」創世記16:12 によれば、「すべてに逆らい敵対する野生のろば」である。
(B) シーア派とスンニ派
イスラム教は、大きくシーア派とスンニ派という二つの宗派に分かれ、この比率は 1:9 になる。 シーア派は、開祖ムハンマドの血統を受け継ぐ子孫を重視し、外面的な戒律よりも内面的な信仰心を尊重する少数派だ。 宗教社会のカリフ(最高指導者)と世俗社会の統治者を分離し、『世俗社会の統治者は、カリフの代理人に過ぎない』と考えて祭政分離(政教分離)を貫く。 この一方、スンニ派は、開祖ムハンマドの血統による世襲にこだわらず、戒律を厳密に実行する狂信的な多数派の宗派で、宗教社会のカリフ(最高指導者)と世俗社会の統治者を同一化し、祭政一致(政教一致)を貫く。 例えば、シーア派のイラン共和国とレバノン共和国以外のイスラム教国は、全て狂信的なスンニ派の支配下にある。 イスラム教は、パキスタン共和国等のアジア地域、インドネシア共和国等の太平洋地域、エジプト共和国等の北アフリカ地域、サウジアラビア王国等のアラビア半島地域、イラク共和国等の中東地域を中心に約15.7億人の信者を有する世界宗教であるため、ユダヤ・キリスト教文化圏の欧米諸国との価値観の対立が今後に激化すれば、第三次世界大戦を招くことになる。
(C) イスラム教の教理=反キリストの教理
イスラム教の教理に見られるキリスト教観を挙げておくと、アラビヤ語を用いるアラブ人と イスラム教徒は、「イエスは一預言者にすぎず、神や神の子ではない」 「旧約聖書と新約聖書は、ユダヤ人とキリスト教徒に捏造されたので、神の正しい啓示の書ではない」 「ムハンマド(571頃~632)に啓示されたコーランこそが神の正しい啓示の書だ」 「アブラハムが生贄として神に捧げようとしたのは、イサクではなくイシュマエルだった」 「マリヤの子イエスは、アッラーを神として崇めねばならない」 「イエスは十字架で死んでおらず、身代わりが死んだ」 「ムハンマドは、大天使ジブリール(ガブリエル)からの啓示を受けてイスラム教の開祖となった」 「伝承によれば、ムハンマドが昇天した場所は、エルサレムの岩のドームである」・・・など、反キリストの教理を信仰している。開祖ムハンマドに啓示を与えた霊的存在者の正体をよく考えるべきだ。
(D) 『聖書』から見たアラブ人とイスラム教徒の霊的宿命
ユダヤ教・キリスト教の『聖書』によれば、アブラム(後にアブラハムと改名)の妻サライ(後にサラと改名)に仕えていたエジプト人の女奴隷ハガル(創世記16:1)の産んだ、アブラムの長男がイシュマエルで、この子孫がイシュマエル人( 創世記37:25)だ。 イシュマエル人こそは、アラビア語を話すアラブ人の民族的なルーツで、また、アラブ人の信仰するイスラム教の霊的な宿命をも象徴する。 つまり、『エジプト人の女奴隷ハガルの産んだ、アブラムの長男イシュマエル』に象徴されるアラブ人とイスラム教の霊的な宿命は、次の聖句に示されている。但し、イスラム教国であるパキスタン共和国、インドネシア共和国、トルコ共和国、イラン共和国(ペルシャ人)は、アラビヤ語を用いるアラブ人ではない。このため、『聖書』の「神の民」であるヘブライ人・イスラエル人・ユダヤ人の末裔の住む国、即ち、現代の日本国とイスラエル共和国との霊的な親和性を有し、次の聖句には該当しない。
創世記 16:12
『彼(イシュマエル)は野生のろばのような人となり、その手(イシュマエルの手)はすべての人に逆らい、すべての人の手も彼(イシュマエル)に逆らう。 彼(イシュマエル)はすべての兄弟に敵対して住もう。』
創世記 17:20-21
『イシュマエルについては、あなた(アブラハム)の言うこと(「イシュマエルが生きながらえますように」という願い)を聞き入れた。 確かに、わたし(神)は彼(イシュマエル)を祝福し、彼(イシュマエル)の子孫をふやし、非常に多く増し加えよう。 彼(イシュマエル)は十二人の族長たち( ネバヨト、ケダル、アドベエル、ミブサム、ミシュマ、ドマ、マサ、ハダド、テマ、エトル、ナフィシュ、ケデマ)を生む。わたし(神)は彼(イシュマエル)を大いなる国民としよう。 しかしわたし(神)は、来年の今ごろサラがあなた(アブラハム)に産むイサクと、わたし(神)の契約を立てる。』
創世記 21:18
『(ハガルよ。 荒野の灌木の下に捨て置いたイシュマエルの所へ)行ってあの少年(イシュマエル)を起こし、彼(イシュマエル)を力づけなさい。 わたし(神)はあの子(イシュマエル)を大いなる国民とするからだ。』
ガラテヤ 4:23
『女奴隷(ハガル)の子(イシュマエル)は肉によって生まれ、自由の女(サラ)の子(イサク)は約束によって生まれたのです。』
ガラテヤ 4:30
『・・・奴隷の女(ハガル)とその子ども(イシュマエル)を追い出せ。 奴隷の女(ハガル)の子ども(イシュマエル)は決して自由の女(サラ)の子ども(イサク)とともに(神の御国の)相続人になってはならない。・・・』
(E)イスラエル十二支族とイシュマエル十二支族の霊的な闘争
アダム - 邪悪なカナンと正善なセツ - ノア -アブラハム -イサク -ヤコブに連なるイスラエル十ニ支族を「正」(テーゼ)とすれば、イシュマエル十ニ支族は「反」(アンチ・テーゼ)である。 そして、「正」と「反」は常に敵対し続け、神の御計画とも言うべき歴史の方向性の「合」(ジン・テーゼ)を生成していく霊的な関係にある。 だから、一方が祝福される時代は他方が呪われる時代となる。 例えば、主イエス・キリストの救いを拒んだ後、ローマ帝国によってエルサレム神殿が徹底的に破壊され、祖国無き流浪の民となったイスラエル十ニ支族の末裔のユダヤ人がキリスト教文化圏と化した欧州諸国内で迫害されていた間、イシュマエル十ニ支族の末裔のアラブ人は、シリアのダマスカスを首都とするウマイヤ朝(661~750)、エジプトのカイロを首都とするファーティマ朝(909~1171)、小アジア(アナトリア)からイランに至る領土を支配したセルジューク朝(1038~1194)、イラクのバグダードを首都とするアッバース朝(750~1258)というイスラム帝国の黄金時代を築いた。そして、最後のアッバース朝は、モンゴル帝国( ジンギスカン -1159~1227- が創設した世界史上最大の帝国1206年~南京における明の建国1368年 )によって1258年に滅ぼされたが、このモンゴル帝国の主要な宗教は、聖母マリアの神性を否認したネストリウス派キリスト教(景教)であった。 また、現代史においては、第二次世界大戦期から中東のパレスチナ(古称のカナン)へ入植移民を続けたユダヤ人たちが、ユダヤ人の主権国家としてのイスラエル共和国を1948年5月14日(ユダヤ暦のイヤル月5日)に樹立宣言すると、この翌日の15日にアラブ連盟の5ヶ国(エジプト共和国・シリア共和国・イラク共和国・ヨルダン王国・レバノン共和国)は、パレスチナに侵攻し、第一次中東戦争(1948~1949)が勃発した。 但し、イスラエル共和国を樹立した1948年5月14日(ユダヤ暦のイヤル月5日)にユダヤ人の主権国家は回復されたが、ほとんどのユダヤ人は、イエスをキリストであると認めておらず、霊的には回復されていない。ちなみに、イスラエル共和国の「独立記念日」のイヤル月5日は、ユダヤ暦に応じて毎年変わる。
C.金権から生ずる世俗社会の権威
(A)日本国の世俗社会の権威
イエスがキリストであることを否定するユダヤ教、バビロニア帝国のバビロン宗を淵源とする誤信迷信と偶像崇拝を承継する旧教カトリック教、ユダヤ・キリスト教文化圏に敵対しながら暴力と恐怖を崇拝するイスラム教、『聖書』 の聖句を曲解して異端化した大多数の新教プロテスタント教、世俗社会の資本力(金銭・富)を信奉する拝金主義、『聖書』 の神と霊を否定する唯物論の共産主義・・・これら邪悪な組織と、その価値観の広まる悲惨な世俗社会を見る限り、『この世の権威は、神である主イエス・キリストから生じているのではなく、金銭を所有していることによって生ずる権力、即ち、金権から生じている』 と分かる。 そして、日本国の世俗社会の権威に関して具体的に述べるなら、神社神道と伝統文化における天皇こそが最高権威であるが、天皇は、「神の御計画」の中で特別に取り扱われているため論じない。 このため、天皇を除いた世俗社会の権威について考察すると、世俗社会の権威は、(1)「銀行券」という名の通貨を供給する中央銀行日銀の役員(次の(B)参照) (2)財務省事務次官などの政府高官とそのOBたち (3)警察・検察・裁判所という司法三機関を統制する最高裁長官及び事務総局 (4)電力会社・金融機関などの大企業経営者 (5)国政を差配する政権与党の国会議員 (6)テレビ・新聞などを通じて世論を操作するマスメディアの編集者 (7)選挙時の集票マシーンとして機能する創価学会などの邪教団体の幹部 (8)共産主義思想を抱く公務員から成る官公労の幹部 (9)国家を内外の敵から守る軍隊の幹部 (10)医師・弁護士・学者といった専門職 (11)これらの全てを金融面からグローバルに統制する国際金融資本家にある。なお、国際金融資本家とは、国際決済銀行BIS・ 国際通貨基金IMF・ 世界銀行WB・ 米国中央銀行FRB・ EU中央銀行ECB・ 日本国中央銀行日銀 の金融政策を自在に統制しうる大銀行のオーナーファミリーを指す。 ちなみに、『聖書』は、この世の富と金銭について、多くの警告を発している。 例えば、マタイ6:24 「富と神の両方に仕えることはできない」、マタイ13:22 「この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぎ、みことばを聞いても実を結ばない人が多い」、マタイ19:24 「金持ちが神の国に入るより、らくだが針の穴を通る方が易しい」、ヨハネ2:13-16 「エルサレム神殿の中で、神への供犠とする牛・羊・鳩を売る商売人たちと、両替手数料を貪る両替人たちを主イエス・キリストがムチで追い散らした」、 1テモテ 6: 9-10 「金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。 金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。・・・」 へブル13:5 「金銭を愛する生活をしてはいけません」といった聖句である。 そして、『聖書』に登場する古代の両替商人たちこそは、現代の国際金融資本家の精神的・霊的なルーツであり、金融ビジネスの雛形である。 しかし、『聖書』における「権威」とは、この世の富と金銭に基づく「金権」に由来するのではなく、「主イエス・キリストの御名の権威のみ」である。 なぜなら、『万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。』 (コロサイ 1:16)と書いてあり、『キリストはすべての支配と権威のかしらです。』(コロサイ 2:10)と書いてあるからだ。 さらに、この世の邪悪な権威は、過去の主イエス・キリストの贖罪死と復活によって無力化された(コロサイ 2:15)こと。 未来における主イエス・キリストの地上への御再臨・千年王国・最後の審判という歴史過程を経て、最終的に、神の権威の下に滅ぼされる(ダニエル 7:27、1コリント 15:24、黙示録20: 4)と記されている。 しかも、「現在」という「時」においては、主イエス・キリストの支配と権威は天の御国にあり、真の教会を通して、神の豊かな知恵が示されている。 これは世々隠されてきた「神の御計画」に沿ったことである。(エペソ3:10-11) 従って、世俗社会における「権威」と、『聖書』における「権威」との “不一致の時代” にあっては、この世の権威を愛することなく、この世の権威の友となることなく、天上にある神の御国におられる主イエス・キリストの支配と権威に服して(ヤコブ 4:14)、神の御国を地上に実現するために、この暗闇の世界の支配者たち、また、空中にいるもろもろの悪霊と闘わなければならない。(エペソ6:11- 12) 以下に、「権威」に関する聖句を挙げる。
ヨハネ16:33
『わたし(最後の晩餐におけるイエス)がこれらのこと(新しい戒め)をあなたがた(ユダを除く弟子たち)に話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。 あなたがたは、世にあっては患難があります。 しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。』
エペソ 3:10- 11
『これ(私、パウロが主イエス・キリストに仕える者とされ、同胞のユダヤ人ではなく異邦人に福音を伝えていること)は、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、私たちの主キリスト・イエス(の愛の教えと贖罪死)において実現された神の永遠のご計画(世々隠されてきた奥義)に沿ったことです。』
エペソ6:11- 12
『悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身につけなさい。 わたしたちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗闇の世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。』
コロサイ 2:15
『神は、キリストにおいて、(この世の)すべての支配と権威の武装を解除して さらしもの(無力になった)とし、彼ら(この世のすべての支配と権威)を捕虜として(悪魔に対する主イエスの勝利の)凱旋の行列に加えられました。』
ヤコブ 4:14
『貞操のない人たち。 世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。 世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。』
(B)「銀行券」という名の「通貨」を供給する中央銀行
現代世界の主要国の中央銀行は、現代世界の主要国の政府から独立した民間銀行である。 日本国の中央銀行の日銀は、薩摩藩士・大蔵卿・元老の 松方正義(1835~1924)により、1882年に設立された。 松方正義による中央銀行制度の導入は、国際金融資本家 アルフォンス・ド・ロチルド(ロスチャイルドの仏語名1827~1905)の番頭を務めた仏国蔵相 レオン・セーの助言による。 また、米国の中央銀行のFRB(Federal Reserve Board / 連邦準備制度)は、『ロンドン・シティの国際金融資本家が、米国通貨の発行権を得て、米国政府を金融面から独裁的に支配する金権社会の到来』 を警戒する政治家たちから強い抵抗を受けてきた。 このため、ロスチャイルド家の代理人ポール・ウォーバーグ(1868~1932)が主導して、民主党のトーマス・W・ウィルソン政権(1913~1921)を発足させ、1913年のクリスマス休暇中の閑散とした連邦議会で内密にFRB法案を可決させてFRBを設立した。 さて、日本国の通貨は、 A.中央銀行である日銀の発行する「日銀券」 B.日本政府の発行する「政府貨幣」 の2種類がある。そして、 日本政府の財源は、(1)税収 (2)国債の発行 (3)政府貨幣の発行 という 3種類がある。 この事実をよく考えてれば分かるように、通貨である「政府貨幣」、そして、財源でもある「政府貨幣」を完全に排除した経済政策しか行っていない。 つまり、日本国民を代表する日本政府とは異なる民間銀行の日銀が発行する「日銀券」だけが、日本国の通貨となっており、日本政府の発行する「政府貨幣」を完全に排除している。 そして、民間銀行の日銀と 日本政府の財務省は、日本政府の借金である「支払利息を伴う国債発行」に基づいて、1万円札などの「日銀券」を発行する 経済政策しか行っておらず、国民から徴収した税収を、国債の支払利息に充当して「日銀券」の信用を維持すると同時に、国民に対する金融支配力を強化してきた。 例えば、日銀と財務省は、日本経済のデフレ脱却を果たすために、消費税を廃止して財政支出を拡大しなければならないはずであるが、逆に、日本経済を破壊する消費税増税と財政支出削減を強引に推し進めている。 この理由は、中央銀行の金融支配力を強化して、「日銀券」の信用力を高め、日本政府と国民全体を「日銀券」の奴隷にしておくためである。 日本経済を破壊する消費税増税と財政支出削減を強引に推し進めるという、日本政府と国民全体を「日銀券」の奴隷にして貧困化させる最低最悪の経済政策から脱却するためには、日本政府と国民は、日銀と財務省に経済政策の数値目標を課し、 失敗した場合には必ず責任を取らせるべきである。 次に、「政府貨幣」を発行すべきである。 例えば、税収の無かった明治新政府は、その歳出の93.6%を、太政官札という「政府紙幣」 の発行によって賄ったが、インフレになることはなく、大きな経済成長を遂げた。「政府紙幣」を発行するにあたり、障害物があるとすれば、それは国民に対する金融支配力を常に強化しようとする日銀と財務省を操作する国際金融資本家である。
(2) 悪魔に由来する権威との闘い
A.「世俗社会の権威」=「神に由来する権威」ではない
パウロは、ガラテヤ書において「肉の行ない」を戒めたが、悪魔に由来する権威は、「肉の行ない」に基づいて営まれる世俗社会を支配している。
ガラテヤ 5:19-21
『肉の行ないは明白であって、次のようなものです。 不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。 前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。 こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。』
世俗社会の価値観と仕組みを分析すれば理解できることであるが、「世俗社会の権威」=「神に由来する権威」ではない。 だからこそ、現実の世俗社会においては、「悪魔に由来する権威」を弱め、「神に由来する権威」を強めることが、真のクリスチャンの使命である。 例えば、悪魔に由来する権威を現代用語で表現すると次のようになる。金銭欲 ・支配欲 ・唯物論 ・人間中心主義 ・商業主義 ・利益至上主義 ・グノーシス主義※1 ・オカルティズム(魔術 呪術 占い ニューエイジ運動 ヨガのポーズ)・フリーメーソン主義※2・快楽追求主義・科学的合理主義・人間中心主義・拝金主義・共産主義・虚偽宣伝・誤信迷信・偏見差別・強欲貪欲・憎悪などの悪感情・諸々の不法行為 と犯罪行為で、主イエス・キリストを無き者としている世俗社会において、平然と生活している万人の精神と言動の、あらゆる局面に見受けられる。 これらの「悪魔に由来する権威」の性質を一言で要約すると、「利己主義」である。「利己主義」とは、金銭欲に憑かれた「拝金主義」Mammonismと、支配欲に憑かれた「共産主義」Communismに他ならないが、これらの根底には「偶像礼拝」(=悪魔崇拝 Satanism)がある。 そして、悪と罪と死に満ちあふれた「偶像礼拝」=悪魔崇拝 Satanism を隠然と行っているのが、異端の教会と化した旧教カトリック教会と大多数の新教プロテスタント教会、また、諸宗教団体である。 この悲惨で酷薄な世俗社会の現実を理解できない自称クリスチャンは、その心が既に悪魔に侵されており、悪魔の支配力と感化力に対する抵抗力と免疫力を喪失している。 なお、「悪魔に由来する権威」は、ダニエル書・黙示録などに書いてある。
※1 グノーシス主義とは、初代教会時代以前から存在していたバビロニア帝国・メドペルシャ帝国・ギリシャ帝国・ローマ帝国において、人の誤れる認識が生み出した哲学・思想・宗教の全般に対する知識欲を指す。 また、初代教会時代以降は、「人となって来た神の子・救い主・贖い主なるイエス」を否定するユダヤ教・キリスト教の異端宗派並びに、これらに対する知識欲を指す。 なお、異端とは、悪魔・にせ預言者・世俗社会の権威(金権)を信じて礼拝することである。
※2 フリーメーソン主義とは、主イエスを否定するユダヤ教を信仰するユダヤ人に偽装した「自称ユダヤ人」(黙示録2:9、同3:9 )が、世界各国の非ユダヤ人を組織化しながら、ユダヤ教の「タルムード」の一部にある悪魔崇拝を指導理念として、「世界統一政府」New World Order の樹立を目指す イルミナティに支配されたフリーメーソンの教理と祭儀を指す。 詳細は、ローレンス・D・H・ローレンス、アワド・カウリー著 『ヘロデの呪い-暴かれたユダヤ古写本-』(中央アート出版 2002-平成14-年)を参照してほしい。 なお、ユダヤ人社会に精通する米国 NSA(国家安全保障局)の元技術者 ジム・ストーン氏によれば、『毒殺されたと言われるヨハネ23世(在位:1958~1963 )が命令して、替玉説が濃厚なパウロ6世(在位:1963~1978)の下で開催された第2ヴァチカン公会議(1962~1965)の間にユダヤ組織(イルミナティ・フリーメーソン)が、ヴァチカン市国を乗っ取った』という。 これを裏付けるように、パウロ6世の後を継いだヨハネ・パウロ1世(在位:1978年8月26日~9月28日)は、国務長官ジャン・ヴィロ枢機卿にヴァチカン市国の大改革を行う人事異動名簿(解職者名簿)を手渡した翌朝の1978年9月28日午前4時45分に毒殺と思しき遺体となって発見された。 この3年後、イタリア共和国の警察司法当局が、殺人・テロ・贈収賄・政府転覆謀議などの容疑でフリーメーソン P2 ロッジ のグランド・マスターのリチア・ジェッリを指名手配し、その別荘を1981年2月17日に家宅捜査したところ、フリーメーソン会員名簿を押収した。 これにより、フリーメーソンがイタリア共和国とヴァチカン市国を操作していたことを世界中のマスメディアが知る P2事件へと発展した。 アルナルド・フォルラーニ内閣の閣僚3名もフリーメーソン会員であったことから、同年6月28日に総辞職した後、P2事件関係者の変死怪死が相次ぎ、警察司法当局も、証拠不十分を理由に P2事件の犯罪捜査を終了した。
ダニエル 7:23- 28
〔彼(預言者ダニエルのかたわらに立つ者-御使い-)はこう言った。 『第四の獣は地に起こる第四の国。これは、ほかのすべての国と異なり、全土を食い尽くし、これを踏みつけ、かみ砕く。 十本の角は、この国から立つ十人の王。 彼らのあとに、もうひとりの王が立つ。 彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。 彼(もうひとりの王)は、いと高き方(主イエス・キリスト)に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たち(クリスチャン)を滅ぼし尽くそうとする。 彼は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間(三年半)、彼の手にゆだねられる。 しかし、さばきが行なわれ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。 国と、主権と、天下の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる。 その御国は永遠の国。 すべての主権は彼らに仕え、服従する。』 これでこの話は終わる。 私、ダニエルは、ひどくおびえ、顔色が変わった。 しかし、私はこのことを心に留めていた。」〕
黙示録13: 2
『私の見たその獣は、ひょうに似ており、足は熊の足のようで、口はししの口のようであった。 竜(悪魔サタン)はこの獣に、自分の力と位と大きな権威とを与えた。』
黙示録13: 4
『そして、竜(悪魔サタン)を拝んだ。 獣に権威を与えたのが竜(悪魔サタン)だからである。 また彼らは獣をも拝んで、「だれがこの獣に比べられよう。だれがこれと戦うことができよう。」と言った。』
B.『聖書』に示された人類の歴史の流れ
「エデンの園」(アダム~)→ 腐敗堕落と暴虐の時代(~ノア)→ 「ノアの大洪水」→ シュメール文明の共通言語時代の「バベルの塔」(~アブラハム・イサク・ヤコブ~)→ 古代バビロニア王国・ 古代エジプト王国・ 古代アッシリヤ王国の併存したメソポタミヤ文明(~ヨセフ~モーセ~ダビデ・ソロモン~ゼカリヤ)→ バビロニア帝国(前605~前539)→ メドペルシャ帝国(前539~331前)→ ギリシャ帝国(前331~前168)→ ローマ帝国(前168~476)→ 現代社会・・・という『聖書』 に書いてある人類の歴史の流れを押さえておきたい。 ちなみに、共通言語時代の「バベルの塔」の物語は、「創世記」11章にあり、「ノアの大洪水」の後、アブラハムの物語の前に位置する。 だから、「創世記」11章2節の「シヌアルの地」とは「シュメールの地」を指す。 従って、『シュメール文明の共通言語時代に、ハムの子孫ニムロデによって「バベルの塔」が築かれた』 と分かる。
C.「神の御計画」は、ユダヤ・キリスト教文化圏を重視する
「世界の四大文明」とは、歴史学界の定説からすれば、ナイル川流域のエジプト文明・ チグリス-ユーフラテス川流域のメソポタミア文明・ インダス川流域のインダス文明・ 黄河流域の黄河文明の四つであり、世界最古の土器が見つかっている縄文時代の日本列島の縄文文明や南米大陸のペルー山脈に栄えたアンデス文明その他は、「世界の四大文明」に含まれない。そして、『聖書』の神は、「世界の四大文明」の一つであるメソポタミア文明(古代バビロニア王国・ 古代エジプト王国・ 古代アッシリヤ王国)から興ったバビロニア帝国・メドペルシャ帝国・ギリシャ帝国・ローマ帝国の歴史とユダヤ・キリスト教文化圏の歴史を最も重視しながら「神の御計画」を組み立てられている。この理由は、これらの諸帝国の歴史とユダヤ・キリスト教文化圏の歴史が、「神の選民」であるヘブル人・イスラエル人・ユダヤ人の歴史と密接に関係しているからだ。従って、世界各国の諸民族の過去・現在・未来の歴史を『聖書』に基づいて考察する場合、これらの諸帝国の歴史とユダヤ・キリスト教文化圏の歴史を最も重視することになる。
D.『旧約聖書』の「ダニエル書」にある「第四の獣」
「ダニエル書」にある「第四の獣」とは、歴史的に見た場合、バビロニア帝国・メドペルシャ帝国・ギリシャ帝国に続いて興った「ローマ帝国」を指す。そして、「ローマ帝国」が崩壊した後に興った、「三人の王を打ち倒す、もうひとりの王」とは、「ローマ・カトリック教会」を指す。さらに、「ダニエル書」にある「第四の獣」という過去の雛型は、「現代のローマ帝国」である「米国=西ローマ帝国」と「ロシア=東ローマ帝国」によって再現されている。 だから、「黙示録」にある「獣」とは、「国家を運営する政府」を意味し、また、「黙示録」にある「龍・獣・偽預言者」という悪魔の三位一体は、「悪魔サタン・ヴァチカン市国・ローマ教皇」に照応する。ヴァチカン市国は、現代の世界各国に広がるローマ・カトリック教会を統治する祭政一致の主権国家で1929年に樹立された。 従って、かつての「西ローマ帝国」が内憂外患によって476年に滅亡※ し、ローマ・カトリック教会の権威が拡張したように、「米国」も同様の原因で滅亡し、悪魔の三位一体が「米国」を宗教面から狡猾かつ残虐に支配するようになるだろう。
※ 「ユダヤ戦争」(66~73)の終結後、ローマ帝国の貴族に取り入って、その助言者になった反キリストの思想を持つユダヤ教パリサイ派等のユダヤ人(自称ユダヤ人=フェニキア人)の末裔は、476年~480年頃の「西ローマ帝国」の滅亡後、「西ローマ帝国」の貴族に随行してイタリヤ北東部のヴェネツィアへ移住し、「ヴェネツィアの黒い貴族」と呼ばれた。この時代の歴史を研究すれば、『歴史は繰り返す』 ため、現代の「西ローマ帝国」たる「米国」の近未来を予測できる。
(3) 「上に立つ権威に従う」 と 「地上の主人に従う」 の正しい意味
A.心を神の御国の平安に置き、地上の権威に左右されないこと
「ローマ書」は、パウロが当時の世界の中心地であるローマにある教会へ宛てた手紙だ。「ローマ書」第12章以降は、『あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖(きよ)い、生きた供え物としてささげない。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。』(ローマ12:1)とあるごとく、『世俗における自分の置かれた状況がどうであれ、悪魔に心を混乱させられることなく、神への霊的な礼拝をおこなうために、自らの心を神の御国の平安へ置き、善をもって悪に打ち勝ちなさい。』という主題が貫かれている。 世俗社会にいるパウロ自身は、悪魔と格闘し、反キリスト思想を持つユダヤ人に命を狙われ、逮捕され、裁判にかけられ、刑務所に投獄されている。 しかし、パウロの御心は、平和、即ち、神の御国の平安を保ち、主イエス・キリストより注がれる聖霊と直結していた。
ローマ13: 1
『人はみな、上に立つ権威に従うべきです。 神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。』
この聖句の正しい意味は、『なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。 天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。 万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。』 (コロサイ 1:16)という、神の御子たる主イエス・キリストの全知全能性を説明した聖句であり、『悪魔に由来する世俗の権威に服従しなさい』という意味ではない。 なぜなら、このローマ13: 1の前の聖句に『自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。』(ローマ12:19)、『悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。』(ローマ12:21)とあり、パウロがローマにいるクリスチャンに対して、『憎悪・怒り・打算等の悪心をもって、世俗社会の権威と一体化している悪に報いてはなりません。愛と正義という善心をもって世俗社会の権威と一体化している悪に打ち勝ちなさい』と注意しており、『ローマ皇帝という世俗社会の権威であれ、悪魔サタンが神の御手の中にあるように、世俗社会の権威さえも、全知全能の神の御計画の下にあるのだから、もし、あなたが、憎悪・怒り・打算等の悪心をもって、ローマ皇帝という世俗社会の権威に反抗した場合、あなたは神に見捨てられ、世俗社会の権威を通じて、神の裁きに遭うでしょう』 と警告している。 従って、『上に立つ権威に心から服従しなさい』 という単純な意味ではない。 この理解が正しいことは、続く聖句において、『支配者(ローマ皇帝)を恐ろしいと思うのは、(愛と義に基づく)良い行ないをするときではなく、(憎悪・怒り・打算等に基づく)悪を行なうときです。(世俗社会の)権威を恐れたくないと思うなら、善を行ないなさい。そうすれば、支配者からほめられます。 』(ローマ 13: 3)と書いてあることから、『悪に対して悪を行うな』 という戒めであることは自明である。 パウロが、ローマにいるクリスチャンに伝えたかったことは、『悪なる世俗社会の権威に対しては、自分で復讐することなく、神の怒りに任せ、善をもって対応しなさい』 ということである。 決して、『悪なる世俗社会の権威を愛し、心の底から上に立つ権威に服従しなさい』という意味ではない。なぜなら、真のクリスチャンにとっての「権威」とは、主イエス・キリストに由来する権威だけだからだ。 真のクリスチャンが全身全霊をもって愛し、心から服従するのは、主イエス・キリストのみである。 だから、『人はみな、上に立つ権威に従うべきです。 神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。』(ローマ13: 1)という聖句をもって、『悪なる世俗社会の権威を愛し、上に立つ権威に心から服従しなさい』 という意味を宣伝する自称クリスチャンは、完全に間違っている。 『聖書』の他の聖句とも相容れない。
B.心を神の御国の平安に置き、悪魔の支配力に屈しないこと
『地上の主人に従いなさい。』(エペソ6:5)を考証しよう。この聖句の一部だけを引き出して、『この聖句を、文字通りの意味に受け取りなさい。地上の主人を、神を愛すように愛しなさい』 と宣伝することは完全なる間違いである。
エペソ6:5
『奴隷たちよ。 あなたがたは、キリストに従うように、恐れおののいて、真心から地上の主人に従いなさい。』
例えば、荒野で40日間の断食を行った主イエス・キリストに対して、悪魔サタンが、『あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。 「神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることにないようにされる。」と(聖書に)書いてありますから。』(マタイ4:6)と試みた「悪魔サタンの手口」と同じである。 主イエス・キリストは、かかる悪魔サタンの試みに対して、『「あなたの神である主を試みてはならない」とも書いてある。』(マタイ4:6)と反論して、『この聖句を、文字通りの意味に受け取り、断崖から身を投げよ』 という悪魔の試みを払いのけた。 聖句を正しく理解するためには、聖句の前後の文脈は、もとより、聖書全体の論理的な整合性を踏まえた上で、聖句本来の意味を捉えなければならない。つまり、『奴隷たちよ。あなたがたは、キリストに従うように、恐れおののいて、真心から地上の主人に従いなさい。』(エペソ6:5)の正しい意味は、この聖句の前後を通読すると、『戒めを守って、お互いに愛し合い、礼儀正しく、寛容な心をもって、悪意、敵意、怒り、憎悪にとらわれない生活をしなさい。そして、悪魔の策略に立ち向かうことができるように、お互いを愛し、霊性を高め、人の背後にいる真の敵である霊的な悪魔の存在を見抜き、神からの愛、神への愛を疑わず、死の直前まで精神的な崇高さを保ち続けなさい』 と、パウロがエペソの教会に助言しているのである。 従って、『奴隷たちよ。・・・恐れおののいて、真心から地上の主人に従いなさい。』 という聖句は、文字通りの『地上の主人に対する真心からの服従』 を命令したものではない。 パウロは、この書簡をローマの獄中で書いたのであって、「奴隷」以下の状態に置かれ、恐ろしい囚人生活を強いられていた。 そのような境遇にあっても、悪魔の策略に陥ることなく、自らの心を平和に保ち、人の背後にいる霊的存在者の悪魔に打ち勝つことに心を砕いていた。 刑務所の看守に対して怒ったり、恐怖心から取り乱したりはしなかった。 パウロにとって、『奴隷たちよ。・・・真心から地上の主人に従いなさい。』 とは、『皇帝に対しても、刑務所の看守に対しても、怒らず、恐れず、聖霊に従い、自分の運命を受け入れ、神からの愛と、神への愛を疑わず、自分の生命を捨てる覚悟を抱き、心を平和に保って生活しなさい』 という意味だ。 神への愛を貫いて神々しく殉ずる精神的な崇高さは、パウロ自身の首が切断される瞬間まで、絶対に汚してはならなかった。 聖句の一部分の『奴隷たちよ。・・・真心から地上の主人に従いなさい。』 だけを引き出し、『この聖句を文字通りの意味に受け取って、地上の主人を愛しなさい』 と宣伝することは、天上界にある神の御国からパウロへ聖霊を送っている主イエス・キリストと、地上の獄中において殉教死を覚悟したパウロとすれば、『わたしたちの敵は血肉のある地上の主人ではなく、霊的な悪魔である。殉教する瞬間まで、悪魔によって、神からの愛、神への愛を汚されることなく、精神的な崇高さを保ち続ける心構えを固めなさい。暴力・暴動・革命では事態を悪化させるだけだ』 と言うだろう。つまり、『真心から地上の主人に従う』とは、『地上の主人に心を乱されないように、自己の心を神の御国の平安に置き、暴力行為による流血の惨事を避けなさい』いう意味で、これがクリスチャンの心構えである。よって、『地上の主人を愛して従いなさい』 という意味ではないため、間違った宣伝をしてはならない。 以下に、このエペソ6:5 前後の聖句を挙げる。
エペソ 6: 1- 12
『子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。 これは正しいことだからです。 「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。 すなわち、 「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」という約束です。 父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。 かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。 奴隷たちよ。あなたがたは、キリストに従うように、恐れおののいて真心から地上の主人に従いなさい。 人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方でなく、キリストのしもべとして、心から神のみこころを行ない、人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい。 良いことを行なえば、奴隷であっても自由人であっても、それぞれその報いを主から受けることをあなたがたは知っています。 主人たちよ。あなたがたも、奴隷に対して同じようにふるまいなさい。 おどすことはやめなさい。 あなたがたは、彼らとあなたがたとの主が天におられ、主は人を差別されることがないことを知っているのですから。 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。』
1ヨハネ 5:19-20
『私たち(ヨハネたち)は神からの者であり、全世界は悪い者の支配下にあることを知っています。 しかし、神の御子(主イエス・キリスト)が来て、真実な方(神の御霊=聖霊)を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。 それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。 この方(主イエス・キリスト)こそ、まことの神、永遠のいのちです。』
公開2012(平成24)年8月9日(木)02:12
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