2016年2月11日木曜日

『 ヨハネ黙示録の解説 』



【 1 】 『聖書』の全体像に関する解説

 『聖書』は、『旧約聖書』『新約聖書』から成り、『旧約聖書』という樹心を『新約聖書』という樹辺が取り囲む構造になっている。 また、過去・現在・未来の時間区分に応じて編纂された。 例えば、『旧約聖書』の過去はモーセ五書・歴史書。 現在は詩歌。 未来は大預言書・小預言書である。 『新約聖書』の過去は福音書・歴史書。 現在は書簡。 未来は預言書の「ヨハネ黙示録」という具合に整然と編纂された。


(1) 『旧約聖書』 (39巻)

モーセ五書
 創世記 Genesis(Gen)
 出エジプト記 Exodus(Exod)
 レビ記 Leviticus(Lev)
 民数記 Numbers(Num)
 申命記 Deuteronomy(Deut)

歴史書
 ヨシュア記 Joshua(Josh)
 士師記 Judges(Judg)
 ルツ記 Ruth(Ruth)
 サムエル記第1 1Samuel(1Sam)
 サムエル記第2 2Samuel(2Sam)
 列王記第1 1Kings(1Kgs)
 列王記第2 2Kings(2Kgs)
 歴代誌第1 1Chronicles(1Chron)
 歴代誌第2 2Chronicles(2Chron)
 エズラ記 Ezra(Ezra)
 ネヘミヤ記 Nehemiah(Neh)
 エステル記 Esther(Esther)

詩歌
 ヨブ記 Job(Job)
 詩篇 Psalms(Ps)
 箴言 Proverbs(Prov)
 伝道者の書 Ecclesiastes(Eccles)
 雅歌 Song_of_Solomon(S_of_S)

大預言書
 イザヤ書 Isaiah(Isa)
 エレミヤ書 Jeremiah(Jer)
 哀歌 Lamentations(Lam)
 エゼキエル書 Ezekiel(Ezek)
 ダニエル書 Daniel(Dan)

小預言書
 ホセア書 Hosea(Hos)
 ヨエル書 Joel(Joel)
 アモス書 Amos(Amos)
 オバデヤ書 Obadiah(Obad)
 ヨナ書 Jonah(Jonah)
 ミカ書 Micah(Micah)
 ナホム書 Nahum(Nahum)
 ハバクク書 Habakkuk(Hab)
 ゼパニヤ書 Zephaniah(Zeph)
 ハガイ書 Haggai(Hag)
 ゼカリヤ書 Zechariah(Zech)
 マラキ書 Malachi(Mal)


(2) 『新約聖書』 (27巻) 

福音書
 マタイの福音書 St_Matthew(Matt)
 マルコの福音書 St_Mark(Mark)
 ルカの福音書 St_Luke(Luke)
 ヨハネの福音書 St_John(John)

歴史書
 使徒の働き Acts(Acts)

書簡
 ローマ人への手紙 Romans(Rom)
 コリント人への手紙第1 1Corinthians(1Cor)
 コリント人への手紙第2 2Corinthians(2Cor)
 ガラテヤ人への手紙 Galatians(Gal)
 エペソ人への手紙 Ephesians(Eph)
 ピリピ人への手紙 Philippians(Phil)
 コロサイ人への手紙 Colossians(Col)
 テサロニケ人への手紙第1 1Thessalonians(1Thess)
 テサロニケ人への手紙第2 2Thessalonians(2Thess)
 テモテへの手紙第1 1Timothy(1Tim)
 テモテへの手紙第2 2Timothy(2Tim)
 テトスへの手紙 Titus(Tit)
 ピレモンへの手紙 Philemon(Philem)
 ヘブル人への手紙 Hebrews(Heb)
 ヤコブの手紙 James(Jas)
 ペテロの手紙第1 1Peter(1Pet)
 ペテロの手紙第2 2Peter(2Pet)
 ヨハネの手紙第1 1John(1John)
 ヨハネの手紙第2 2John(2John)
 ヨハネの手紙第3 3John(3John)
 ユダの手紙 Jude(Jude)

預言書
 ヨハネの黙示録 Revelation(Rev)


(3) 外典・偽典= 神の霊感の無い宗教文書

A.『旧約聖書』の外典: 『旧約聖書』の正典39巻から除外された宗教文書を指す。 「神の霊感の書」ではなく、誤謬のある「歴史家の書」であり、ユダヤ人の哲学者フィロン(前20~50)やユダヤ人の歴史家フラヴィウス・ヨセフス(37~100)らも、外典を正典から除外した。 但し、外典の大部分は、トリエント公会議(1545~1563)の時から、ローマ・カトリック教会の『旧約聖書』の正典として載録された。 (「青文字」: ローマ・カトリック教会の正典として載録された宗教文書)
 第一エズラ書 「第一マカベア書」 第二マカベア書」 トビト書」 ユディト書」 ソロモンの知恵」 ベン・シラの知恵」 エレミヤの手紙」 マナセの祈り」 ダニエル書への付加 スザンナ アザリヤの祈りと燃える炉の中の三人の祈り バビロンのベルとバビロンの龍 「エステル記への付加」  第一エスドラス書」 第二エスドラス書」 バルク書」

B.『旧約聖書』の偽典: 『旧約聖書』の正典39巻と外典に含まれない、偽名を用いた著者による真理・真実を歪曲した可能性の高い宗教文書を指す。
 リステアスの手紙  第三マカベア書 第四マカベア書 モーセの昇天 イザヤの殉教 アダムとエヴァの生涯 シビュラの託宣 スラヴ語エノク書 ピルケ・アボス ヨベル書 エチオピア語エノク書 十二族長の遺訓 ソロモンの詩篇 第四エズラ書 シリア語バルク黙示録  

C.『新約聖書』の外典: 『新約聖書』の正典27巻から除外された宗教文書を指す。 『新約聖書』の偽典はない。
 ナザレ人福音書 エビオン人福音書 へブル人福音書 エジプト人福音書 ヤコブ原福音書 トマスによるイエスの幼児物語 ペテロ福音書 ニコデモ福音書 ラオデキア人への手紙 コリント人への第三の手紙 セネカとパウロの往復書簡 偽テトスの手紙 パウロの黙示録 シビュラの託宣 ヨハネ行伝 ペテロ行伝 パウロ行伝 アンデレ行伝 トマス行伝 ペテロの黙示録



【 2 】 モーセの出エジプト

(1)  「ヨハネ黙示録」の解明に必要な大預言書・小預言書の分析
 「ヨハネ黙示録」の解明にあたり、『旧約聖書』のトーラー(モーセ五書)は、神の御意に基づき、預言者モーセを通じて理論的に体系化されたのであるから、モーセの時代から考察したい。 そして、『旧約聖書』の預言者モーセの事跡を踏まえた上で、大預言書小預言書を分析する必要がある。 なぜなら、『「ヨハネ黙示録」は「聖書」の結論である』 と考えられるからだ。

(2) 古代メソポタミア地域の歴史
A.古代メソポタミア地域の古代王国
 シュメール文明を起源とする古代メソポタミア地域では、古代バビロニア王国・ 古代エジプト王国・ 古代アッシリア王国が併存しながら、各々の王朝の興亡を繰り返した。 なお、シュメール文明を含む古代文明は、現代文明よりも高度な精神文化と物質文明を築き上げていた。 例えば、現代文明の科学技術力をもってしても、エジプトのギザに残る巨大ピラミッドを建設できない。だから、古代文明が現代文明よりも高度であった理由を探ると、『最初の人アダムの創造以前の天使時代は、高次の異次元に実在する天使が、物質的な三次元世界の地球などに高度な文明を築いた。そして、現代の地球に顕現するエイリアン・UFOの正体は、人に悪意を抱く堕天使(悪魔)である』、あるいは、『 ノアの大洪水後に興った「バベルの塔」以前の人類共通言語の時代の人類は、神との精神的・霊的つながりが濃密であったため、自己の心(精神・霊)の中から神の知識と技術を自由に引き出し、それを実際に再現できた。しかし、 「バベルの塔」以降における人類の多言語化と精神的・霊的つながりの断絶と退化につれて、人類の精神文化と物質文明も急速に退化し、野生動物と大差のない原始文明の時代に至った』 と考える以外にない。 
『 THE REVELATION OF THE PYRAM IDS 』 (邦題: 『 ピラミッド5000年の嘘 』 2011年)
      https://youtu.be/8cb_i5ughdU (2:24:24)

B.「ハムラビ法典」
 「ハムラビ法典」で有名な古代バビロニア王国の第1王朝 第6代のハムラビ王(前1729~前1686、または、前1792~前1750) は、現在のバグダードの南方90kmのユーフラテス川一帯に強大な領土を築いた。 ハムラビ王が制定した「ハムラビ法典」は、高さ2.25mの閃緑岩の石棒に彫刻されており、1901年にイランのスサにおいて発掘された。 その内容は、『神々は世界最高の主権であるバビロン国を樹立した。 その国王は、神々からバビロン国の支配権を委任された。・・・ 国王は、法律と正義を、以下のようにアッカド語で規定することにより、人々の福祉を増進させた。・・・ 』 というように、極めて先進的な刑罰規定だ。 また、古代エジプト王国のピラミッド建造の謎を含め、古代バビロニア王国・ 古代エジプト王国は、現代人の想像を超えるほどに高度な精神文化と物質文明を誇っていた。

C.モーセの時代
 モーセの活躍した時代は、古代エジプト王国の第18王朝~第19王朝の時代であり、モーセの生没年は前1371年頃~前1251年頃と推定される。 モーセ出エジプトは、第19王朝 初代ファラオのラメセス1世 (在位:前1292~前1291) の治政下における歴史的な事跡であり、前1291年に起こった。 詳しくは、(4)で論述したい。 さて、『聖書』を読み調べると、申命記 8: 1-20  『出エジプト後の荒野における40年間の試練を忘れるな』、 申命記34: 7モーセが死んだときは百二十歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった』 とある。 これらの聖句を基準に、モーセの生い立ちと出エジプトの歴史年代を計算すると、次のようなモーセの人生が浮き彫りになる。 『モーセは、赤子の時に川に捨てられたが、幸運にもアメンホテプ3世の王女に拾われた。 そして、アメンホテプ3世の王室の中で、その息子 アクエンアトンイクナートン)と一緒に育った。 だから、アクエンアトンの妻 ネフェルティテイアクエンアトンの息子トゥトアンクアメンツタンカーメン)とも親しい間柄にあった。 ところが、同胞のヘブル人(イスラエル人)に暴行を加えるエジプト人を目撃して憤慨し、このエジプト人を打ち殺してしまった。 この殺人罪ゆえに、ファラオのアクエンアトンに殺されそうになリ、ミデヤンの地に逃れ、家庭を築いた。 この地のホレブ山=シナイ山 ※ では、アブラハム・ イサク・ ヤコブの神と会見した。 神に導かれた数奇な人生を歩む80歳前後のモーセによる出エジプトは、ヘブル人(イスラエル人)を古代エジプト王国の奴隷状態から解放した歴史的な事跡であり、第19王朝を創始したラメセス1世 (在位:前1292~前1291) 治政下の前1291年に起こった』 と考えられる。
ホレブ山= シナイ山= 現サウジアラビア王国のヤベルエルローズ
■ https://www.youtube.com/watch?v=QdMDm3apWzU (20:47)

D.『聖書』によるイスラエル民族の系図
 『聖書』によれば、アダム~ セツ~ ノア~ セム~ アブラハム・ イサク・ ヤコブ~ ヨセフ~ モーセ というイスラエル民族の系図になる。 ダヴィデ大王ソロモン大王の統治した古代イスラエル王国の全盛時代の到来は、モーセの時代から約400年~500年後になる。


(3) 『 ツタンカーメン王の墓で隠し部屋発見 』 NHKニュース 2016年3月18日(金) 9時44分
 「古代エジプトのツタンカーメン王の墓で、日本の技術者が行ったレーダー調査の結果、これまで見つかっていなかった2つの部屋が存在することがほぼ確実となり、世界の考古学者の注目が集まっています。 エジプト南部のルクソールの「王家の谷」にあるツタンカーメン王の墓では、去年、壁の向こう側に空洞が存在する可能性があることが分かり11月、日本の技術者などがレーダー探知機による調査を行いました。 その分析結果についてエジプトのダマティ考古相が3月17日、記者会見し、『これまで見つかっていなかった2つの部屋があることがほぼ確実で、さらに部屋の中からは、金属や有機物の反応があった』 と発表しました。 イギリスの考古学者は、去年、『レーダー調査で見つかった空洞は「隠し部屋」で、その中にはツタンカーメン王の義理の母とされ、「伝説の美女」と呼ばれる王妃ネフェルティティのミイラが中に残されている可能性がある』とする学説を発表しています。 ダマティ考古相によりますと、『現場では今月末にレーダーを使ったさらに詳しい調査が行われる』 ということで、「伝説の美女」が埋葬されているのか、世界の考古学者の注目が集まっています。」

(4) モーセの時代の歴代ファラオ
 古代エジプトの第18王朝~第19王朝の歴史年代に関しては、異説が乱立しているが、『聖書』の記述を基準に、最新の研究成果を踏まえて算定した。 なお、日本国の天皇の元号と同様に、即位した年を元年(1年目)とした。

A. アクエンアトン (在位:前1353~前1336) 治政17年間、第18王朝 10代目ファラオ
 アクエンアトン Akhenaton は、イクナートン Ikhnatonアメンホテプ4世 Amenhotep IV とも呼称される。 父はアメンホテプ3世 Amenhotep III 、 母はティイ Tiy。 王妃ネフェルティティ Nefertiti は、大神官アイ Ay と、その妻テイ Tey の娘、または、アメンホテプ3世の王妃としてミタンニ王国と思しき異国の地からエジプトに来たと考えられている。 アクエンアトン Akhenaton は、父アメンホテプ3世が亡くなると、その若き王妃ネフェルティティを自己の王妃に迎えた。 王妃ネフェルティティは、アクエンアトンとの間に男子を産んでいないが、女子メリタトン Merytaton、女子アンケセナーメン Ankhesenamun を含む6人の女子を産み育てた。 男子スメンクカーラー Smenkhkare は、アクエンアトンの弟なのか息子なのか判然としないが、男子トゥトアンクアメン Tutankhamun は、アクエンアトンと、その姉妹の間に産まれたことが2010年2月17日のDNA鑑定の公表で判明した。 アクエンアトンは、画期的な宗教改革である「アマルナ革命」を断行して、アメン=ラー神を中心とする多神教を否定し、国家元首兼最高祭司として最初の一神教の布教者になった。 即ち、唯一神アトンによる普遍的な愛と平和の信仰を布教し、新しい道徳規範を定め、道徳的な善悪を指導した。 但し、民族として最初の一神教の布教者は、イスラエル人の父祖アブラハムになる。 唯一神アトンは、アクエンアトンにしか見ることのできない、先端に手を持つ無数の光線を放つ「太陽円盤」または「オーブ」によって象徴的に表現された。 その光線の手は、人間の精神力を表したと思しき「アンク十字」を握ったものもある。 「アンク」とは、「神の霊」 「永遠の生命」という意味だ。 「太陽円盤」または「オーブ」は、生命そのものであるアトン神の霊の象徴だ。 かかる宗教思想を背景として、ファラオの身体的な妖艶性を誇張してデフォルメ表現した「アマルナ美術」を生み出した。 ファラオの名称も、「アメン神は満足し給う」という意味のアメンホテプ4世から、「唯一神アトンに愛される者」という意味のアクエンアトンに改名した。 また、前1351年頃に「アトンの地平線」という意味の「アケトアトン」と名付けたテル・エル・アマルナを新しい首都に定め、旧体制の根付くテーベ(現ルクソール)から首都を移転した。 アクエンアトンの墓は、1907年に英国の考古学者エドワード・R・アイルトン(1882~1914)によって「王家の谷」(KV55)で発見された。 しかし、『アクエンアトンと思しきミイラは、白骨化しているため一般非公開だ。 また、DNA鑑定の結果、正常な男性の遺伝子を持つことが判明した』 という。 なお、考古学者兼政治家 ザヒ・ハワス(1947~)は、2010年に、『 「王家の谷」(KV55)のミイラは、恐らくアクエンアトンであろうが、STR分析※ を継続する必要がある』 と米国医学誌に寄稿した。 つまり、アクエンアトンのミイラか否かを確定できない状況にある。 現代社会から3300年以上も昔の、政治的・宗教的な抗争を続けた古代エジプト史、王家の近親婚、墓の盗掘を考慮した場合、アクエンアトンのミイラか否かを確定することは極めて困難だ。
※ STR分析: ヒト培養細胞のサンプルからShort Tandem Repeat 遺伝子型を決定する分析方法

B. スメンクカーラー (在位:前1335~前1334) 治政1年間、第18王朝 第11代ファラオ
 スメンクカーラー SmenkhKaRa とは、「生あるものはラー神の出現」という意味である。 王妃はアクエンアトンの王女メリタトンであり、子女の存在は不明だ。 スメンクカーラーは、アクエンアトンと共同統治を行ったが、メンフィスを本拠地とする旧体制のアメン神官団とアマルナを首都とする新体制のアクエンアテンとの意見調整を行っていたという。 スメンクカーラーのレリーフ等の遺物が少なく、墳墓も特定されておらず、アクエンアトンとの血縁関係など、その実像は不明だ。 スメンクカーラーの墓は、未だに不明である。 ミイラなし。

C. トゥトアンクアメン (在位:前1333~前1324) 治政9年間、第18王朝 第12代ファラオ
 トゥトアンクアメン Tut-ankh-amen とは、「アメン神の霊を持つ者」 「アメン神の生ける似姿」という意味である。 日本語の慣習により、ツタンカーメンとも表記される。 父アクエンアトンと、その姉妹の間に生まれたファラオだ。 しかし、大神官アイの傀儡と化した青少年のトゥトアンクアメンは、父アクエンアトンの布教した唯一神アトン信仰を反故にして、伝統的なアメン=ラー神を中心とする多神教に回帰した。 また、首都をアマルナからテーベ(現ルクソール)とメンフィスに戻した。  トゥトアンクアメンの墓は、1922年に英国の考古学者ハワード・カーター(1874~1939)によって「王家の谷」(KV62)で無盗掘の完全な状態で発見された。  トゥトアンクアメンは、身長165cmの華奢な体格で、左大腿骨の骨折死またはマラリアなどの感染症により死亡したが、その推定年齢は19歳だった。 ミイラあり。 さて、トゥトアンクアメンの副葬品に注目すると、鉄製の錆びない短剣・ ガラス製の宝石・ 二体の奇形児のミイラ・ ニンニクなどを挙げられる。 つまり、高度な製鉄技術・ガラス製造技術は、トゥトアンクアメンの統治時代に既にあった。 また、頭部と目が異様に大きく、手の指の長い二体の女児の奇形児のミイラは、いわゆる「グレイ」と同じ風貌であり、異次元世界との濃密なコンタクトを暗示するし、ニンニクの副葬品は、その殺菌消毒作用や魔除けの効用に精通した古代エジプト魔術を彷彿とさせる。

D. アイ (在位:前1323~前1319) 治政4年間、第18王朝 第13代ファラオ
 アイ Ayのファラオの名称は、ケペルケペルウラー Kheperkheperure であり、「神はラーの徴なり」という意味である。 ファラオの名称よりも、大神官アイ としての名声が高い。 アイは、ミタンニ族の父イウヤ Yuya の子。 アメンホテプ3世の正妃ティイ Tiy の弟。 仮定の妻は「イシスの歌姫」 テイ Tey。 王妃ネフェルティティと、その妹のムトネジメット Mutnedjmet の父。 アクエンアトンスメンクカーラーの叔父。 女王メリタトンや女王アンケセナーメンなどの祖父と考えられている。 少年ファラオのトゥトアンクアメンが即位すると、アイは、唯一神アトン信仰を破棄させ、旧来のアメン信仰を復活させ、首都をアマルナからテーベ(現ルクソール)に戻させた。 アイに嫡男はなく、同郷の義兄弟の軍司令官ナクトミン Nakhtmin を後継者に指名した。 アイの墓は、1816年にイタリヤ人の探検家にして古代遺物収集家 ジョヴァンニ・バチスタ・ベルゾーニ(1778~1823)によって「王家の谷」(KV23)で発見された。 ミイラなし。

E. ホルエムヘブ (在位:前1319~前1292) 治政27年間、第18王朝 最後のファラオ
 ホルエムヘブ Horemheb とは、「ホルス神は歓喜する」という意味である。 ホルエムヘブ は、アメンホテプ3世の時代から王家に仕えた軍人であり、トゥトアンクアメンの時代には将軍だった。 高齢ファラオのアイの死後、後継者に指名されていた軍司令長官ナクトミンを打倒してファラオに即位した。 ホルエムヘブ は、アイの娘である王妃ネフェルティティの妹ムトネジメット Mutnedjmet を娶っていたため、男系の血統を問わない古代エジプト王朝の継続性を保った。 ホルエムヘブ自身の血統は不明だ。 ホルエムヘブの墓は、1908年に英国の考古学者エドワード・R・アイルトンによって「王家の谷」(KV57)で発見された。 ミイラなし。

F. ラメセス1世 (在位:前1292~前1291) 治政1年間、第19王朝 初代ファラオ
 ラメセスとは、「ラー神が創りし者」という意味である。 ラメセス1世 RamessesⅠは、第19王朝の創始者だが、王族ではなく、下エジプトのデルタ地帯の出身で、ホルエムエブの時代の宰相・軍司令官であった。 「ラー神の娘」を意味する王妃シトラ Sitre との間に次代のファラオとなるセティ1世 Seti I を生んだ。 息子のなかったホルエムヘブは、在世中からラメセス1世を後継者に指名していた。 なお、ラメセス1世の墓と、そのミイラに関する風聞は、『1994年にメンフィス近郊の埋葬地サッカラにおいて墓を発見した』 『イタリヤ人の探検家 ジョヴァンニ・バチスタ・ベルゾーニによって1817年に 「王家の谷」(KV16)から盗掘されて行方不明であったが、2000年に米国アトランタで王妃のミイラと共に発見された』 『 「王家の谷」のどこかに、急きょ準備された未完成の墓に埋葬されているはずだ』 といった情報があるものの、いずれも、ラメセス1世の墓とミイラである客観的な証拠はない。 つまり、『ラメセス1世は、モーセの出エジプトの時のファラオであり、前1291年に紅海の中で溺死したため、そのミイラは発見できない』 と考えられる。 ミイラなし。
出エジプト14: 6- 7 『そこでパロ(ファラオ)は戦車を整え、自分でその軍勢を率い、えり抜きの戦車六百とエジプトの全戦車を、それぞれ補佐官をつけて率いた。』
出エジプト14:28 『水はもとに戻り、あとを追って海にはいったパロ(ファラオ)の全軍勢の戦車と騎兵をおおった。 残された者はひとりもいなかった。』

G. セティ1世 (在位:前1290~前1279) 治政11年間、第19王朝 第2代ファラオ
 セティ1世 Seti I は、ラメセス1世と王妃シトラSitre の息子である。 セティとは、「セト神の立てた王」を意味する。 セティ1世は、王妃ツヤ Tuya との間に次代のファラオとなるラメセス2世 RamessesⅡ をもうけた。 セティ1世は、アビドスにオシリス大神殿・葬祭殿、カルナックにアメン神殿、現ルクソールの「王家の谷」に自己の墓を建設した。 「王家の谷」のセティ1世の荘厳な墓は、1817年に探検家ベルゾーニによって発見された。 また、葬祭殿の壁画の中に「アドビスの王名表」が彫刻されており、考古学上の一級資料となっている。 セティ1世は、戦争指導者として優秀であり、念願の「カデシュ」と呼ばれるシリアの町を占領し、西アジア・ カナン・ リビア・ ヌビア の各地方の戦争にも勝利して、エジプト領土と支配力を広げた。 セティ1世の墓は、1817年にイタリヤ人の探検家 ジョヴァンニ・バチスタ・ベルゾーニによって「王家の谷」(KV17)で発見された。 ミイラあり。

H. ラメセス2世 (在位:前1279~前1213) 治政66年間、第19王朝 第3代ファラオ
 ラメセス2世 RamessesⅡは、セティ1世と王妃ツヤ の王子として第3代ファラオに即位した。 その治世第5年の前1274年、総勢2万の軍勢を率いて「カデシュの戦い」に親征し、ムワタリ2世 Muwatalli II (在位:1295~1272)の率いるヒッタイト軍と戦った。 決着がつかないまま、長年間にわたって戦争を続けたのち、治世第21年(前1258)に、エジプトとヒッタイトの両国は平和条約を結んで休戦し、ラメセス2世はヒッタイト王女を王妃に迎えた。 ラメセス2世は、自己の神的な権力を国内外に誇示するため、多くの戦勝記念碑を建て、テーベ(現ルクソール)・ カルナックの神殿を整備し、テーベ(現ルクソール)に巨大な葬祭殿ラメセウスを造営し、アブ・シンベル神殿の出入口に自己の巨大な彫像を残した。 だから、今日まで 「古代エジプト最大の王」 と呼ばれている。 また、ラメセス2世は、テーベ(現ルクソール)に神官団の宗教機能だけを残し、政治と経済の中心地を地中海に面した河口都市ペル・ラメセス(現カンティール)に遷都した。 しかし、新しい首都ペル・ラメセスに建造された幾多の建築物は、エジプトの衰退と共に、その石材を他に活用するために解体され、首都ペル・ラメセスの存在を物語る遺跡は、未だに発掘・発見されていない。 ラメセス2世の墓は、1881年に「王家の谷」(KV7)で発見されたという。 ミイラあり。


( 編 集 中 )




公開2016(平成28)年2月11日(木)09:30
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