2012年8月14日火曜日

『 イエス之御霊教会の霊的沿革 』



【 1 】 序文

 「神」である、われらの主イエス・キリストが予知した、あらゆる国民と民族の未来像に基づく 「神の御計画」(世々の経綸 )は、預言という形で『聖書』の中に示されている。 そして、多くの預言は、あらゆる国民と民族の歴史において成就してきたし、これからも成就し続けるであろう。 なお、本編では、主イエス・キリストの降誕を含む数々の預言が成就してきたことを説明している時間的な余裕はない。 このため、「神」の御意に沿って近代に勃興した新教プロテスタント教会の一部の宗派の概説をするに留めるが、これらの宗派も、時代を創造する使命を既に終えた過去の年輪に過ぎない。 そして、日本国のキリスト教界全体を見渡した場合、その洗礼者数・教理内容・伝道実績を比較すれば一目瞭然であるように、「生ける神」(マタイ 16:16 他)である主イエス・キリストと共に新時代を創造しつつあるのは、今や、イエス之御霊教会(英語:Spirit of Jesus Church)を含む極少数の教会のみである。 かくして、イエス之御霊教会の伝道者・牧師・教師・長老・信者は、主イエス・キリストから特別に愛されていることを自覚せねばならない。 但し、主イエス・キリストの御愛を自覚するためには、イエス之御霊教会の原基である「1933(昭和8)年の聖霊降臨」へと至るキリスト教会史における聖霊の働きを認識し、イエス之御霊教会の霊的な沿革及び、その預言された歴史的な使命を理解しなければならない。 そして、これを理解した暁には、イエス之御霊教会の創設者である村井ジュン(1897~1970)師と同様に「自分を捨てる」決意を固め、「自分の十字架」を背負わねばならない。(マタイ10:38同左16:24マルコ8:34ルカ 9:23)  さて、「自分を捨てる」とは、どういうことなのか? また、「自分の十字架」とは何なのか? これら一切は、聖霊が教えてくれるだろう。 ちなみに、人の外部からではなく、人の内部から教えてくれるのである。 即ち、人の「心」の中に降臨した聖霊が正しい答えを教えてくれる。 例えば、村井スワ(1900~1998)師の場合、『私が十八の時・・・声が聞こえてきました。「汝、我に従え」 「我限りなき愛をもて汝を愛す」と、・・・その声は、人の声と同じでした』(英国イエス之御霊教会の献堂式の講壇 1990年3月18日)と証言したように、人の声と同じ声によって教えて下さることも、夢などの別の形で教えて下さることもある。 人の「心」は、心理学的に言えば、意識(顕在意識)と無意識(潜在意識)から構成されているが、聖霊は、人を選び、人のうちでも特に真のクリスチャンの無意識(潜在意識)の中へ雨のように降り来たり、真のクリスチャンの「心」と融合し、その「心」に、歩むべき道・知るべき真理・得るべき永遠の生命を刻印する。  注釈: イエス之御霊教会は、日本聖書協会の文語聖書を用いているが、日本聖書刊行会の新改訳聖書(口語)の転載が容易であるため、これを用いた。 
「世々の経綸」 村井ジュン著 1937(昭和12)年5月1日 初版発行 非売品

マタイ 10:38-39
『自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。 自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。 』

マタイ 16:24
『それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。』

マルコ 8:34
『それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。』

ルカ 9:23
『イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。』


(1) 「真の教会」の出現に関する預言
A.「雛形」 「隠喩」 「暗号」によって記されている預言
 『聖書』、即ち、『旧約聖書』と『新約聖書』は、分かれて並列しているのではなく、樹木の横断面のように、『旧約聖書』という樹心を『新約聖書』という新しい年輪が取り囲むように構成されている。 さらに、『聖書』の中に示されている預言は、未来に起きる現象の予型または歴史的に繰り返される物事のパターン(様式)である「雛形」  ある物を別の物にたとえる「隠喩」  文意を解く上で鍵となる象徴的なキーワード及び数字を用いた「暗号」によって記されている。 例えば、日本聖書教会を前身とするイエス之御霊教会の創設者である村井ジュン師が考察したように、『聖書』に書いてある「先の雨と後の雨」 「秋の雨や春の雨」とは、気象の雨であると共に、天国(神の御国)より降り下る聖霊の「隠喩」である。 申命記 11:13-15エレミヤ 3: 1-3同左 5:22-26ホセア 6: 3-4ヨエル 2:23ゼカリヤ 10: 1ヤコブ 5: 7  そして、『聖書』の中に示されている預言は、聖霊に導かれている真のクリスチャンしか解くことができない。  ヨハネ5:39-40同左16:12-161コリント2:1-3:12テモテ3:16-4:72ペテロ1:18-2:3同左3:16  なお、本編においては、村井ジュン師による、その他の預言の解き明かしを省いた。

B.村井ジュン師による「真の教会」に関する預言の考察
 村井ジュン師は、聖霊誌 第72号 1941(昭和16)年7月1日 において、「真の教会」に関する預言を次のように考察した。 ・・・ 『今、此の真の教会(日本聖書教会を前身とするイエス之御霊教会を含む世界各国にある真の教会)に対する預言を考察して見ると、真の教会が此の地上に具現するものなる事がよく判るのである。 聖書には、先の雨と後の雨、即ち、秋の雨と春の雨との事が約束されてある。 秋の雨とは、初代教会に降り注がれた聖霊降臨の事であり、初代教会は、使徒行伝第二章にある聖霊の大降臨と共に成立したのである。 春の雨とは、末の日に降り注がるゝ聖霊降臨の事であり、聖霊降臨と共に初代教会は再現し、即ち、真の教会は復興するのである。 今、歴史を調べて見ると、左の図(省略)の如く、聖霊は、初代教会の隆盛期→ 微弱期→ 300年以降の枯渇期→ 1500年以降の微弱期→ 1900年以降の隆盛期へと推移しながら降臨している事に気が付くのである。 使徒行伝第二章に録(しる)されたる聖霊大降臨、即ち、秋の雨の大雨があって、キリストの教会は初めて成立し、御霊(聖霊)の著しき御活動があったが、第1世紀の末葉より、だんだんと聖霊の活動は不活発になり、第2世紀から第3世紀の頃より、聖霊の雫(しずく)となり、第4世紀頃には全く聖霊のなき時代となったのである。 これより謂ゆる聖霊の枯渇期に入り、1900年に至り、やっと春の雨なる御霊(聖霊)の雫が世界の此処其処に降り初めたのである。 而して現在の如く聖霊は何処にても求むるがまゝに与えらるゝ時代に入ったのである。 而して真の教会は復興し、キリストの体なる教会は、此の地(大日本帝国)に具現しつゝあるのである。 而して此の世界(地上世界)にある此の教会(日本聖書教会を前身とするイエス之御霊教会を含む世界各国にある真の教会)が一つになるのが、主の聖旨であり、御経綸であり、此の教会のみに救ひあり、此の教会のみが携挙さるゝのである。 此の携挙の日が近づいているのだ。 ぐづぐづしている時ではない。』

(2) イエス之御霊教会の歴史的な使命
 イエス之御霊教会の歴史的な使命とは、「水と霊」(ヨハネ 3:5)を伝道し、水と霊のバプテスマによる「真のクリスチャン」の教化育成に努め、「真の教会」を建設することにある。

ヨハネ 3:5
『人は、水と霊によって生まれなければ、神の国にはいることはできません。』

(3) 「真の教会」を建設しているイエス之御霊教会
 「真の教会」とは、『あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、あなたがたも ともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。』 (エペソ2:20-22 「神の宮」)を実現した教会のことであり、「キリストの花嫁」(2コリント11:2エペソ5:25-32黙示録19:7-8同左21:2同左21:9同左22:17 )にして、 「キリストの体」(エペソ1:23)なる教会のことである。 ちなみに、人が、心臓・肺・肝臓などの様々な器官から構成されているように、様々なクリスチャンも、主イエス・キリストにあって、一つの体(一つの教会)を構成する一部分である。 例えば、『一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。』(ローマ 12: 4-5 )とあり、『あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。』 (1コリント 12:27)とあるごとく、イエス之御霊教会が建設している「真の教会」は、唯一無二の「キリストの体」だ。

(4) 新教プロテスタント教会の一部の宗派の概説
A.エヴァンジェリズム(福音派)
 Evangelism 福音派とは、『ローマ教皇はキリストの代理人ではなく、司祭が罪を赦す告解制度など、ローマ・カトリック教会の教理と祭儀は、聖書に反する』と主張した英国のオックスフォード大学教授にして宗教改革の先駆者ジョン・ウィクリフ(1320頃~1384)、また、『免罪符の販売や聖職地位の売買をしてはならない』と糾弾したボヘミア(チェコ)のプラハ大学学長にして宗教改革の先駆者ヤン・フス(1370頃~1415)たちの聖書中心主義の思想を受け継ぎ、旧教カトリック教会の権威を否定したマルティン・ルター(1483~1546)たちの宗教改革を支持する新教プロテスタント教会全体を指し示す呼称である。 つまり、キリスト教会の権威を、旧教カトリック教会の組織・規則・教理・典礼に求めず、神の言葉である『聖書』の福音のみに求めるクリスチャンから成る新しい宗派を指す。 ちなみに、「福音」とは、『十字架上における主イエス・キリストの贖罪死により、神を冒涜してきた人の罪に対する、神の赦しが与えられた』という「良き知らせ」のことであり、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの四大福音書に示されている。 また、村井ジュン師によれば、『福音とは、コリント前書十五ノ三、四にあるやうに、我らの罪の為に死に、又葬られ、三日目に甦へり給ふたキリスト御自身である。その言葉を堅く守る事によって、救われると言ふことである。』 とされる。 さて、宗教改革の先駆者となったマルティン・ルターは、1517年、ローマ・カトリック教会による免罪符の販売などを非難する「95箇条の提題」を、自らの生誕地のドイツ・アイスレーベンにあるヴィッテンベルグ城教会の扉に貼りつけた。 そして、『人は、世俗的な功績によらず信仰によって救われる』 『信仰の唯一の基礎は、聖書のみにある』と主張し、中世の暗黒時代にクリスチャンの大量虐殺を繰り返したローマ・カトリック教会の改革を要求し、『私は神の子の代理人である。教会に服従しない者に救いはない』 と主張するローマ教皇の権威を否定した。 また、フランス生まれの神学者 ジャン・カルヴァン(1509~1564)も、ルター同様の宗教改革を推進した。 彼らの抗議行動から、旧教カトリック教会の非聖書的な在り方を改革する宗教改革運動が巻き起こり、現代の新教プロテスタント教会の勃興へと至った。 なお、「プロテスタント」とは、「抗議者」という意味だ。

B.メソジスト
 Methodist メソジスト派とは、英国国教会の司祭 ジョン・ウェスレー(1703~1791)が普及した敬虔主義的なプロテスタント運動の宗派である。 敬虔主義 Pietism とは、外面的には、『聖書』の神を深く敬い、私利私欲を滅した信仰生活を営むことを指すが、内面的には、『神が人となり給ふた』(1テモテ3:16)ことを信ずることである。 なお、英国国教会は、1534年に英国王ヘンリー8世(1491~1547)を英国カトリック教会の最高首長とする法令を制定することにより、ローマ・カトリック教会の支配から独立して成立した。 この教会は、英国聖公会とも呼ばれ、ローマ・カトリック教会の組織体制と典礼を継承しながらも、宗教改革から誕生した新教プロテスタント教会の反カトリックの教理を採り入れたため、旧教カトリック教会と新教プロテスタント教会の中間的教会と考えられている。  ウェスレーが推し進めたプロテスタント運動は、「産業革命」と「市民革命」という激しい社会変化に翻弄され続ける庶民に対する野外説教・路傍伝道などの新しい伝道の方法 Method を探究し、貧民救済・病人慰問・聖書講釈時の伝道方法を律儀に守ることから、方法主義者 Methodist と呼ばれ、英国国教会から離脱すると、これがウェスレーの普及した宗派の名称となった。 新教プロテスタント教会の新興宗派であるメソジスト教会は、英国植民地からの独立を目指した米国独立戦争(1765~1783)以降の米国を中心に興盛した。 さて、近代日本と新教プロテスタント教会の関係を見ると、英国発祥のメソジスト派とは異なる、カルヴァン主義の米国オランダ改革派教会の伝道者サミュエル・ロビンス・ブラウン(1810~1880)が、『新約聖書』の最初の和訳に取り組んだ。 ブラウンと同じ宗派のグイド・フルベッキ (1830~1898)は、明治維新の志士たちを知的に啓蒙して明治維新に協力し、その後、明治新政府の顧問に就任した。 また、カルヴァン主義の米国長老派教会の伝道者ジェームス・カーティス・ヘボン(1815~1911)は、和英・英和辞典を最初に編纂し、ヘボン式ローマ字を創始した。 彼らのような新教プロテスタント教会の伝道者たちが、江戸時代末期から明治時代初期における大日本帝国の文化と社会の発展に大きく貢献した。

C.ホーリネス
 Holiness ホーリネス派とは、『主イエス・キリストの磔刑死による万人の罪の贖いを信ずる者は、自らの罪を、聖霊によって清めてもらえる』 と信ずる、1870年代の米国から起きた、敬虔主義的なプロテスタント運動の宗派である。 聖潔派・きよめ派とも呼ぶ。 ホーリネス派は、『主イエス・キリストの磔刑死による万人の罪の贖いを信ずることによる、聖霊を通じての罪の清め』を伝道する。 中田重治(1870~1939)は、東京市 千代田区 神田神保町に中央福音伝道館を米国人の宣教師 チャールズ・E・カウマン(1864~1924)と共に1901(明治34)年3月11日に創設し、ホーリネス派を日本国内で最初に普及した人物である。 なお、カウマン夫妻は、神から『日本に行け』との召命を受け、1901(明治34)年に初来日したのであった。 中田重治は、この後の1905(明治38)年に東洋宣教会を、1917(大正6)年に東洋宣教会日本ホーリネス教会(1917~1936)を創設した。 中田重治は、「日ユ同祖論」を深く信奉し、1932年11月の淀橋聖会で、『聖書より見たる日本』という連続講演を行い、『黙示録7章の東方の天使とは、日本国の黙示である』 『イスラエルのための祈りを行わねばなならない』 と伝道し、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害を逃れて大日本帝国へ亡命してきたユダヤ人を援助した実績を持つ。 彼の黙示録解説と親ユダヤ主義は、聖霊による啓示に他ならず、極めて先進的かつ霊的な伝道活動であった。 但し、自己の理性で捉えきれないペンテコステ派を最後まで容認しなかった。 ちなみに、21世紀現在のホーリネス派の筆頭教会は、東京都 新宿区 百人町にある淀橋教会であるが、この教会は、ジョン・ウェスレーの信仰とメソジスト教会の神学を受け継ぐ「ウェスレアン・ホーリネス教団」を自認している。 つまり、ホーリネス派の教理は混乱を極め、1870年代から高揚した『聖霊を通じての罪の清め』 という聖霊の働きを重視する信仰を忘却し、1700年代のウェスレーの啓蒙的な知性を重視する信仰へと後退してしまい、もはや、聖霊の働きを身を以(もっ)て実感できない信仰状態にある。 ホーリネス派は、その100年間の歩みが実証したように、聖霊を観念的に認識しているにすぎず、聖霊との一体化(受霊)による人格の陶冶を望むべくもない。 なお、英語のホーリネス Holiness は、ローマ教皇(「ローマ法王」とも表記される)の「尊称」でもある。

D.ペンテコステ
 Pentecoste ペンテコステ派とは、ギリシャ語及びラテン語であり、ユダヤ教における過越祭の50日後に行われる七週節・五旬節のことであり、キリスト教における聖霊降臨祭のことである。 原始キリスト教である初代教会において、主イエスの昇天後に、その使徒たちが体験した「ペンテコステの日」(『新約聖書』の使徒2章1節~4節)の不思議を教えるキリスト教派は、使徒たちの時代から現代に至るまでの間、世界中に存在した。 但し、近代のペンテコステ派とは、1901年に米国カンザス州トピカにあるベテル聖書学院で行われた年末年始の祈祷会で、その指導者であるチャールズ・フォックス・パーハム(1873~1929)をはじめとするベテル聖書学院の神学生たちが 聖霊のバプテスマ を体験し、異言で神を讃美した現象に始まる聖霊中心主義のプロテスタント運動をいう。 なお、村井ジュン師によれば、『ペンテコステ教会が祝されて来なかった原因は、聖霊のあるを知りて之を高調せず、異言の祈りを禁じたところにある。』 [ 聖霊誌 第72号 1941(昭和16)年7月1日 ] という。 『新約聖書』に書いてある「ペンテコステの日」とは、次のものだ。 使徒1:4-5 『彼ら(使徒たち)といっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。 「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。  ヨハネ(洗礼者ヨハネ) は水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」』 という主イエス・キリストの預言が成就したのである。 即ち、使徒2:1-4 『五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。  また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。』 とある。 なお、この聖句にある「他国のことば」とは「異言」を指す。 また、「みな」とは、使徒1:13-14 『彼らは町にはいると、泊まっている屋上の間に上がった。 この人々は、ペテロヨハネヤコブアンデレピリポトマスバルトロマイマタイアルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンヤコブの子ユダであった。 この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。』 に加え、裏切りの者のユダに代って新たに使徒に加えられたマッテヤを含む約百二十名と考えられる。 この時点におけるサウロ (後の「異邦人への使徒」 パウロ)は、昇天後の主イエス・キリストの御声(使徒9:1-20、同左26:12-20 )を聞いておらず、まだ使徒ではなかった。



【 2 】 イエス之御霊教会の創設者 村井ジュン

(1) 村井ジュンの生い立ち
 村井ジュン※は、1897(明治30)年6月27日~1970(昭和45)年3月26日に生没した、イエス之御霊教会の創設者・初代監督・牧師である。※  「ジュン」の漢字は、「屯」の下に「二」を書く。 (以下、敬称略)  村井ジュンは、鹿児島県の加治木町にメソジスト教会の牧師である父・村井競(きそう)と母・きぬの次男として生まれた。 父のは、1900(明治33)年に、長野忠恕の後任として沖縄県に派遣され、那覇と読谷(よみたん)において、新教プロテスタント教会のキリスト教を伝道し、牧会を開いた。 特に読谷の住民への伝道では、連鎖的な信仰覚醒が起こリ、一村全部の100名以上が同時に洗礼を受けたといわれ、熱血的な伝道者として有名な牧師であった。 ちなみに、村井競牧師が伝道したメソジスト読谷教会は、現在、日本基督教団の読谷教会となっている。

(2) 米国メソジスト監督教会の宣教師 ジェシー・B・ソーントンとの出会い
 村井ジュンの兄である村井一(はじめ)は、米国メソジスト監督教会の宣教師を務めていた英国人のジェシー・B・ソーントン(1875~1959)の一家が、兵庫県 神戸市 東部の東明に居を構えた1917(大正6)年に通訳として同居した。 その翌年、村井ジュンも加わって、J・B・ソーントンの一ヶ月余に及ぶ岡山県内における大天幕伝道を手伝った。 当時の村井一ジュン兄弟は、メソジスト系の青山学院高等部・人文科・神学本科の学生であったが、J・B・ソーントンの霊的な力に満ちた説教を聴いて圧倒された。 これに関して、村井一は、『自分は伝道者になるつもりで神学を学んでいるが、自分の救いさえも不確かであることを発見した』と語り、『神学では、人は救われない』という結論に達した。 弟の村井ジュンも同様であったようで、青山学院で学ぶ教条的な神学と、内心から燃え上がる霊的な探究心との板ばさみになる信仰の葛藤に陥った末、一時は自殺まで考えたほどであった。 なお、J・B・ソーントン宣教師は、 1919年(大正8)年に丹波柏原(兵庫県 丹波市 柏原)への伝道を始め、1926(大正15、昭和元)年に米国へ帰国するまでの間、1922(大正11)年に日本自立聖書義塾を開講して『聖書』を教え、路傍伝道を行い、柏原教会を創設し、生計のために、大日本帝国で最初のピーナッツ・バターの製造・販売を行った。 ちなみに、J・B・ソーントン宣教師の伝道により、クリスチャンとなった石川郁二郎が創業したピーナッツ・バター等の製造・販売会社が、現在のソントン食品工業である。



【 3 】 1918(大正7)年9月8日の聖霊体験

(1) 異言を伴う聖霊のバプテスマ
 自殺まで考える葛藤の渦中にあった村井ジュンは、1918(大正7)年9月8日、岡山県 児島湾の蒸気船上で、突然、異言を伴う聖霊のバプテスマを受けた。  この時の聖霊体験の様子は、1933(昭和8)年8月15日発行の草苑誌 第7号 「聖霊を受けよ」 及び 聖霊誌 第34号 「大正7年9月8日」 の中にある。 次の(2)の記事が、それであるが、この記事の中にある、「すてよ!」 という天からの御声は、主イエス・キリストの御声であること、 そして、「すてよ!」 の意味は、『聖書』を深く学んだ者である限り、自分を捨てること、即ち、財産への執着心、破廉恥な欲望、世俗の人間関係、神をないがしろにした罪深き人生、 そして、何よりも、神と人への愛と義のために自己犠牲を果たし、殉ずることを意味すると悟るだろう。 また、テーラー夫妻との出会いから日本聖書教会の牧師に就任するまでの経緯に関しては、次の(3)に示した聖霊誌 第58号 「使命に立ちて」 1940(昭和15)年4月1日の記事に見られる。

(2) 草苑誌 第7号 「聖霊を受けよ」 及び 聖霊誌 第34号 「大正7年9月8日」 の記事
 『イエス、バプテスマを受けて直ちに水より上がり給ひしとき、視よ、天ひらけ、神の御霊の、鳩のごとく降りて 己が上にきたるを見給ふ。 また天より声あり、曰く「これは我が愛しむ子、わが悦ぶ者なり」(マタイ伝第3章16~17節)   「すてよ!」 天からのみ声、「ハイ!」 たちまち肩からドッと重たいものが落ちて 口をついて出た・・・ 「ギリシタン・マーリア」 それから止めども無く言葉にならない声が溢れ出てくる。  産声をあげた嬰児のように・・・平安、汝らに在れ・・・  聖霊を受けよ・・・ (ヨハネ伝第20章21~22節)  舳先に祈るこの青年の名は、村井ジュン。 これが日本で初めて、 主の約束の聖霊、異言の伴う聖霊降臨のようすであった。 同船していたのは、いとこの三好誠さんとミセス・テーラー。 時は、大正7年(1918年)9月8日午後6時、児島湾、下津井から岡山に向かう小蒸気船の上。 今にも沈まんとする夕陽に映えて金波銀波がおどっていた。 今生に別れを告げ、身を海に投げようと決意していたとは 思えないほど、今や彼の顔に感激の涙が溢れる。 既に、あの陰うつな影は消え失せ、喜びに照り輝いていた。 「ジュンさん、あなたの顔は・・・」  岡山教会に戻ると宣教師のソントン先生が驚きの声をあげた。 既に神のみ手が触れて「新しき人」となった彼を見て、よろこび迎えたという。』 

(3) 聖霊誌 第58号 「使命に立ちて」 1940(昭和15)年4月1日
 『テーラー御夫婦は、元日本伝道隊に属し、東京警官ミッションで宣教に従事していられたが、夫人が帰英中、偶々ウェルスの大リバイバルに会い、此の異言の伴う聖霊のバプテスマを受けて、之こそ真の福音と悟り、再び来朝後は、専らペンテコステ信仰を宣べた為に、ヨハネ伝第十六章二節の 人汝らを除名すべし、然のみならず、汝らを殺すも者みな自ら神に事ふと思ふとき来らん。 との主の聖言に違わず、日本伝道隊を追われて九州 長崎市に滞在中、図らずも、当時中学生であった私は、此の夫人を識り、改心、入信。 おお如何に我らが信仰に燃えいた事よ。 時は大正二年(1913年)の春。 が、悲しきことに、夏期休暇帰省中に彼等は神戸に去り、その後、私は上京して神学校に学び、無音の中に五ヶ年は過ぎ去ったのであるが、人生問題に悩み、死を決し、今生のお別れにと、此の夫人を訪ねて岡山市に行った翌日、大正七年(1918年)九月八日の夕、相共に児島湾上の一小蒸気船上に在り、夫人は沈み行く夕陽を浴びて舳先に付して祈祷、従姉は讃美、私は唯涙。 突「棄てよ」との神の声を聴き、天よりの御光に照らされて、御霊を賜り神学校を退き、主に従ひて実際伝道に身を投じ、教会を建て、あるいは巡回伝道に従事していたが、昭和四年(1929年)ジュルゲンセン師に招かれて、東京に特別集会を致したのが、日本聖書教会の人達と実際的交渉を持つに至った初めなのである。』



【 4 】 村井ジュンの妻となる横田スワとの出会い

(1) ペンテコステ派の英国人テーラー夫妻との出会い
 英国人の伝道者であるテーラー夫妻は、英国国教会の宣教師 バークレー・フォーエル・バックストン(1860~1946)が創設した日本伝道隊 Japan Evangelistic Band の一員として、1905(明治38)年に初来日し、東京警官ミッションに従事していた。 英国に戻った時にウェールズの大リバイバルに出会い、異言の伴う聖霊のバプテスマを受けた。この証の伝道により、日本伝道隊を追われたが、1911(明治44)年、ペンテコステ派の伝道者として再来日を果たし、長崎市に滞在していた。 村井ジュンの従姉妹である三好誠は、テーラー夫妻の下でペンテコステ派の伝道者を務めていた。 この人脈から、16歳の村井ジュンは、1913(大正2)年に長崎市で、テーラー夫妻に会った。聖霊誌第58号昭和15年4月1日「使命に立ちて」には、次のように書いてある。・・・ 『ヨハネ伝第十六章二節の、人汝らを除名すべし、然のみならず、汝らを殺すも者みな自ら神に事ふと思ふとき来らん。 との主の聖言に違わず、日本伝道隊を追われて九州 長崎市に滞在中、図らずも、当時中学生であった私は、此の夫人を識り、改心、入信。 おお如何に我らが信仰に燃えいた事よ。 時は大正二年(1913年)の春。 が、悲しきことに、夏期休暇帰省中に彼等は神戸に去り、その後、私は上京して神学校に学び、無音の中に五ヶ年は過ぎ去ったのであるが、人生問題に悩み、死を決し、今生のお別れにと、此の夫人を訪ねて岡山市に行った・・・』  この記事に見られるごとく、村井ジュンは、テーラー夫妻のペンテコステ信仰に強く惹かれていた。 村井ジュンの霊的な人生の方向性を決めることになったテーラー夫妻は、米国メソジスト監督教会の宣教師 J.B.ソーントンとの深い協力関係を持っており、1918(大正7)年J.B.ソーントンが行った岡山での天幕伝道を引き継いだのも、テーラー夫人であった。 但し、テーラー夫妻に関する詳しい記録が見当たらず、聖霊に導かれていたテーラー夫妻の経歴は、今もって謎に包まれている。 

(2) 横田スワとの出会い
 大正7(1918)年9月8日午後6時の岡山県 児島湾における聖霊体験の日の前日の9月7日、村井ジュンは、青山学院の夏休みを終えて、長崎から東京市へ戻る途中、岡山に立ち寄り、従姉妹の三好誠を訪ねた。 この時、村井ジュン三好誠を訪ねて日本伝道隊の岡山教会にやってきた時に、教会の玄関で応対したのが、兵庫県出身の横田スワだった。 二人は翌1919(大正8)年3月5日J・B・ソーントン宣教師の媒酌で結婚するに至る。 なお、イエス之御霊教会の牧師たちの伝承によれば、『横田スワ(第二代監督 村井スワ)は、孤児であった』 という。 このように、主イエス・キリストは、孤児などの名も無き社会的弱者を常に愛しく思い、信頼し、主の御意を成就するために頻繁に用いておられる。

(3) 異言を伴う聖霊のバプテスマ 大正7(1918)年9月8日午後6時 
 信仰の葛藤で苦しみながら、このまま、東京市の青山学院に戻るべきか迷っていた村井ジュンは、1913(大正2)年に長崎で面会したテーラー夫妻のペンテコステ信仰に惹かれるものがあって、大正7年(1918年)9月7日、再度、テーラー夫人と三好誠を訪ねた。 そして、村井ジュンの信仰の悩みを聞いたテーラー夫人と三好誠は、村井ジュンに聖霊のバプテスマを受けるように勧めたと思われる。 この訪問の翌日の9月8日午後6時、村井ジュンは、テーラー夫人と三好誠と共に乗船していた児島湾の蒸気船上で異言を伴う聖霊のバプテスマを受けた。 この際、テーラー夫人と三好誠の二人は、信仰の葛藤に悩んで、今しも蒸気船上から投身自殺をしようとした村井ジュンの頭に手を置いて異言の祈りを続け、『聖霊を求めて祈れ。ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤと唱え続けよ』 と霊的な助言を行う神秘的な雰囲気の中で、村井ジュンが異言を発したと思われる。

(4) ペンテコステ派の先駆者 レオナード・W・クート
A.テーラー夫妻の影響力
 大正時代の大日本帝国にペンテコステ派を最初に伝道した英国人のレオナード・W・クートが、ペンテコステ信仰を持つに至ったのは、テーラー夫妻の影響力によるものであった。 なぜなら、レオナード・W・クートが初めて異言を語ったのは、同じ英国人のテーラー夫妻の自宅で行われた聖霊待望会に於いてであったことが、レオナード・W・クートの自伝 『不可能は挑戦となる』に記されているからだ。 この当時、英国人のJ・B・ソーントンテーラー夫妻は、自宅で、しばしば、このような家庭集会における聖霊待望会を開いていた。 また、J・B・ソーントン自身も、ペンテコステ派の影響を強く受けていたようで、毎週の説教の中で『聖霊のバプテスマを受けよ』と語っていたことが、同じく『不可能は挑戦となる』の中に記されている。 なお、J・B・ソーントンテーラー夫妻が相互に伝道協力する親密な人間関係にあったことを考えると、J・B・ソーントンは、米国メソジスト監督教会の宣教師ではあったが、その信仰及び人脈には、ペンテコステ派の影響が強く見受けられる。 そして、20歳の青年 村井ジュンの信仰心にも、J・B・ソーントンテーラー夫妻のペンテコステ信仰が、色濃く反映されたと考えられる。

B. ペンテコステ派の牧師 レオナード・W・クートの経歴
 1891(明治24)年4月22日に英国にて生誕。 1913(大正2)年に22歳で初来日した。 (奇遇なことに、『日本に行け』という主の御声を聞いたペンテコステ派のドイツ系米国人 C.F.ジュルゲンセン師も、1913年に51歳で初来日した。)  翌年の1914(大正3)年、23歳で聖霊のバプテスマを体験した。 1918(大正7)年に27歳で独立牧師となる。 1923(大正12)年9月1日に関東大震災が起きる。 32歳で関西地方への伝道を開始する。 1924(大正13)年に奈良県に生駒聖書学院のための土地を購入し、1927(昭和2)年に最初の建物を建設した。 この後、米国・カナダ・英国への伝道を行う(34歳)。 1929(昭和4)年の世界的な経済恐慌の最中に生駒聖書学院を開校する。 1941(昭和16)年に日米戦争(第二次世界大戦)の開始を予感させる緊迫した国際情勢になったため、米国へ移住する(50歳)。  米国テキサス州サンアントニオ市に万国聖書学院及びリバイバルテンプルを創設。 第二次世界大戦終結後の1950(昭和25)年に再来日し、生駒聖書学院及び教会の復興を行う(59歳)。 1952(昭和27)年に大阪市西成区に大阪救霊会館を設立(61歳)。  1957(昭和32)年に韓国伝道を始め、中都聖書神学院及び教会設立。  1960(昭和35)年に韓国に太田救霊会館を設立。  1963(昭和38)年に来日50周年記念(72歳)を祝う。 1965(昭和40)年に『不可能は挑戦となる』を出版(74歳)。  1969(昭和44)年2月22日、米国テキサス州サンアントニオ市で召天(78歳)。

(5) 米国メソジスト監督教会の宣教師 J・B・ソーントンの下での伝道活動
 村井ジュンは、大正7(1918)年9月8の蒸気船上での「すてよ!」との神の御声を聞き、異言を語るという神秘的な聖霊体験を通じて、『人が救われるのは神学ではない。聖書通り、聖霊のバプテスマを受けることによる』 という確信を得た。 このため、直ちに青山学院を中退し、ピーナツ・バターを日本人に最初に普及した米国メソジスト監督教会の宣教師 J・B・ソーントンの下での伝道を開始した。 英国人の宣教師 J・B・ソーントンは、1913(大正2)年から、英国国教会の宣教師 B・F・バックストンが創設した日本伝道隊の神学校・神戸聖書学校の教師を務めた。 また、大日本帝国にいち早く、ペンテコステ派を伝道した英国人のレオナード・W・クートにも、非常に強い影響を与えた。 その後のJ・B・ソーントンは、1918(大正7)年に日本伝道隊を辞任し、独自の伝道活動を始め、丹波柏原(兵庫県 丹波市 柏原)地域への伝道を1919(大正8)年から行い、1922(大正11)年に日本自立聖書義塾を創設して、独立自給のキリスト教指導者の育成を始めた。 この神学校は、聖書研究・労働・伝道を三本柱とする教育理念を掲げ、神学生たちは、この教育理念に基づく神学教育を受けた。 つまり、早朝から昼までの聖書講義、午後から夕方までピーナッツ・バターの製造等の労働、夕方から深夜は伝道活動という信仰生活により、神学生たちは、J・B・ソーントンから生きた神学教育を学んだ。 但し、村井一・ジュン兄弟は、ピーナッツ・バターの製造を、『信仰とは無関係なアルバイト』 と考え、これに関与せず、この神学校の教師として活躍した。 村井ジュンは、神学校の伝道部長として、J・B・ソーントンに代わって路傍伝道の陣頭指揮をとる重責も任された。ちなみに、日本自立聖書義塾は、1926(大正15、昭和元)年J・B・ソーントンの帰米後、日本伝道隊の神戸聖書学校の御影聖書学舎に合流して、現在の関西聖書神学校の源流となった。

(6)東京市にある日本聖書教会の牧師となる
 1929(昭和4)年、日本伝道隊の岡山教会の牧師としてペンテコステ派の伝道をしていた32歳の村井ジュンは、米国オハイオ州クリーブランドから来日していたペンテコステ派の C・F・ジュルゲンセンから招かれて東京市へ行き、ペンテコステ派の特別集会を開催するようになった。 この特別集会において、日本聖書教会の信者たちとの交わりを持つに至った。 その後、日本伝道隊の岡山教会の牧師を辞任し、1932(昭和7)年11月1日、日本聖書教会の牧師に就任した。 

※ カール・フレデリック・ジュルゲンセン(1862~1940)師は、ドイツ帝国(統一ドイツ)が1871年に樹立される9年前の1862年にシュレスビッヒ・ホルスタインで生まれた。 後に、米国オハイオ州クリーブランドへ移民し、この地で「聖霊のバプテスマ」を妻のフレデリッケに引き続いて受けた。 さらに、『日本に行け』という主の御声を聞き、これを「召命」として厳粛に受け止めた 51歳のC・F・ジュルゲンセン師は、1913年に妻と娘二人を連れて大日本帝国の横浜港へ赴(おもむ)いた。 2013年は、C・F・ジュルゲンセン師の来日100周年である。 なお、C・F・ジュルゲンセン師の伝道活動の詳細に関しては、ネット上のYouTubeの動画 『C・F・ジュルゲンセン師来日100年記念』を参照して頂きたい。(http://www.youtube.com/watch?v=V24iTx_QjTA)  大日本帝国の東京市を中心にペンテコステ派の伝道活動を行っていたC・F・ジュルゲンセン師と ペンテコステ派の信仰を深めていた村井ジュン師という主の御声を聞いた両者の回合が、「真の礼拝者たち」を集める起爆薬となった。

ヨハネ 4:23-24
『(イエスは、サマリアの女に語った。) 真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。 今がその時です。父は このような人々を礼拝者として求めておられるからです。  神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。』

ローマ 12:1
『そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。 あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。 それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。』

1ペテロ 2:5
『あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。 そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。』



【 5 】 日本聖書教会の長島ツル牧師との出会い

(1) 『聖書』に示されている異言の霊的な意味
 メソジスト的な規律のある信仰生活を送っていた村井ジュンは、最初、1918(大正7)年9月8日の岡山県児島湾の蒸気船上での聖霊体験を、あくまでも個人的で主観的な神秘体験と考えていたようだ。 しかし、日本聖書教会の牧師であった長島ツル(1906~1993)と出会い、『聖書』に示されている異言の霊的な意味を教えられた。

(2) 日本聖書教会の宮仲教会の牧師就任
 1933(昭和8)年村井ジュンは、長島ツルが代務をつとめていた東京市 豊島区 西巣鴨にある日本聖書教会の宮仲教会の牧師に就任した。 日本聖書教会の宮仲教会の所在地は、現在の地理で言えば、JR大塚駅の北西側にある宮仲公園周辺である。 日本聖書教会に集う信者たちは、牧師の村井ジュン、米国メソジスト監督教会の宣教師 ジェッシー・B・ソーントン、英国国教会の宣教師 バークレー・フォーエル・バックストンの三名を「アジアの三(さん)トン」と呼び習わし、彼らの伝道活動の偉業を称えた。 ちなみに、「ジュン」の漢字を音読すると「トン」になる。 また、日本聖書教会の牧師たちは、村井ジュンを指して「ライオン」と呼んだが、これは村井ジュンの説教が正に「獅子吼」のごとき迫力と凄みを持っていたからだ。 『村井ジュンの教えは、砂に水を撒いたように多くの人々に吸収された』 という。 21世紀の現在、村井ジュンの説教を録音したテープは、CDとなって一部の関係者に保管されており、聴くことができたが、あのヒトラーの演説に似ていたので強い衝撃を受けたし、その内容は極めて明快に『聖書』の核心を公開しており、直接的に精神と霊を揺さぶる力があると感じた。



【 6 】 大日本帝国への聖霊降臨 1933(昭和8)年7月23日

(1) 大日本帝国の東京市豊島区西巣鴨にある日本聖書教会への聖霊降臨
A.1933(昭和8)年の国際情勢
 1929(昭和4)年10月24日、米国ニューヨーク株式市場の大暴落から始まった金融恐慌は、やがて、世界恐慌となり、大日本帝国にも、昭和恐慌(1929~1936)として重くのしかかった。 1933(昭和8)年の国際情勢を見ると、ナチス党(国家社会主義ドイツ労働者党)党首のアドルフ・ヒトラー(1889~1945-)が、ドイツ共和国(ワイマール共和国)大統領のパウル・フォン・ヒンデンブルク(1847~1934)により、ドイツ共和国の首相に任命され、1933(昭和8)年1月30日ヒトラー政権を発足させた。 また、米国では、ニューヨーク州知事の民主党員フランクリン・デラノ・ルーズベルト(1882~1945)が、大統領選挙に勝利して1933(昭和8)年3月4日に第32代大統領に就任した。 このような国際情勢は、また、大日本帝国の盛衰を決する「分岐点の時代」でもあった。 そして、「神の御計画」(世々の経綸 )に基づき、1933(昭和8)年7月23日、東京市 豊島区 西巣鴨にある日本聖書教会の宮仲教会の日曜集会に突如として、『聖書』に預言されていた「後の雨」 「春の雨」である聖霊降臨が起こった。「後の雨」 「春の雨」という聖霊降臨の不思議な心霊現象は、聖書の預言から『今後の近未来に世界規模で再度起こる』とも言われている。

B.1933(昭和8)年7月23日、東京市豊島区西巣鴨における聖霊降臨
 1933(昭和8)年7月23日、東京市 豊島区 西巣鴨にある日本聖書教会の宮仲教会の日曜集会に参加していた信者たちは口々に異言を発し、我を忘れて歌い踊った。 この時の聖霊降臨に基づくリバイバル により、村井ジュンは霊的指導者としてのカリスマ性を大勢の信者に公認され、日本聖書教会の監督に就任するに至った。 この当時の日本聖書教会内には、監督の村井ジュンが率いる教派と、牧師の弓山喜代馬(1900~2002)が率いる教派の二つ派閥があったが、聖霊を受けた証である異言を重視しながら真の教会を建設すべきことを実践的に説いた村井ジュンと、ホーリネス派のごとく、イエス・キリストによる罪の贖いを信仰すれば、聖霊による罪の清めに与れることを観念的に説いた弓山喜与馬との教理面の相違によるものである。 なお、弓山喜代馬は、米国オハイオ州から来日したペンテコステ派の C・F・ジュルゲンセン夫妻が、私財を投げ打って1927(昭和2)年に献堂した東京市 北区 滝野川にある神召教会の初代牧師として活躍したが、この流れが現在の日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団へと続いている。  英語のリバイバル Revival とは、聖霊降臨による信仰復興・ 霊的な死からの蘇り・ 連鎖的な信仰覚醒を意味する。

(2) 聖霊降臨によるリバイバルの様子
 1933(昭和8)年7月23日、東京市 豊島区 西巣鴨にある日本聖書教会の宮仲教会における聖霊降臨こそが、イエス之御霊教会の実質的な始まりである。 この時のリバイバルの様子が、聖霊誌1939(昭和14)年8月1日発行に掲載されている。・・・ 『懐かしの7月23日!! 我らにとりては、種々な意味に於いて記念すべき日だ。 満6年前の即ち昭和8年7月23日の日曜夜の事であるが、午後10時、俄然、聖霊は当教会に臨み給いて、全会衆を覆い給うた。 輝ける主の臨在、透き通れる主の臨在、誰かよくその日の光景を叙述し得ようぞ。 霊気は堂内に漂うて、皆聖霊に酔わされている。 聖霊の御支配の中に、夢路を辿るが如き思いの中に、或者は俯き、或者は上を仰ぎ、或者は横に倒れ、又或者は感泣し、或者は唯唖然として、いにしえの聖霊降臨の日も斯くやありしならんと思わるる状況を呈していた。  その中、横江兄が教会を出て行こうとなさる姿を見た私(注:村井)は、講壇を下りて言った。 「兄弟、どうしたのですか?」 「悪魔の圧迫を感じて祈りが出来ません。」 「そうですか。教会で祈れなくて、どうして家で祈れましょう。 あなたの奥様は未信者でしょう。 勝利を得てお帰りなさい。」と、兄弟を引留めて、下駄箱の前に共に跪き按手すれば、突然、聖霊は兄弟に臨み、兄弟は両手をひろげ、立つかと思えば倒れ、立つかと思えば倒れ等して、半時間余も主の御取扱いを蒙りつつ聖霊に満たされている。 側には、大木兄が横たわったまま 「ねえ、エス様・・・」と静かに、和やかに対話しておられる。 伊藤兄は、うつむいて小声で祈っておられる。 阿部兄は酔わされた人のごとく、講壇の前を行きつ戻りつ、手を叩きながら、主を讃美しておられる。 講壇の近くには、見よ、兄姉方が一群になって猛烈に祈っている。 我らは唯、この不思議な主の聖業に驚嘆して、言い尽くせぬ感謝、讃美、歓喜の中に散会した。 時は十一時半。』 



【 7 】 1941(昭和16)年6月4日、大日本帝国の外地の台湾への訪問

(1) 台湾の真耶蘇教会からの招待
A.真耶蘇教会の教理
 1941(昭和16)年6月4日、日本聖書教会の教師5名、即ち、監督の村井ジュン上井乙熊川崎一太田(不詳)、長島ツルは、大日本帝国の領土であリ、台湾総督府によって統治される外地の台湾(1895~1945)にある真耶蘇教会(真イエス教会 True Jesus Church)から招かれて、台湾の北端に位置する基隆(キールン)を訪問した。 しかし、真耶蘇教会は、1901(明治34)年に米国から始まったペンテコステ運動の流れを汲む新教プロテスタント教会である。 従って、『イエス・キリストこそが唯一の神であり、洗礼式はイエス・キリストの御名によって行うべきだ』 とするペンテコステ運動に啓発された「唯一神」の教理を持っており、日本聖書教会の大方の信者が信ずる「三位一体神」の教理とは相容れなかった。

B.「三位一体神」(トリニティ Trinity)と 「唯一神」(ワンネス Oneness)の違い
 世俗社会における「三位一体」という用語は、『政府観光局と航空会社と旅行代理店が、三位一体となって外国人観光客の誘致に努力している』 とか、『国庫負担金と地方交付税と税財源の地方への移譲という三位一体の改革が必要だ』 という具合に使われている。 つまり、「三位一体」とは、『三つの存在・構造・機能が相互に協力しあって一つにまとまっている』 という意味である。 そもそも、「三位一体神」とは、バビロニア帝国の首都バビロンで崇拝されていた竜神 ベル・マルドゥークを主神とする多神教において系統的には「父と母と息子」、天文的には 「太陽と月と金星」という「至高三神の教義」に由来する神観だ。 これが、時代を経て2世紀の神学者テルトゥリアヌスたちの「三位一体神」の神観へと転化し、やがて、『父と子と聖霊という三つの位格(ラテン語のペルソナ=人格)を持つが、相互に協力しあって一体化している神』 という旧教カトリック教会の誤った教義なった。ミラノ勅令(313年)を公布してキリスト教を公認したローマ帝国の皇帝コンスタンティヌス(在位306~337)が主導したニカイア公会議(325年)の時である。 しかし、父なる神・ 子なる神・ 聖霊なる神という三つの位格を持つ神が存在しているのではない。 父と子と聖霊は、ともに主イエス・キリストの中にある。 ちなみに、主イエス・キリストの「洗礼の時」(マタイ3:15-17マルコ1:9-11ルカ3:21-22)と、「変貌の山の時」(マタイ17:1-6マルコ9:2-8ルカ9:28-36)の聖句は、父なる神・子なる神・聖霊なる神という三つの位格を持つ神の存在を説き明かした聖句ではなく、逆に、父と子と聖霊とが、まったく同一の存在であり、主イエス・キリストにあって一つの神であることを強調した聖句である。 従って、『聖書』の神は、一つの存在であり、一つの位格(ペルソナ=人格)しか持たない「唯一神」(ワンネス Oneness)である。 畏(かしこ)みながら、「唯一神」(ワンネス Oneness)を人に例えるならば、「神(畏敬の複数)の像(単数)に造られた人」(創世記1:26)が「霊と魂と体」(1テサロニケ5:23)の三重から成る一個人であるように、神は「父と子と聖霊」の三重から成る唯一神である。 また、幾何学的に言い表すならば、「中心点あってこその円」となる。つまり、円とは父であり、円の中心点とは子であり、円の面積とは聖霊である。中心点が複数あれば、円にはならない。 ちなみに、『聖書』における「円」とは、「地球」の隠喩であり、ヨブ記と箴言の記された紀元前数百年前の時代に、現代と同じ宇宙観に到達していたことに驚きを禁じざるを得ない。 ヨブ記 26:10 『水の面に円を描いて、光とやみとの境とされた。』  箴言 8:27 『神が天を堅く立て、深淵の面に円を描かれたとき、わたし(主イエス・キリスト)はそこにいた。』  そして、『聖書』は、随所においてワンネスを明確に示している。 例えば、次のような聖句を見出せる。

出エジプト 3:14
『神はモーセに仰せられた。「わたし(神)は、[ わたしはある] という者である。」  また仰せられた。 「あなた(モーセ)はイスラエル人にこう告げなければならない。 [ わたしはあるという方が、私(モーセ)をあなたがた(イスラエル人)のところに遣わされた。] と。」』


申命記 6:4
『聞きなさい。 イスラエル。  主は私たちの神。  主はただひとりである。』

ヨハネ 5:43
『わたし(イエス)はわたしの父の名(イエス)によって来ましたが、あなたがた(イエスを殺そうとするユダヤ人たち)はわたし(イエス)を受け入れません。・・・』

ヨハネ 8:58
『イエスは彼ら(ユダヤ人たち)に言われた。「まことに、まことに、あなたがた(ユダヤ人たち)に告げます。 アブラハムが生まれる前から、わたし(イエス)はいるのです。」』   (『イエスは言われた。「はっきり言っておく。 アブラハムが生まれる前から、[ わたしはある。] 」』  -新共同訳- )

ヨハネ 10:30
 『わたし(イエス)と父とは一つです。』

ヨハネ 13:19
『わたし(イエス)は、そのこと(イエスに対するユダヤ人の殺意に基づいて、ユダの裏切りから始まるイエスの十字架での磔刑死)が起こる前に、今あなたがた(最後の晩餐における弟子たち)に話しておきます。 そのことが起こったときに、わたし(イエス)がその人(『聖書』の神)であることをあなたがた(最後の晩餐における弟子たち)が信じるためです。』   (『事の起こる前に、今、言っておく。事が起こったとき、[ わたしはある] ということを、あなたがたが信じるようになるためである。』  -新共同訳- )

ヨハネ 14:9
 『イエスは彼(ピリポ)に言われた。 「ピリポ。・・・わたし(イエス)を見た者は、父を見たのです。 どうしてあなた(ピリポ)は、[私たちに父を見せてください。] と言うのですか。』

ヨハネ 17:6、11、12
『わたし(イエス)は、あなた(父)が世から取り出してわたし(イエス)に下さった人々(弟子たち)に、あなた(父)の御名(ヤハウェ=イエスであること)を明らかにしました。・・・』

コロサイ 1:15
 『御子(イエス)は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものよりも先に生まれた方です。』

コロサイ 2:9
 『キリスト(イエス)のうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。』

1テモテ 2:5
 『神は唯一です。また、神と人との間の仲介者(イエス)も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。』

ヘブル 1: 3
 『御子(イエス)は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。 また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。』

1ヨハネ 5:19-20
『私たち(ヨハネたち)は神からの者であり、全世界は悪い者の支配下にあることを知っています。 しかし、神の御子(イエス)が来て、真実な方(神の御霊=聖霊)を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。 それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。 この方(イエス)こそ、まことの神、永遠のいのちです。』

黙示録 1:8
 『神である主、常にいまし、後に来られる方、万物の支配者(イエス)がこう言われる。 「わたし(イエス)はアルファであり、オメガである。」』

 なお、主イエス・キリストは、「神の子」にして「人の子」である。 『聖書』には、「神の子」が41節、「人の子」が265節あるが、地上への降誕後から人の罪を贖う十字架の磔刑までの主イエス・キリスト「神の子」として、また、十字架の磔刑による贖罪死から復活して昇天された後の主イエス・キリスト「人の子」として強調している。 なぜなら、主イエス・キリストの贖罪死により、神と人との関係が変わったからだ。 つまり、最初の人であるアダムイブが、神によって禁じられた「善悪の知識の木の実」を食べて以来の対立・不和・分離の関係から、主イエス・キリストの贖罪死を信ずる人との間の一致・調和・融合の関係へと変化した。 このように、主イエス・キリスト神の子」人の子」という称号には、神と人の関係の変化が表されている。 ちなみに、「人の子」とは、ダニエル 7:13-14 に由来する称号であり、「人の子」の「人」とは、主イエス・キリストの贖罪死前は「処女マリヤという人から産まれた」という意味があるが、贖罪死から復活した後は神によって最初に創造された人のアダムが、神によって禁じられていた「善悪の知識の木の実」を食べる以前の、悪と罪と死に囚われていない「完全な人」を指す。 「完全な人」とは、創世記 1:26-27  『そして神は、「われわれ(畏敬の複数)に似るように、われわれのかたち(単数)に、人を造ろう。 そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。』 と書いてあるように、「神ご自身のかたちに創造されたアダム」=「完全な人」(エゼキエル 28:15マタイ 5:48 他)のことである。

ダニエル 7:13-14
『私(ダニエル)がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方(子=人となって地上に一度降誕した主イエス・キリスト)が天の雲に乗って来られ、年を経た方(父=ヤハウェ=イエス)のもとに進み、その前に導かれた。この方(人の子)に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、(人の子)に仕えることになった。 その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。』

ルカ 22:70
『彼ら(民の長老・祭司長・律法学者たち)はみなで言った。 「ではあなたは神の子ですか。」すると、イエスは彼らに「あなたがたの言うとおり、わたしはそれです」と言われた。』

ヨハネ 10:36
『「わたしは神の子である」とわたし(イエス)が言ったからといって、どうしてあなたがた(ユダヤ人たち)は、父が、聖であることを示して世に遣わした者(イエス)について、「神を冒涜している」と言うのですか。』

マタイ 24:44
 『(イエスは弟子たちに言われた。) だから、あなたがたも用心していなさい。 なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。』

ヨハネ 5:27
 『(イエスはユダヤ人たちに告げた。) また、父はさばきを行なう権を子に与えられました。 子は人の子だからです。』


(2) 「イエス・キリストの御名による洗礼」を受けた村井ジュン
 台湾の北端に位置する基隆(キールン)に約一ヵ月間滞在したが、滞在半ば頃から、両者の間に激論が起こり、5名のうちの3名は真耶蘇教会と一線を画した。 しかし、村井ジュン上井乙熊の2名は、ワンネスの教理を受け入れ、「イエス・キリストの御名による洗礼」を受けてから大日本帝国の内地へ戻った。 村井ジュンは、戻るや否や、日本聖書教会が、1941(昭和16)年6月24日に日本基督教団として「大合同」していたことを知らされた。 つまり、村井ジュンらの新しいワンネスの信仰が、日本聖書教会の大方の信者の抱く三位一体神の信仰と相容れなくなると共に、村井ジュンらの台湾訪問中の1941(昭和16)年6月24日、新教プロテスタント教会の三十三教派が、十一部制の日本基督教団として「大合同」し、日本聖書教会は、その第十部に所属していたのである。 この結果、村井ジュンはイエス之御霊教会を、上井乙熊は日本真イエス教会を創設して独立するに至った。 なお、村井ジュンらが日本聖書教会から独立してイエス之御霊教会を創設するに至った経緯に関しては、【8】(1)と(2)に記した。

(3) 台湾の真耶蘇教会と大日本帝国のイエス之御霊教会の霊的起源
A.米国のピーターソン宣教師 [ 支那(中国)名: 貴徳新 ]
 聖霊誌 第72号 1941(昭和16)年7月1日にある「真耶蘇教会と日本聖書教会」と題する記事によれば、米国のピーターソン宣教師 [ 支那(中国)名: 貴徳新 ] が、中華民国(戦前の中国大陸にあった、馬賊匪賊が跳梁跋扈する無政府状態の前近代的国家)に興った真耶蘇教会と、大日本帝国に興った日本聖書教会を前身とするイエス之御霊教会の霊的起源である。 つまり、ピーターソン宣教師が、真耶蘇教会の創設者の張霊生魏保羅たちと、大日本帝国において熱心に伝道するテーラー夫人に対し、聖霊を受けるべきことを教え、霊のバプテスマ(受霊)へと導いたのであるが、この二系統の霊のバプテスマ(受霊)が、やがて、村井ジュンへと収束して流れ込み、イエス之御霊教会の教理と祭儀として結実した。 つまり、初代教会の教理と祭儀は、村井ジュンを通じて、戦前戦中の大日本帝国と戦後の日本国において完全に復興された。 なお、ピーターソン宣教師に関する情報資料は少なく、長らく謎の人物であったが、2014年9月25日、日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団 神学校 教師 鈴木正和氏からの情報提供により、『 ピーターソン宣教師は、ノルウェー系米国人 Bernt Berntsen ( バーント・バーントセン、米国名: ピーターソン、1863~1933) である』 と判明した。 ピーターソン宣教師は、中国大陸の北平(現在の北京)にあったドイツ病院で1933年10月16日に70歳で召されたが、奇しくも、同年7月23日にイエス之御霊教会の原基である東京市 豊島区 西巣鴨における聖霊降臨があった。 この流れから察すると、『 ピーターソン宣教師が天国に召されたのは、東京市における聖霊降臨をもって、地上での霊的な使命を終えたからだ』 と感じられる。( http://en.wikipedia.org/wiki/Bernt_Berntsen ) 

B.「真耶蘇教会と日本聖書教会」と題する記事
 『我ら一行五名が、基隆(キールン)に上陸したのが昭和十六年六月四日の正午であった。 其の日の歓迎会及其の夜の霊恩会に臨んだ私は、「之は真に神の教会なる哉。 光は東方よりとの真の基督の教会は又、此処よりも出でゝ全世界に及ぶものなり」 と直感して、我が霊は躍動したのである。 「体は一つ、御霊は一つなり。 汝らが召しにかゝはる一つ望をもて召されたるが如し。 主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。・・・ 凡ての者の父なる神は一つなり。」(エペソ書四章四節-六節 )  誠に我らと霊も一つ、望も一つ、何もかも一つ、実に「一体たらんが為に、みな一つ御霊にてバプテスマを受けたり、而して、みな一つ御霊を飲めり」 との実際を見て、唯大感謝、大感激、大歓喜に耐えなかったのである。  (イ)起源は一  真耶蘇教会の起源は、中華民国 に発生し、上海の信心会に於いては張霊生、北京の信心会に於いては魏保羅等が聖霊運動を興して、真耶蘇教会なるものが成立したのであるが、彼等に聖霊の有る事を教えたのが牧師 貴徳新(宣教師の支那名)である。 此の宣教師が、米国より渡支の途中、日本に滞在して、当時、警官ミッションに働いてゐられたテーラー夫人に聖霊の有る事を知らせて相共に祈った宣教師ではなからうかとの事。・・・』 



【 8 】 1941(昭和16)年11月17日、「イエス之御霊教会」となる

(1) 新教プロテスタント教会の日本基督教団への「大合同」 1941(昭和16)年6月24日
A.二・二六事件 1936(昭和11)年2月26日
 1933(昭和8)年7月の聖霊降臨以来、帝都である東京市に在住する国民大衆の無意識(潜在意識)には、『愛と義を地上に実現すべし』という聖霊からの強い働きかけがあったと見受けられる。 なぜなら、政財官学報の各界にはびこる不正・貪欲・私利・虚偽・偽善を糾弾する義憤に燃えた政治運動・宗教運動・社会運動が高揚したからだ。 例えば、国体明徴運動や昭和維新運動などである。 憲法学者にして貴族院議員の美濃部達吉(1873~1948)たちは、『天皇は、司法(裁判所)・立法(国会)・行政(内閣)という国家の諸機関と同じく、国家の一機関にすぎない。 天皇が国家の最高機関であろうとも、国家の一機関にすぎない天皇に国家の統治権は無い』とする天皇機関説を唱えた。 国家の統治権とは、即ち、「主権」のことであるから、美濃部達吉らは、天皇機関説を通じて「天皇主権」を否定し、欧米の「市民革命」の歴史が生み出した民主主義社会の虚構理念である「国民主権」の思想を日本社会に普及したかったのである。 実際のところ、民主主義社会における国民は、参政権(選挙権・被選挙権)を有するものの、国家の統治権=「主権」を有していない。 ところが、美濃部達吉ら国民主権論者は、欧米の「市民革命」の歴史が生み出した民主主義社会の虚構理念に基づき、大日本帝国憲法(明治憲法)の換骨奪胎を図ったのであった。 一方、国体明徴運動 とは、天皇機関説に対して、『大日本帝国憲法第一条、大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス。 同第四条、天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リテ之ヲ行フ。 これらの憲法の規定から、国家の統治権は天皇にある』と主張し、統治権の所在から国体(国家体制)を明確に公証した政治運動である。 結局、1935(昭和10)年2月25日の貴族院本会議で美濃部達吉が己の非を認めたことで決着したが、この国体明徴運動は、虚構的な国民主権論者と現実的な天皇主権論者とに分かれた学説論争に止(とど)まらず、激しい政治権力闘争とも連動しており、「天皇機関説」に与(くみ)した多くの政府関係者が更迭され、政府人事の刷新をもたらした。 また、昭和維新運動 とは、明治維新を模範として天皇親政を樹立しようとする昭和5~11(1930~1936)年間に高まった国家革新運動である。 さて、政財官学報の各界にはびこる不正・貪欲・私利・虚偽・偽善を糾弾する国民大衆の義憤の声が高まる一方であった1936(昭和11)年2月26日、大日本帝国の行方を案ずる陸軍皇道派の青年将校らが武力決起した二・二六事件が、帝都の中枢である皇居・永田町・霞が関で起きた。 昭和維新のために決起した陸軍皇道派の青年将校らは、農村部の若い女性の身売りなど、拝金主義と共産主義という利己主義を原因とする冷酷な弱肉強食の蔓延、利益追求に狂奔する財閥、金権汚職まみれの政治家、専断行政を行う官僚が跳梁跋扈し、困窮疲弊するばかりの国民大衆を救済するため、神国思想と武士道精神に基づく神聖な天皇親政を樹立するために決起した。 ところが、この二・二六事件は、紆余曲を経た後に、若き日の昭和天皇(1901~1989、在位1926~1989)の意向に沿って鎮定された。 この結果、親米反ソの北進政策を主張した陸軍皇道派と、反米親ソの南進政策を主張した陸軍統制派との激しい内部抗争に終止符が打たれ、陸軍統制派が大日本帝国政府の主導権を掌握した。 陸軍統制派は、近代西欧思想(西欧型立憲君主政体)に基づく世俗の官僚政治を目指したのであり、戦時の社会統制を強化した。 そして、鎮定された陸軍皇道派の青年将校らが、その「決起趣意書」の中で預言的に警告していたごとく、明治維新以来、世界史上に冠たる道徳規範(五箇条の御誓文・軍人勅諭・教育勅語)を実践しながら、欧米列強諸国による残虐な世界支配構造を積極的に改革してきた大日本帝国は、この二・二六事件から、わずか9年半後の1945(昭和20)年8月15日をもって大崩壊するに至った。  さて、第二次世界大戦(大東亜戦争)に敗戦した原因と責任は、誰にあるのだろうか? 歴史を詳細に検証する限り、軍部には無い。 特に、帝国陸軍には全く無い。 泥沼の中国戦線を縮小しようと努めたし、連合国の筆頭であった米軍と直接対決したのは帝国海軍であった。 だから、軍部を差配し、また、皇室を政治利用してきたフリーメーソン大東社会員の西園寺公望(1849~1940)や共産主義者の近衛文麿(1891~1945)ら藤原鎌足(614~669)の末裔である政府高官にこそ、大日本帝国の崩壊の責任があったと分かる。 その金権主義と共産主義に従った機密漏洩などの売国行為が敗戦の原因であった。 しかも、藤原鎌足(614~669)が断行した邪悪な「大化の改新」645)から、きっかり、1300年後1945(昭和20)年に起きた極めて凄惨な大敗戦であった。 つまり、『神の御意は、「神国日本」の神聖な皇室を 私利私欲に基づいて飛鳥時代末期から政治利用してきた「君側の奸」の悪業を祓うことにあった』 と感ずる。

B.新教プロテスタント教会の日本基督教団への「大合同」 1941(昭和16)年6月24日
 1939年(昭和14)年に宗教団体法が制定されると、大東亜戦争(第二次世界大戦)の戦線が拡大し続ける緊迫した国内外情勢の下、1941(昭和16)年6月24日、新教プロテスタント教会の三十三教派は、十一部制の日本基督教団として「大合同」するに至り、日本聖書教会は、その第十部に所属した。 なお、日本聖書教会が日本基督教団に「大合同」した時、村井ジュンらは、台湾の真耶蘇教会を訪問していた。 大日本帝国海軍が、米国の植民地(自治領)であるハワイ諸島オアフ島の真珠湾に対する奇襲攻撃-1941(昭和16)年12月8日 -を決行する半年前の「大合同」であった。

(2) 真の教会として独立したイエス之御霊教会 1941(昭和16)年11月17日
A.イエス之御霊教会が日本基督教団と「大合同」することなく独立を堅持できた理由
 村井ジュンが霊的に指導するイエス之御霊教会は、日本基督教団に加わることなく独立を堅持した。 戦中のイエス之御霊教会が、日本基督教団に「大合同」することなく独立を堅持できた理由であるが、第一に、聖霊の働きがあったことである。 つまり、村井ジュンらが真耶蘇教会から招待されて台湾の基隆(キールン)に滞在していた1941(昭和16)年6月24日、日本聖書教会が日本基督教団と「大合同」した結果、村井ジュンと同様に「大合同」に反対し、かつ村井ジュンのワンネスの教理を受け入れた日本聖書教会の信者から成るイエス之御霊教会が誕生したのであるが、村井ジュンの台湾訪問と新教プロテスタント教会三十三教派の「大合同」の奇妙なタイミングが予定調和的であり、ここに聖霊の働きを見出すのである。 第二に、村井ジュンに聖く堅い信仰心があったことである。 つまり、村井ジュンは、『世界のどこかに、真のキリスト教会があるばずだ』と考え、青年の頃より、真の教会を求めてきたが、結局、1941(昭和16)年6月に台湾を訪問して真耶蘇教会に出会うまでの間、見い出せなかった。 さらに、旧教カトリック教会と新教プロテスタント教会は、主イエス・キリストの御意に背き続けてきたが故に、大患難時代に滅ぼされる運命にあることを知った。(イザヤ4:1エゼキエル23:2-3黙示録3:14-22同左18:4)  このため、「異端の諸教会との大合同」という、主イエス・キリストへの愛を失い、いわゆる「姦淫の罪」を犯すことを、何としても避けたかった。 この信仰上の堅い信念をもって、文部省及び東京市長に「独立した教団としての認可」を申請し、折衝を続けた結果、ついに『教団名を変更すればよい』との回答を得た。

B.天の異象を通して聖霊から与えられた「イエス之御霊教会」という名称
 文部省及び東京市長から『教団名を変更すればよい』という回答を受けて、1941(昭和16)年11月17日に日本聖書教会の信者のうち、村井ジュンと、その妻スワを含む十二人の信者が集い、教会会議を開いた。 この席上で、十二人の信者が各々提案した十二の名称を、村井ジュンが三つの名称に絞りこみ、この三つをくじ引きにかけたところ、村井ジュンの妻スワが天の異象を通して聖霊から与えられたという「イエス之御霊教会」が引き当てられた。 かくして、村井ジュンらは、日本基督教団に合同することなく、日本聖書教会から独立し、ここにイエス之御霊教会が発足した。 イエス之御霊教会は、日本聖書教会から独立し、1941(昭和16)年11月17日にイエス之御霊教会という名称へ変更したため、教派的にはペンテコステ派に分類されている。 しかし、一般的にペンテコステ派と言う場合、新教プロテスタント教会を意味するが、イエス之御霊教会は、旧教カトリック教会でもなければ、新教プロテスタント教会でもなく、原始キリスト教である初代教会を現代に復興した「真の教会」である。 

(3) GHQ(連合国軍総司令部)の宗教面における対日占領政策
A.戦後の日本国の政教分離
 大日本帝国の大本営(天皇に直属する陸海軍の最高統帥機関)が、大東亜戦争(第二次世界大戦)の終戦を決定した1945(昭和20)年8月15日以降、進駐してきた米軍を中心とするGHQ(連合国軍総司令部)は、1945(昭和20)年12月5日に「神道指令」を発令して、戦後の日本国の主権(統治権)と神道との結びつきを断ち切ることを本意とする「政府と宗教との分離」(政教分離)を行い、また、何一つ公式のGHQ占領政策文書を公表しなかったものの、キリスト教信仰の自由を本意とする「信教の自由の原則」を強化することにより、キリスト教の伝道の活発化を目指した。 GHQの宗教面における対日占領政策は、やがて、大日本帝国憲法 第二十八條 『日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス』に代って、1947(昭和22)年5月3日から施行された日本国憲法 第二十条 『信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。 いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。  国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。』及び、第八十九条 『公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。』 と法令化された。

B.世界各国の政教分離の現状
 政教分離の原則とは、「政府」と「宗教」を分離する原則のことである。 この政教分離の原則を厳格に実施している世界の主要国は、フランス共和国と日本国だけだ。 例えば、米国の政教分離とは、「政府」と「教会」の分離を指し、『国教を定めてはならない』と合衆国憲法(修正第一条 1791年)に規定されているにすぎず、大統領の就任式で『聖書』の上に手を置いて神と国民に誓うように、公務員のキリスト教的行為を公認しており、米軍の従軍牧師(新教プロテスタント)・従軍司祭(旧教カトリック)のごとく公務員制度と化している。 英国は、英国王を首長とする英国国教会が諸宗教の上に君臨しており、政教分離の原則はない。 ドイツ連邦共和国は、キリスト教民主同盟(CDU)が2005年から政権与党であり、旧教カトリックまたは新教プロテスタントの申告者の所得から教会税を天引きしている。 これらの主要国は、その国民に「信教の自由の原則」を保障してはいるものの、フランス共和国と日本国の政教分離の原則からすれば、政教分離が行われていない。 なお、1929年に成立したヴァチカン市国は、ローマ・カトリック教会のローマ教皇を首長とする政教一致(祭政一致)の主権国家である。 そして、世界各国の宗教政策を比較検討してみればわかるように、新教プロテスタント国と政教分離国が先進国として繁栄する一方で、旧教カトリック国と政教一致国が発展途上国として停滞している。

(4) イエス之御霊教会の「日本聖書大学院」の設立 1952年(昭和27)年
A.神学生教育と牧師養成の苦難の道
 ワンネスの教理を持つ国際ユナイテッド・ペンテコステ教団と関係が深かったレオナード・W・クートは、第二次世界大戦終結後の1950(昭和25)年に、米国から日本国へ戻り、奈良県生駒に聖書学院を再開した。この時の村井ジュンは、自分の下に集まっていた献身的な志願者十数名を、そこの神学生として、レオナード・W・クートの元へ送った。 しかし、ほどなくして、レオナード・W・クートの『聖霊への信仰心があれば、異言を語らなくとも救われる』という信仰と、村井ジュンの『異言を語らなければ救われていない』とする信仰の対立が明確になった。 つまり、レオナード・W・クートは、ワンネスの教理を持つペンテコステ派ではあったが、村井ジュンの異言重視の教理に賛同せず、自らの教えに従わない神学生たちを全員退学させてしまった。 このため、村井ジュンは、自らが神学教育を行う必要性に迫られ、1952(昭和27)年に、神学教材を『聖書』と村井ジュンの著作とする二年課程の神学校「日本聖書大学院」を東京都 杉並区 南荻窪にある教会教団(本部)内に設立した。 なお、村井ジュンは、『ペンテコステ教会は、何が故に祝されて来なかったのか。 原因は唯一つ、聖霊のあるを知りて之を高調せず、異言の祈りを禁じたことにある』と述べている。 また、レオナード・W・クートも晩年に至って異言の祈りの重要性を自著で述懐したように、村井ジュンの信仰が正しかったのである。 つまり、戦後の1950(昭和25)年に、米国から日本国へ戻ったレオナード・W・クートは、自分を捨て切れておらず、『自分の教会を日本国内で大きくしよう』という世俗的で利己的な野心に燃えており、『このままでは、イエス之御霊教会に自分の教会の信者が吸収されてしまう』と愚かにも危惧したことが両者の一時的な対立の真因であろう。

B.完全合宿制の二年課程の神学教育
 「日本聖書大学院」は、完全合宿制の二年課程であり、『聖書』の読み込みと村井ジュンの講壇を中心としていた。 なお、学費は全額無料であり、三食は無料給仕され、遠方の集会に出かける際の交通費は別途支給された。 そして、村井ジュンは、「日本聖書大学院」の神学生たちに対して、『この二年間で、人生六十年間分の経験をすることになる』 と諭したという。 これは、『人生六十年間分の経験が、二年間の神学生教育の中に凝縮されている』 、あるいは、『人生六十年間のうちに経験するであろう苦悩と等しい、とても重い十字架を背負う決意を固めてから、全世界への伝道の旅に出よ』 という意味ではないのだろうか。 実際、牧師となった神学生たちは、己の身一つと『聖書』だけを持って、日本全国と全世界への伝道の旅に出た。 しかも、『祈りによって、道は必ず開ける。神の働きを身を以(もっ)て知れ』という村井ジュンの言葉を胸に刻んで・・・。 かくのごとき村井ジュンの薫陶を受けた尊敬すべき牧師たちは言う。  『神の働きを身を以(もっ)て知ることが、真の神学教育なのだ』 と。 ここで特筆しておくべきことは、村井ジュンの最晩年である1968年~1969年の「日本聖書大学院」における預言研究 『図解による聖書解説』1968) は、聖書全体を貫く預言を完全に図解しており、『他の一切の神学教育の群を抜いていた』ということだ。

C.『世々の経綸』  『聖書神学』  その他の独自教材を用いた霊的な神学教育
 村井ジュン(1897~1970)は、1933(昭和8)年7月23日の「聖霊降臨」の後、「草苑」誌及び「聖霊」誌を発行し、『聖書』の奥義と聖霊の働きに関する記事を連載し続けた。 また、非売品の冊子である『世々の経綸』1937)と 『聖書神学』1957)を発行したことは、教会内外に周知されているが、極一部の無私の牧師たちにのみ知られている未公開文献もある。 そして、「草苑」「聖霊」という機関誌への連載記事、非売品の冊子、未公開文献を活用して行われた村井ジュン直伝の講壇こそが、『聖書』の真理の全貌を知りうる霊的な神学教育の核心であった。



【 9 】 1953(昭和28)年6月1日、宗教法人「イエス之御霊教会教団」となる

(1) 宗教法人としての公認 1953(昭和28)年6月1日
 日本国の文部省及び東京都から宗教法人法に基づき1953(昭和28)年6月1日に「イエス之御霊教会教団」として宗教法人の認可を受けた。 宗教法人となったイエス之御霊教会は、日本全国はもとより、フランス等の欧州諸国、ブラジル等の南米諸国、インドネシア等の東南アジア諸国、ケニア等のアフリカ諸国への積極的な海外伝道を始めた。 但し、一般的な議論として、宗教法人法は、宗教法人に対する課税免除などの特権を与えており、宗教法人法に起因する社会的な諸問題の生起と、宗教団体の腐敗堕落の温床になっていることを認識しておかねばならない。 例えば、キリスト教の世俗化・腐敗堕落・異端化の歴史的な最初の原因が、ローマ帝国政府によるキリスト教(ローマ・カトリック教会)の公認から国教化の過程にあることを想起すべきだ。 つまり、世俗権力そのものであるローマ帝国政府が、大勢の信仰するキリスト教という宗教を政治的に利用するため、キリスト教会、即ち、ローマ・カトリック教会の組織・人事・規則・教理・典礼を恣意的に管理・統制・支配し始めた313年「ミラノ勅令」によるキリスト教の公認の時点から、その教理と典礼の腐敗堕落が進行し、ついに非聖書的な異端教会へと転落したのである。 具体的には、ローマ帝国のコンスタンティヌス帝(在位306~337年)が、悪魔的啓示を受けた後、313年「ミラノ勅令」を公布してキリスト教(ローマ・カトリック教会)を公認し、325年にニカイア公会議を開催して三位一体説その他の教理を定め、後の皇帝テオドシウス1世(在位379~395)が、392年「異教禁止令」を公布して、キリスト教(ローマ・カトリック教会)を国教化し、ミトラ教その他の宗教を禁止した。 

(2) 世俗社会及び「世の教会」との妥協なき毅然たる伝道姿勢の貫徹
 『異言を発しない者は救われていない』 『神の名はイエス』などといった、『聖書』の奥義に基づく正しい教理と礼典を伝道する限り、営利に囚われた利己的な心で動いている世俗社会のみならず、「世の教会」である旧教カトリック教会及び新教プロテスタント教会の諸宗派と対立し、感情的な批判を浴びることになるが、今後とも、それらとの交流の断絶を含む、妥協なき毅然たる伝道姿勢を貫かねばならない。



【 10 】 霊讃歌

(1) 「神」である主イエス・キリストの啓示を受けた鶴原玉
 イエス之御霊教会が、「神」である主イエス・キリストを礼拝する際に歌う讃美歌を霊讃歌と呼び、頌栄を含む全168曲となっている。 霊讃歌は、鶴原玉(1901~1989)という小学校の音楽教員をしていた女性が、「神」である主イエス・キリストの御霊(聖霊)からの啓示を受けて1958(昭和33)年から1989(平成元)年に亡くなる直前までに作詩作曲した教会独自の讃美歌だ。 鶴原玉は、日本基督教団の牧師 西山道吾郎と妻 和嘉の第一子として1901(明治34)年に大阪で生まれ、日出子と名づけられた。 元信濃町教会の長老 西山健児の五歳年上の姉になる。 日出子は、大阪市にあるウイルミナ女学校を卒業後、小学校の音楽教員をしていたから、御霊(聖霊)から啓示されるままに譜面を書くことは容易であったと考えられる。 但し、日出子の三女 鶴原恵子によれば、『譜は楽典に則ったものとは言えない部分が多い。 ところが、それを楽典に則って直すと、鶴原玉が描いた天国のあじわいが表現できない』という。 だから、イエス之御霊教会の安息日礼拝では、今も鶴原玉が書いたとおりに霊讃歌を歌っている。 霊讃歌の神妙な作詩作曲に触れながら歌唱していると、思わず不思議な感涙にむせぶことが多い。

(2) 世俗社会の歌劇 「ベルサイユのばら」 に採り入れられた霊讃歌60番の「愛」
 ちなみに、宝塚歌劇団の伝説となる「ベルサイユのばら」は、少女漫画週刊誌「マーガレット」に1972(昭和47)年4月から1973(昭和48)年12月まで延べ82回にわたって連載された劇画を基にした歌劇であるが、フランス革命が起った18世紀のフランスを舞台に、フランス王妃マリー・アントワネット、スウェーデン貴族のフェルゼン、創作上のオスカルとアンドレの四人が、史実を背景に繰り広げる愛の物語である。 「ベルサイユのばら」のテーマである愛を、どのように宝塚歌劇で歌うか苦慮されたというが、『イエス之御霊教会の霊讃歌60番にある愛という曲が使えるのではないか』と考えた大阪在住のキリスト者で宝塚関係者が、宝塚歌劇団へ持って行ったところ、『この詩、メロディーこそ「ベルばら」にふさわしい』となり、作者の鶴原玉にコンタクトしてきた。 かくして、霊讃歌60番の愛のメドレーと詩の使用を許可された宝塚歌劇団は、脚本家の植田紳璽の作詞と寺田瀧雄の作曲により、「ベルサイユのばら」を世に出すことができるようになった。 (「ベルサイユのばら」主題歌顛末記 西山光生 より抜粋・編集)  但し、この当時の村井ジュンを知る牧師によれば、『(村井ジュンは、)霊讃歌が世俗的な場所で使用されることを嫌っていた。 歌詩は、聖書の教えそのままなので大変良くできている。 特に「唯一の神イエス」について正しく書いてある讃美歌は他に無い。 多くの人が使用して歌うことを願う、と話していた』という。 

(3) 『聖書』に示されている「聖歌」と「霊歌」
A.霊讃歌の序
 村井ジュンは、霊讃歌の序に次のように書いた。・・・ 『霊讃歌は、主がわれらの教会に与え給うた讃美である。 聖書の言う讃美には、「聖歌」と「霊歌」がある。 霊歌とは、聖霊によって異言にて歌わしめらるる歌、この歌は、歌う者も聴く者も等しく天国の空気を味わわしめられて祝福を持ち来たらす。 聖歌も之と同じく、聖霊によって歌わしめらるる歌であるが、之は判る言葉をもて歌わしめらるるのである。 しかし、預言の如く、我らの知識 全からざる為に誤謬を持ち来らす事もあるが、主は我らの愛する鶴原玉夫人を、あらゆるキリスト教の遍歴を許して、聖歌を歌うにふさわしき器とならしめ、突如、1958(昭和33)年に、あまたの聖歌を賜り、イエス之御霊教会の真の神の子たちの歌うにふさわしきものとなさせ給うた。 されば、我ら、「(以下の聖句の原文は文語である。)・・・ 私(パウロ)は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。 霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。」 1コリント14章15節、 「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。」 コロサイ3章16節 』  

B.作者の言葉
 霊讃歌の作者である鶴原玉の言葉は、霊讃歌の最終頁にある「頌栄」の次に掲載されている。・・・ 『作者の言葉 ハレルヤ 栄光とこしえに主の御名にあれ 奇しきかな 主は我が口に歌を入れ給えり 新しき歌 我等に与えらる こは安きなり 慰めなり 生命の光なり 天上より流れ来し祝福のうた霊讃歌 幸いなるかな 主をほむる口びるの果は とこしえの生命を共に限りなく豊かに信仰と祝福を子と孫とに伝えるであろう   新しき歌をエホバにむかひて歌へ、そは妙なる事を行ひ、その右の手(みて)その聖なるかひな(腕)をもて、己のために救をなしをへたり(詩篇九八篇一節)  エホバをほめたゝへよ エホバに対(むか)ひて新しき歌をうたへ 聖徒のつどひにてエホバのほまれをうたへ(詩篇一四九篇一節)』 ・・・ そして、霊讃歌の奥付には次のようにある。 『 霊讃歌 この霊讃歌は、神より賜ったものですから旋律と詩を変える事は許されません。 編曲・演奏・他の讃美歌との合本等で用いる場合は、監督に許可を得て下さい。(イエス之御霊教会教団監督 村井ジュン)  1961年(昭和36年)5月1日 初版   著者 鶴原玉   霊讃歌は、著者鶴原玉姉がイエス之御霊教会教団に捧げられたものである。 -非売品- 』



【 11 】 村井ジュンの召天と、神による清めの試練

(1) 村井ジュンの召天と三島由紀夫の自決
 1970(昭和45)年3月26日にイエス之御霊教会の創設者である村井ジュンが召天した。 この年の11月25日は、世界的に有名な小説家の三島由紀夫(1925~1970)が、自衛隊市ケ谷駐屯地(現在の防衛省)に乗り込み、自衛隊の決起を促しながら自決した年でもある。 自決する二年前の三島由紀夫は、イタリア人画家のグイド・レーニ(1575~1642)の「聖セバスチャンの殉教」と全く同じ構図の「殉教写真」を残した。 同時に、『文化防衛論』を執筆し、日本国家の再建と日本民族の覚醒を促した。 また、三島由紀夫は、イエス之御霊教会の原基である「1933(昭和8)年の聖霊降臨」を直感したかのように、この時代の大日本帝国に強い郷愁を抱いていたが、「1933(昭和8)年の聖霊降臨」の中心人物である村井ジュンが召天した後に、聖セバスチャンと同じ殉教者になることを決意していた三島由紀夫も自決して果てた。 このような三島由紀夫の思想と行動には、奇しくも、聖霊の働きを感ずる。 

(2) 親族による監督職の世襲
 さて、主イエス・キリストの御霊である聖霊に従う教会であるが故に、初代監督の村井ジュンは、形式的で世俗的な教会規則を設けなかった。 世俗的な教会規則など、少なければ少ないほどよい。 しかし、これ故に、村井ジュンが召天すると、その親族による監督職の世襲が続いた。 そもそも、「キリストの体」である教会は、利潤を追求する営利目的の中小企業(株式会社)のごとき世俗組織ではない。 従って、教会における対外的・対内的な債権債務の問題があるにせよ、教会の役職の世襲は絶対にあってはならないことである。 なぜなら、教会は、古代イスラエル王国のダヴィデ王朝のごとく、神の御意に従った政治上の王権の世襲や、日本国の天皇を頂点とする祭政一致の文化を持つ神社神道の宮司の世襲とは、まったく異なり、政治権力を含む一切の世俗社会から聖別された「キリストの体」なる霊的組織だからだ。 「呪われた大淫婦」である旧教カトリック教会ですら、役職の世襲を容認していない。 なお、自然の恵みあふれる東京都郊外の多摩川で洗礼式を執り行っていた村井ジュンから村井スワまでの監督時代は、「御霊の教会」(黙示録 2:7)と呼べる、霊的な光と愛に満ちていた。 また、村井スワ監督は、「聖地エルサレム巡礼ツアー」を度々組み、その「嘆きの壁」の前で、ユダヤ人と日本人の霊的回復の預言の早期成就を祈ったが、監督の召天後、イスラエル共和国と日本国の霊的つながりを強化する祈りと行いも失せてしまった。 但し、「聖地エルサレム巡礼ツアー」を推奨しているのではなく、原始キリスト教の「使徒的信仰」を完全に復興するため、ユダヤ暦に基づくシャバット(安息日)を守るのみならず、ユダヤ暦に基づく ローシュ ハシャナ(新年)・ ヨム キプール(贖罪日)・ スコット(仮庵の祭)・ ペサハ(過ぎ越しの祭)・ ペサハの中のヨム ハ ビクリーム(初穂の祭)・シャブオット(七週の祭) という例祭の趣意を理解して守るべきことを感ずる。

初 代監督 村井ジュン 創設者         1933(昭和 8)~1970(昭和45)
第二代監督 村井スワ  創設者の妻    1970(昭和45)~1998(平成10)
第三代監督 村井美都子 創設者の三女 1998(平成10)~2000(平成12) 
第四代監督 村井純基  創設者の長男 2000(平成12)~2006(平成18)  
第五代監督 三戸富夫  牧師兼運転手 2006(平成18)~ 現 在    
(独立した各地域のイエス之御霊教会の沿革は、上記と異なる。)

(3) 村井スワの感動的な講壇
 英国イエス之御霊教会の献堂式 [1990(平成2)年3月18日] の際の村井スワの講壇の御用(講演・説教)の録音テープをおこした記録文書が、現在も一部の教会関係者に回覧されている。 村井スワによるイエス之御霊教会の霊的な沿革を簡潔に要約した感動的な証言であり、本編の構想も、村井スワの講壇を辿ることから始められた。 本来であれば、村井ジュンの著作集と共に教会関係者全員の必読資料とすべきであろう。 しかし、残念なことに悪魔・悪霊の仕業によるものか、教会教団(本部)の腐敗堕落によるものか、村井ジュンの著作集と共に封印されてしまい非公開扱いされている。 しかし、散逸していたイエス之御霊教会の文献資料を丹念に収集・分析・編集・発行された小樽イエス之御霊教会 木田徳男牧師の『聖霊降臨から見たキリスト教会史 聖霊降臨史』(2010年8月初版-非売品-)の33~36頁に掲載されているため、参照すべきだろう。 なお、木田徳男牧師は、『聖霊の降りし諸教会に与ふるの書』 -1938年(昭和13)年12月1日~1941年(昭和16)年5月1日 「聖霊」誌連載文献-などを1998(平成10)年以降から次々と復刻した。 この業績により、イエス之御霊教会の「中興の祖」として高く評価できる。 さて、村井スワの講壇の一部を次に抜粋しておく。 ちなみに、村井スワが、英国イエス之御霊教会の献堂式の講壇をおこなった1990(平成2)年3月18日は、村井スワの誕生日(1900年3月18日)であり、また、召天日(1998年3月18日)でもある。 このように、主イエス・キリストの御業、聖霊の働きは、人の理性では把握できない不思議・偶然・未知現象・奇跡・「霊の人」の言動を通じて、真のクリスチャンに察知されるのである。 ・・・  『私は今日九十歳になりましたが、私が十八の時、私は当時、教会に行ったことがございませんでしたが、ある時、声が聞こえてきました。 「汝、我に従え」 「我限りなき愛をもて汝を愛す」と、・・・ その声は、人の声と同じでした。・・・ たまたま近くの教会に参りまして、水と霊の福音に与ることが出来ました。 この教会の先生が、英国人でいらっしゃるミスター・ミセス・テーラーでいらっしゃいました。・・・ 私にはミセス・テーラーはママさんであります。 なぜと言いますと、私たちすべてを本当の母親のように懇(ねんご)ろに祈って導いて下さいました。・・・ 日本でも有名な聖書学者でもいらっしゃったミスター・ソントンという先生にもまた出会うことが出来て、・・・ イエス様に異言で祈ることの大切なこともこの先生方は教えて下さいました。・・・ この英国からいらっしゃったミセス・テーラーまたミスター・テーラー、本当にイエス様は良き方を私たちの前において下さいました。・・・ イエス様が据えて、イエス様が日本に送って下さった。 そして・・・イエス様は前監督村井と、また、その兄をとらえて、この福音の良き協力者として用いて下さいましたから、本当にイエス様の成し給うことは不思議な御業であります。・・・ イエス様は多くの方に「すてよ!」と仰って、「はい」と従う者に栄光の道を歩ませて下さる。・・・ クート先生が生駒で・・・イエスの御名による洗礼をなさり・・・イエス様はお一人一人を捉えて、この真理に立脚することができるように道を開いて下さっております。・・・』

(4) 宗教法人「イエス之御霊教会教団」名簿の一部抜粋
 1999(平成11)年末時点におけるイエス之御霊教会教団の名簿の一部を次に抜粋したが、「2000年の大分裂」以降、その教会数などは激変している。
A.統計
 宗教法人「イエス之御霊教会教団」名簿-1999(平成11)年12月31日現在-によれば、教会数238、集会所及び伝道所数421、教師数337(男155・女182)、信徒総数770876(男477451・女293425)である。

B.発展
 終戦後の1947(昭和22)年3月15日に東京都 杉並区 大宮前 6- 355 に小さな家屋を借り、東京イエス之御霊教会として集会を開始するや、不思議にも求霊者集い来たり、日本全土、南西諸島に諸教会が勃興して現在に至る。 今は、ブラジル・アルゼンチン・ペルー・ボリビア・コロンビア・米国・カナダ・台湾・韓国・シンガポール・フィリピン・インドネシア・タイ・フランス・英国・ケニア・ガーナ・ニュージーランドにも教会が設立された。

C.政治・財政
 本教団の政治は、監督政治ではあるが、全教会が主御自身の支配下にあって、御霊との一致を保ち、その根本教理は全教会に浸透している故、教会は牧師一任主義として全権を持ち、牧師は全部無月給であり、教会はいかなる理由があっても財政的には他に援助を乞わない。 このため、政治的会議は一切開催しない。

(5) 「神」である主イエス・キリストによる清めの試練の時代
A.清めの試練の予兆
 1998(平成10)年、第三代監督に村井美都子が就任すると、イエス之御霊教会にも、「神」である主イエス・キリストによる清めの試練を受ける時代が到来した。 清めの試練の予兆は、日本バブル経済全盛期である1985(昭和60)年~1989(平成元)年頃の、村井スワ監督時代の「祝祷」から、どういうわけか、「愛」の言葉が欠落したことに現れていた。 「愛」の言葉の欠落が、村井スワの次の監督候補者として教会運営の実権を握った村井美都子の故意なのか、過失なのか、偶然なのかは定かではない。 監督を含む誰かの故意であれば、悪魔からの攻撃に屈したのであり、過失または偶然であれば、腐敗堕落する教会教団(本部)の近未来を予知した聖霊からの警告の御業であろう。 この時から今現在に至るまで、教会教団(本部)の「祝祷」には、「愛」の言葉が欠落したままである。なお、本来の「祝祷」を、【12】(7)に記した。

黙示録 3:10-11
『あなた(黙示録の七つの教会のうち六番目のフィラデルフィアにある教会)が、わたし(主イエス・キリスト)の忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。  わたしは、すぐに来る。あなたの冠をだれにも奪われないように、あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい。』

B.「万人の生き方」が問われている清めの試練の時代
 「神」による清めの試練は、何も、「教会」だけに対する試練ではない。 例えば、日本国民が抱えている政治経済の諸問題は、日本国民による自主的な解決が行われない限り、想定外の不幸な災厄と化して、日本国民の生活を破壊し、生存を脅かすことになる。 政治経済の諸問題は、日本国民全体に対する清めの試練であり、必ず解決しなければならない課題でもある。 具体的に述べるならば、中国(中国共産党)・北朝鮮(朝鮮総連)・韓国(韓国民団)と水面下で政治的に連携している自治労(全日本自治団体労働組合)・日教組(日本教職員組合)などの国及び地方の公務員から成る行政利権同盟の「官公労」を支持母体とする民主党政権(鳩山一郎~菅直人~野田佳彦内閣)は、2009(平成21)年9月16日から発足したが、2012(平成24)年12月16日の衆議院議員総選挙に大敗した結果、2012(平成24)年12月26日に自民党政権(安倍晋三内閣)が誕生したことにより終焉した。 この民主党政権の間、在日外国人(韓国人・中国人)への参政権(選挙権・被選挙権)の付与法案、「地域主権改革」という名目の国家主権の解体、国及び地方の行政組織の内部への共産主義思想の普及工作、中国共産党の一党独裁国家である中国を盟主とする「東アジア共同体構想」の実現・・・が進められた。 つまり、中国共産党の対日戦略に従って日本国を中国の属国にするため、中国(中国共産党)・北朝鮮(朝鮮総連)・韓国(韓国民団)に利益を与え、日本国に不利益をもたらす諸政策を通じて、日本国民を中国人以下の不自由な低賃金労働者(共産奴隷)にする計画が推進され、失業者数と生活困窮者数が増加し続けた。 また、「官公労」と協力関係にある財務省・日銀・経団連に代表される利己主義者、即ち、金銭欲に憑かれた拝金主義者と支配欲に憑かれた共産主義者たちは、『省益あって国益なし』 『私益あって公益なし』 のデフレ経済政策(デフレを恒常化する財政政策・金融政策)を推進しながら、天下り先の拡充等の私利私欲を満たしてきたのみならず、中国共産党の存続を至上命題とする「一国二制度」及び「改革開放」という鄧小平(1904~1997)が1984年から掲げた国家政策に追従しながら、政府開発援助(ODA)を中国に無償で供与し続け、日本国の資本・設備・技術・雇用・貿易を、中国へシフトすることを奨励した。 このため、日本バブル経済が崩壊した1991年から東日本大震災が起きた2011年までの20年間を 『失われた20年だった』 と嘆くほど、日本国の国力(経済力・軍事力)が急激に衰退した一方、中国共産党の一党独裁国家である中国は、日本国の資本・設備・技術を簒奪吸収しながら高度経済成長を果たし、その国力を大幅に増強し得た。 この結果、中国は、北朝鮮・韓国と政治的に連携しながら、日本国の沖縄県 尖閣諸島などに対する軍事力を背景とする「直接侵略」と、日本国の政財官界に対する贈収賄工作・ 歴史認識の国際問題化・ 日本国土の買収・ 防衛機密と産業技術を盗むサイバー攻撃といった「間接侵略」を公然と始めだした。  さて、日本国の国力の衰退が極まった政治的証左である民主党政権(菅直人内閣)の下で、『日本国民の心の腐敗堕落に対する神の怒りが下された』と感じるような東日本大震災・津波・原発事故が2011(平成23)年3月11日に起きた。 誰であれ、あの緊迫した非日常的な体験-天災人災・帰宅難民・交通マヒ・電話途絶・食糧不足-を忘れられないだろう。 そして、原発事故を招いた東京電力と民主党政権(菅直人野田佳彦内閣)は、被災者の救済・被災地の復興・原発事故原因の究明・危機管理体制の確立・核燃料棒を水で冷却した際に出る汚染水対策・陸海空の自然環境の保護よりも、政財官学報が癒着している原発利権体制の存続・原発再稼働による比較的に安価な電力エネルギーの確保・自己保身を最優先した醜い責任転嫁・国民を欺瞞した状況説明に明け暮れた。 かくして、東京電力と民主党政権(菅直人野田佳彦内閣)に巣食う、愛と正義のかけらも見られない利己主義者たちに心底から怒りを感じた数万人の群衆が、週末ごとに「首相官邸前デモ」を繰り広げ、日本政府と国民世論に 『民主党政権(野田内閣)打倒! 原発再稼働反対!』 を訴えた。 この結果、「官公労」を中核とする利己主義者から成る民主党政権は終ったが、汚染水などの放射性廃棄物の実効的な処理方法は未だに発見されておらず、今後も予断を許さない。 つまり、原子炉などの科学技術に依存した物質文明は、自然災害やテロに極めて脆弱であり、その破滅的な自然破壊の悪影響を回避するため、不断の監視と更なる科学技術の発展に尽力せざるを得ない。 但し、「原発=破滅」の構図は明白であり、政財官学報の癒着した原発利権体制を解体し、人工衛星を活用した効率的な太陽光発電システムや携帯可能な電磁力発電機(QBC) の普及、新しく発見された天然ガスの一種のメタンハイドレートを活用した火力発電や、その他の風力発電・水力発電・地熱発電という安全な発電システムを構築しなければならない。 さらに、世界各国の財政金融システムは、一般論として、世界各国の政府と中央銀行のコントロールからはずれ始め、ギャンブル経済化した危機的状況の中へ陥りつつある。 例えば、米国のデフォルト(債務不履行)の危機も去ったわけではなく、米国政府が負う債務の上限の引き上げを求める大統領府(ホワイトハウス)に対し、連邦議会がその引き上げに反対するケースを想定しうるし、2007年に財政破綻した北海道 夕張市と同様に、米国の自動車産業の総本山であるミシガン州 デトロイト市が2013年に財政破綻し、あらゆる公務公共サービスを停止するに至った。 仮に、日米欧各国において、その国債・通貨・株式の、いずれかの大暴落を引き金とする金融恐慌が起きた場合、富の偏在をもたらしてきた「不条理な金融資本主義体制」から、次の「新次元の経済体制」への大変化をもたらすと考えられる。 以上のごとき政治経済の諸問題とは別の終末論的な現象もある。 例えば、自然現象に関しては、1)異常気象・・・雨の降らない大干ばつ、集中豪雨による大洪水、極端な気圧と積乱雲による大型台風と大竜巻、温暖化地域と寒冷化地域の不規則な変転、夏に雪が降るといった四季の狂い。これらの異常気象の原因は、通説の地球温暖化にはなく、大気中の雲の量の増減や、地質内部の化学作用に影響を及ぼす宇宙線にある。宇宙線は、火山灰などの微小なチリと同様に雲を作る種であり、宇宙線が減少すると雲の量も減少し、この結果、晴れた日が続くために地球温暖化を招くのだ。 つまり、地球温暖化の第一の原因は、過去140年間に宇宙線が減少してきたことにある。 この理論は、デンマーク王国の宇宙物理学者 ヘンリク・スベンスマルク、日本国の地質学者 丸山茂徳が提唱した。 詳しくは、YouTubeの動画 『地球温暖化 CO2 犯人説のウソ』1/8~8/8)を視聴してほしい。(http://www.youtube.com/watch?v=h6xFe6lXu1Y)  なお、世界気象機関(WMO)と国連環境計画(UNEP)が1988年に設置した「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)は、『地球温暖化の原因は、二酸化炭素(CO2)にある』という報告書を作成したが、このIPCC報告書の理論は虚偽である。 例えば、1940年代から石油・石炭といった化石燃料の消費量が急増したが、この時期に地球は一時的に寒冷化している。 また、地球大気の主成分は、窒素73.35% 酸素23.07 アルゴン1.28% 水蒸気0.33% 二酸化炭素0.05%であり、二酸化炭素は「温室効果ガス」たりえない。 地球温暖化の第二の原因は、太陽活動の活発化に伴う降下熱量の増加だ。 太陽の活動が活発化すると、太陽の表面に爆発の穴(=太陽黒点)が増える。 従って、太陽黒点数が増加すれば、太陽の活動が活発化しているとわかる。 なお、『太陽黒点数が増加すると、地球が温暖化する』と、気候現象を単純化して分析していたが、実際は、もう少し複雑で、太陽の活動が活発化すると宇宙線を吹き飛ばすため、宇宙線の地球への降下量が減少し、この影響から雲の量が減少し、結果として晴れた日が続くために地球が温暖化する。 さて、NASA(米航空宇宙局)は、『太陽の磁極(N極×1、S極×1)の多磁極(N極×2、S極×2)化が進行中だ』と2013年8月5日に発表した。 これを踏まえれば、太陽活動のピークは過ぎたのであり、今後は地球寒冷化へと向かうだろう。 地球温暖化の第三の原因は、太陽の光を浴びた植物(森林・田畑)の「光合成」により、二酸化炭素を吸収して酸素へ還元するという、植物(森林・田畑)を土台に持つ大自然の生態系を破壊してきたことにある。 特に、ブラジル共和国のアマゾン川流域に生い茂る密林の急激な伐採と都市住宅化は、地球規模の自然破壊だ。 つまり、植物(森林・田畑)は、太陽の光を浴びると「光合成」をおこない、大気と地面から二酸化炭素と水分を吸収し、大気と地面から熱を奪いながら、植物(森林・田畑)の水分を蒸発させ、植物自身に必要な栄養(デンプン)と人類の生存に不可欠な酸素を生むが、世界各国の人口の増加に伴う都市住宅化がもたらす、植物(森林・田畑)の伐採と河川の埋め立てが、酸素を作る植物(森林・田畑)を減少させ、これが地表面の温室効果を招いてきた。 また、熱をため込むアスファルト道路とコンクリート建築物の増大、エアコン室外機の排気量の増大、高層ビルの密集による風通しの悪化が、地表面の温室効果を更にひどくした。 気象庁によれば、東京都の年平均気温は、1905年の13.5℃ から 1999年の16.6℃へと3℃以上も上昇した。 但し、地球規模で見る限り、0.7℃しか上昇していない。  (2)天変地異・・・惑星直列などの天文学的な珍事の続発、太陽の磁極の周期的な反転現象とは異なる多磁極化などの変異、宇宙空間から降り注ぐ無害な宇宙線(放射線)量の増大、巨大隕石の落下、北極・南極・グリーンランド・シベリアの氷山氷床の急激な溶解消滅、南洋諸島の水没、活発化する火山の噴火、頻発する大地震と大津波、致死性インフルエンザの流行、植物・昆虫・動物の異常繁殖と絶滅に見られる生態系の混乱、2014年以降から頻発する日食と月食、地球の磁北の急速な移動・・・。 これらの天変地異は、人為的に統御できない、まさに「神の領域」だ。 但し、地質学者の丸山茂徳らによって部分的に解明されつつあり、『宇宙線が増えると、地球の地質内部における化学反応を活発化させ、これが引き金となって火山噴火と地震を増加させる』という。 また、地球の磁北は、カナダの北極諸島エルズミーア島→ 真北(北極点・地球の自転軸)→ シベリア地域へと向かって移動しているが、米国海洋大気庁(NOAA)が2011年に公表した「過去420年間(1590~2010)の毎年の磁北の移動距離」によると、磁北の移動距離は毎年10キロから、1970年以降の毎年40キロへと加速し、2001年以降は更に加速している。 ロシア空軍司令官ヴィクトル・ボンダレフのグリム報告によれば、『2013年の6ヶ月間だけで250キロも移動した』 という。 地球の磁北の急速な移動は、地磁気の不安定化と気候変動の激化を招いているのみならず、近未来における北極と南極の反転現象(ポールシフト)といった地球規模の破局と直結している深刻な天変地異だ。  さて、人の精神現象を含む社会現象に関しては、(1)害問題・・・中国で蔓延するPM2.5(直径が2.5マイクロメートル以下の微小粒子状物質)に代表される有毒物質による大気汚染の他、工場から出る排水廃液による河川の汚濁、地下水の大量摂取による地盤沈下、工場から出る有害な騒音・振動・悪臭、高圧線の下の電磁波(10ミリガウス以上)による自然環境の破壊と、人の健康被害が進んでいる。 自然環境を汚染すれば、人の健康も必ず損なわれるため、産業活動においては、自然環境の保護を最優先しなければならない。  (2)疾病問題・・・免疫機能の不全・過食症・拒食症・不眠症・自閉症といった難病奇病の原因は、先天性の「遺伝」と後天性の「体質」に基づく肉体的な原因よりも、「食品添加物」と「薬害」と「精神病」に基づく社会的な原因が多い。 つまり、水素添加された大豆油などに含まれるトランス脂肪酸、歯磨き粉などに含まれるフッ素、ガムなどに含まれる人工甘味料アスパルテーム、加工食品の着色料に含まれる発ガン性物質の二酸化チタン、子宮頸ガンなどを予防するワクチン接種、猛毒の農薬入りの中国産食品・・・など、心身に有害な「食品添加物」入りの加工食品や輸入食品を食べ続けたり、有害なワクチン接種などによって健康に異常をきたした人々が、製薬会社と病院の利益追求の業務姿勢によって安直に精神病と診断され、抗うつ薬・抗不安薬・抗てんかん薬・睡眠鎮静薬を大量に処方され、多額の医療費支出を強いられている。 もはや、病人個人の責任に帰する肉体的な病気の問題ではなく、国民の「健康」(=肉体と精神と霊の健全性という意味)を保障すべき政府(厚生労働省)の責任に帰する社会構造的な問題だ。 また、エイズ等の疫病の蔓延と道徳心の荒廃が正比例していることは言うまでもない。 従って、営利を最優先する食品化学会社と製薬会社と病院経営のあり方を糾弾し、「食品添加物」を摂取しない健全な食生活を営み、健康を壊された人々が「精神病」と「薬害」へ誘導されない社会構造を作らなければならない。 また、道徳心の荒廃を防ぐための教育啓蒙活動にも力を入れるべきだ。 なお、ノイローゼ等による自殺、高齢者の孤独死、家庭内暴力等による家族崩壊、認知症患者等の介護、麻薬等の薬物中毒という諸問題も、ここで言う「疾病問題」に含まれる。  (3)飢餓問・・・人類64億人中の8人に1人である8億人が飢餓状態にあり、1分間に17人が死亡している。 特に、ニジェール・ソマリア・スーダンといったアフリカ諸国の飢餓が深刻化している。 このため、天然資源と労働力を搾取されるばかりの発展途上国に対して、飽食に明け暮れている先進国の富と食糧を自発的に分配するように啓蒙し、想像を絶する飢餓状態を地上から一掃しなければならない。 なお、国連・世界各国政府・NGO(非政府民間組織) NPO(非営利民間組織)が、飢餓の一掃に向けたキャンペーンを展開しているが、その実効性は高まっていない。 なぜなら、現在の「国連」等は、世界各国に対して、愛によって自発的に富と食糧を分配すべきことを訓戒しうる「世界的な統治権」を持っていないからだ。 従って、「連邦王国」のごとき「世界的な統治権」を、この地上に樹立しない限り、飢餓を一掃できないだろう。  (4)貧困問題・・・貧困とは、飲料水・食糧・住居・光熱エネルギー・通信交通手段・読み書き教育・仕事収入・保健医療という、人の生存と社会生活に不可欠な財貨・サービスを入手できない状態を指すが、UNDP(国連開発計画)によれば、世界中で12億以上の人々が1日わずか1ドル=100円で生活し、20億人以上が1日2ドル=200円未満で生活し、8億5千万人以上が日々の食べ物にも事欠く毎日を送っている。 米国や日本国においても、99%の貧困層と1%の富裕層とに二極分化した格差社会化が進んでいるが、この原因は世界中に80か所以上あるタックスヘイブン(租税回避地)を利用した多国籍企業の蔓延と、消費税(付加価値税)などの不公正税制にある。 格差社会を許容してはならず、国民の人権を尊重する政府を樹立し、この政府の責任において貧困を解消しなければならない。  (5)犯罪問題・・・日本国内における殺人・強盗・強姦・放火といった凶悪犯罪の件数は、東京都 警視庁によれば、1989(平成元)年から急上昇し、年間200万件で推移している。 つまり、凶悪犯罪の被害者が毎年200万人以上も出ているのであり、日本社会の治安を向上させ、凶悪犯罪を防止するため、凶悪犯罪者を迅速に検挙しうる司法警察制度・瞬時の身元調査を可能にする身分証明制度・防犯カメラ等の科学技術を駆使した防犯システムを整備すべきだ。 特に、「刑務所収容者数(来日外国人を除く) 2011 法務省 矯正統計」(http://i.imgur.com/SE2r3wj.png) にあるごとく、刑務所収容者数の9割が在日韓国籍・朝鮮籍であり、在日韓国人による凶悪犯罪が多いため、警察庁と法務省 入国管理局においては、在日韓国人の不法滞在を取り締まり、その永住と帰化と通名(日本人名)の使用を禁止し、韓国への強制退去を実施しなければならない。  (6)戦争問題・・・戦争とは、軍事力を用いた国家間の争いのことである。 なお、国家内における暴動内乱は、政府に対する反乱であって戦争ではない。 但し、国家内の政治的反乱団体が一定の規模に達して国家領域の一部を実効的に支配するに至った場合、国際法上、その団体は国家に準じた地位を有する「交戦団体」となり、国家内における政府軍と反政府軍とに分かれた戦争となる。 また、2001年9月11日、米国ニューヨーク市とワシントンD.C.の郊外で起きた「同時多発テロ」以降、「国家とテロリストとの戦争」という戦争の新概念を掲げた米国が、実際にテロリストとの戦争を始めた。 これらの戦争の原因は、国家内の政治力学・国家間の政策対立・経済問題・民族対立・宗教対立・領土問題・貧困問題・外国等による謀略活動という複合的なものだ。 なお、この地上から戦争を一掃して恒久的な平和を確立するためには、諸国家から構成される現在の「国連」とは異なる、「連邦王国」のごとき、この地上で唯一の主権者(統治権者)によって統率される新世界を築かなければならない。  (7)時代精神問題・・・時代精神とは、ある時代の社会と人心を支配する精神のことであるが、21世紀の時代精神の特徴のうち、人の精神と霊に悪影響を及ぼしているものを二つ挙げよう。  A.未知現象: UFO・心霊現象等の未知現象を撮影したインターネットの動画に触発された人が増えるのと正比例して、UFO・心霊現象等の未知現象の目撃者(体験者)数が急増していること。 結論だけを述べれば、UFO・心霊現象等の未知現象の90%以上は、悪魔・悪霊の働きである。 例えば、『外宇宙から飛来するUFOに乗っている宇宙人こそが神の正体だ』とか、『主イエス・キリストの御名を告白しない聖母マリアによる予言』などは、異次元に存在する魔界から出てきた悪魔・悪霊が、UFO等の未知の物体や生物に化身して出現した非日常的な現象であり、また、その邪悪なメッセージに他ならない。 異次元に存在する悪魔・悪霊は、人の知性と物質文明の進歩に合わせながら、人の心の中のイメージに沿った物体や生物に変幻自在に化身できるが、これらの未知現象を人に示威する目的は、人の心を真の神である主イエス・キリストから遠ざけることにある。  B.諸宗教の邪教宣伝活動: 誤信迷信・個人崇拝・偶像礼拝を普及する諸宗教の邪教団体の教祖(偽預言者)による邪教宣伝活動が活発化していること。 人を誤信迷信等へと誘導し、その心を劣化荒廃させている邪教団体を取り締まるため、宗教法人法を改正して、一定の宗教法人ガイドラインを設け、宗教法人を厳格に格付け評価する事が望ましい。 21世紀の時代精神の特徴のうち、この二つが、人心を劣化荒廃させ、人の心を 『イエスは、キリストである』 という 『聖書』の真理から背けさせている。 但し、『主は御霊です。 そして、主の御霊のあるところには自由があります。』(2コリント 3:17)と書いてあるように、主イエス・キリストは、キリスト教の異端宗派と諸宗教の邪教団体に見られるごとく、人に信仰を強制することには反対で、人に信仰の自由を与えておられる。 そして、「愛」(主から人への愛・ 人から主への愛・ 人と人との愛)に基づき、心から主に従う人を求めておられることを承知しておくべきだろう。 また、ローマ教皇ベネディクト16世(1927~現在、在位2005~2013)は、ヴァチカン市国の建国記念日の2013年2月11日に、高齢を理由とする引退声明を出した。 終身制のローマ教皇が途中で引退することは極めて異例だ。 中南米諸国を中心とする12億人の盲目的信者を「非聖書的な異端の世界」(魔界)へと誘導する背教と、司祭による児童虐待・性的倒錯などの悪徳行為、ヴァチカン銀行によるマネー・ロンダリングなどの犯罪行為が絶えない「呪われた大淫婦」であるローマ・カトリック教会の内部において、「世の終末」へ向けた激変が起きている。  (8)主権問題・・・主権とは、国家の統治権のことであるが、先ず、この地上にある国家の数について把握しておく必要がある。 第二次世界大戦が終わった1945年には64カ国しか存在せず、地上のほとんどの地域が欧米列強諸国の植民地であった。 ところが、大日本帝国は、欧米列強諸国との大東亜戦争(第二次世界大戦)を通じて、インド・インドネシア等のアジア地域の植民地を解放して独立させ、人種差別の撤廃をもたらした。 但し、1945年の敗戦により、その後の中国大陸と朝鮮半島の共産主義化を阻止することはできなかった。 また、中東地域では1948年にユダヤ人のイスラエル共和国が、『聖書』の預言(申命記30:1-6エレミヤ23:7-8同左31:8エゼキエル36:24ルカ21:24)どおりに再建された。 そして今や、日本国の外務省によれば、日本国は、北朝鮮を国家として承認しておらず、2011年3月に南太平洋ポリネシアに位置するクック諸島を、同年7月に北アフリカに位置する南スーダンを国家として承認し、日本国によって承認された国家数は194カ国になる。 従って、この地上には、日本国自体を含めると195カ国が存在する。 なお、国連加盟国数は、日本国を含む193カ国である。 つまり、イタリア共和国のローマ市内に位置するヴァチカン市国、バルカン半島中部に位置するコソボ共和国、南太平洋ポリネシアに位置するクック諸島の3カ国は、国連に加盟していないが、北朝鮮は国連に加盟しているのだ。 さて、国家とは、主権・国民・領土を有し、主権から支持された政府が統治権を行使する統治体である。 そして、主権とは、国家の統治権のことであり、「主権在民」「国民主権」と言われるように、王国・独裁国・共産国を除き、国民が主権を有するとされる。 しかし、国民は、参政権(選挙権・被選挙権)を与えられてはいるものの、実際のところ、主権を有していない。 つまり、君主制(王政)・共和制・その他、いかなる政体(国家を司る政府の組織形態)であれ、主権は、古今東西の国民にはなく、政府を支配する、この世の王族・独裁者・政権与党指導者・国際金融資本家にある。 つまり、「主権在民」「国民主権」とは、世襲の君主制(王政)を打倒して共和制を樹立する欧米の「市民革命」の歴史過程で生まれた非現実的な理念にすぎず、その当時も今も現実ではない。 だからこそ、使徒パウロは、『私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。』(エペソ6:12)と、古今東西の世の中の変わらぬ現実をはっきりと見据えた上で、世界各国の国民を制している「主権」や「悪霊」との闘いを強調した。 しかし、現在の諸国家を統治する主権者は、最終的に、「王である祭司」(1ペトロ2:9)、「神とキリストとの祭司」(黙示録20: 6)となる。 なぜなら、『神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主』 (1テモテ6:15)であり、『この方(御再臨のキリスト)に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。 』(ダニエル7:14)と書いてあるからだ。 従って、大患難の紆余曲折を経た後、諸国家の政府は、その主権を、キリストに仕える祭司たちに委ね、この地上は、「連邦王国」によって統治される日が来るであろう。  (9)「救い」の問題・・・『聖書』の「救い」とは、『旧約聖書』では、災害・不幸・敵からの救助、病気の癒し、「出エジプト」の出来事、神の恵み、神の御計画、「神の民」になる契約、の悔い改めによる神との再会と繫がり、神の預言者の示す道を歩むこと。 また、『新約聖書』では、主イエス・キリストによる万人のを贖う犠牲死、信仰によるの赦し、御再臨、天国の栄光の与り、永遠の生命、最後の審判へと至る全過程を通じての人格の完成、神との完全なる一体化、無原罪のアダムのような神の像の回復を意味する。 つまり、人の罪こそが「救い」の障害なのだ。 それでは、人の罪とは何なのだろうか? 世俗社会では、民法上の不法行為と刑法上の犯罪行為という違法行為が罪とされるが、『聖書』 が問題にしているのは、神と自己自身に対する罪だ。 「創世記」の「エデンの園」におけるアダムとイブの原罪に始まって、現代社会に生きる人の罪が問題なのである。 しかし、このについて正しく理解している教会関係者や書物に出会ったことがあるだろうか? 『聖書』には、1ヨハネ 3: 4 『罪を犯している者はみな、不法を行なっているのです。 罪とは律法に逆らうことなのです。』 と書いてある。 つまり、モーセの十戒とイエスの山上の垂訓に逆らい、背き、不法を働くことだ。 しかし、なぜ、人は律法に逆らい、背き、不法を働くのであろうか?  このように、「人の罪とは何か?」を深く追求すると、結局、人の心の問題になる。 しかし、『聖書』は、心理学の専門書ではないため、人の心の問題を詳しく分析しておらず、その解決方法のみを示している。 即ち、人の罪とは、悪魔悪霊悪人と同義語であり、人の心にある人生上の諸問題に対する恐怖・怯懦と 占い・偶像礼拝などの無知・迷信に他ならない。 貧困になる事・死ぬ事・非難される事・老いる事などへの感情的な恐怖怯え、また、自己自身の心身と社会と自然に対する無知迷信を無くさない限り、神と繋がれず、救われることはない。 そして、恐怖・怯懦無知・迷信に支配された思考をする人は、自己の心身を必ず不幸にする。 即ち、不健全な状態にする。 逆に、心身が健全ではなく不幸な状態にあるということは、その原因となるに支配されているということだ。 なお、恐怖・怯懦を打ち消せるのは、神から来る確信のみであり、無知・迷信を打ち消せるのは、神から来る正しい思考(=知性=理性)によって得た自由=真理のみである。 従って、奴隷から解放されて自由になる「救い」とは、人の心にある恐怖・怯懦無知・迷信を、神から来る確信と正しい思考によって克服し、幸福になり、神と一体化(結婚)することだ。 以上を要約すると、とは、神の律法(モーセの十戒・ 山上の垂訓)に従わない不法に起因する、恐怖・ 怯懦・ 無知・ 迷信・ 高慢・ 利己・ 憤怒・ 憎悪・ 嫉妬・ 悪意といった否定的感情に支配された 不幸不健全な心身状態を指す。 なお、雑草は、刈り取っても、しばらくすると生えてくるように、聖霊に贖われ、清められたも、しばらくすると、心の中に生じてくる。 なぜなら、ローマ 8: 7 にあるごとく、肉の思いは、御霊の思いと争い、神に反抗し、神の律法に服従できないからだ。 このため、信仰によるの悔い改めを経て、水と霊のバプテスマを体験したクリスチャンは、神である主イエス・キリストの御霊である聖霊にを贖われ、を清められた後も、心の中に生じてくるに勝利し続ける堅い信仰生活を送らねばならない。 かくして、クリスチャンの信仰生活と、その一切の行動は、神である主イエス・キリストの調査・審判を経て、最終的にを除去され、神である主イエス・キリストの御再臨の前に、神である主イエス・キリストとの霊的一体化(結婚)を果たす。・・・さて、以上の諸問題を見る限り、世界的な規模での悔い改めを必要とする、「万人の生き方」が問われている清めの試練の時代にいると言えよう。 あたかも、『旧約聖書』の最終巻を飾る「マラキ書」の預言的な警告が、 『旧約聖書』と『新約聖書』に「救い」を見出そうとする「世の教会」と「真の教会」、あるいは「自称クリスチャン」と「真のクリスチャン」に向けられているように思える。 「マラキ書」の預言的な警告を今こそ再認識すべきであろう。 

C.1998(平成10)年以降の教会教団(本部)の監督の腐敗堕落
 (1)教会教団(本部)は、東京都杉並区のJR荻窪駅南口から徒歩10分の場所にあるが、第三代監督に村井美都子が就任して以来、教会教団(本部)の一階にある礼拝堂を除き、監督室の周辺からは、極めて世俗的で非聖書的な言動が発信されるようになった。 村井美都子は、深酒による酩酊状態での講壇・公私を混同した乱脈な経理など、世俗的な生活態度を露骨に示した。 また、1999年冬の秋田大聖会において、聖餐式のパンが足りなくなったため、急きょ、調理場に捨て置いていた焼け焦げのパンを信者に食べさせるなど、「神」の尊厳を冒す行為を繰り返した。  (2)この結末は、『神の前における真偽正邪を明らかにするため、真正なる者は、熱湯へ手を入れても、ただれない』と考える古代の神明裁判 「探湯」(くかたち)の如しであった。 つまり、2000(平成12)年1月26日、教会教団(本部)の浴室内の浴槽で、死後三日間、湯立られた遺体となって発見された。 これにより、教会教団(本部)内は、大騒ぎとなり、警察の捜査も行われた。 なお、『村井美都子は、大変潔癖な性格であるため、取り巻きの牧師たちの世俗的な利害打算の感情に巻き込まれて悩んでいた』という好意的な見方もある。  (3)この後、しばらくすると、次の第四代監督として、創設者の長男という理由だけで、村井純基が就任した。 村井純基は、教会の牧会とは何の関わりも無く、牧師でもなかった。 監督職へ就任するにあたり、牧師たちから、『長老による按手礼を受けるべきこと』を勧められたが、『七歳の時に姉の美都子と二人で父親(村井ジュン)から按手礼を受けたから今更必要ない』と述べた。 この態度だけで、主イエス・キリストを頭とする教会に対する冒涜であるが、冒涜行為は、これだけに止まらなかった。  (4)例えば、牧師たちから「愛」に関する見識を問われると、『私は、フランス文学者だから、愛については、もう十分に知っている。愛ちゃんは、太郎君の花嫁になるんだ』という愚に返る暴言を吐いた。  (5)また、推理小説家・シャンソン歌手の戸川昌子(1933~2016)との内縁関係を継続するなど、監督職にあるまじき、極めて破廉恥な世俗生活を送り続けた。  (6)『教会を破壊するために監督に就任した』と揶揄された村井純基は、主イエス・キリストの御体の霊的象徴である聖餐式のパンを複数個も焼かせ、牧師たちにビニール手袋を着用させて、これを裂かせ、葬儀などの、あらゆる集会の機会に聖餐式を執行させた。 かくして、従来の正しい聖餐式は、非聖書化・低俗化された。  (7)さらに、黄泉または天国にいる死者と、この地上の生者との合同の祈祷会である「祖先祭」を、新しく「喜霊祭」と命名し、歴代監督の遺骨を礼拝させるなど、牧師たちの忠告に従うことなく、諸礼典を変更した。 ちなみに、『霊讃歌』の中には、62番「祖先祭」と61番「身代り洗礼」という表題があるが、黄泉にいる死者の御霊を慰める「慰霊祭」とか、天国にいる死者の御霊を喜ぶ「喜霊祭」という表題はない。 あくまでも「祖先祭」であり、生者の夢などに死者が現れた事を契機として、生者から死者への愛をもって執り行う「身代り洗礼」という表題があるのみだ。  (8)牧師を養成する「日本聖書大学院」を閉鎖し、自己の意に沿う牧師を各地域の教会へ派遣する「巡回牧師制度」を始めたのみならず、『教会の包括関係を維持する』という名目の下にピラミッド型の集金組織を作るべく、各地域の教会の自治を損なう強権を発動した。  (9)「美しき都の子」という故村井美都子の讃美歌を大勢の信者たちに歌わせた。 ちなみに、この讃美歌を作詩・作曲した、ある地域の教会の女性牧師は、それから一年間も経ずして、自宅兼用の教会の礼拝堂にあるピアノに座ったまま、亡くなった。 そして、この娘が牧師を務める別の地域の教会も、人けのない廃墟と化した。 牧師たちから、『神である主イエス・キリストに対する讃美歌ではなく、個人崇拝だ』と叱責された顛末が、これである。  (10)アフリカ・ケニア伝道に出向いた、ある女性牧師は、悲惨な交通事故で現地の子供三人と共に亡くなった。 『呪われている』としか表現のしようがない「偶然」が、教会内で頻発した。  (11)各地域の教会は、村井純基の冒涜的で横暴な振る舞いに耐え切れず、2000(平成12)年以降になると、教会教団(本部)から次々と独立した。 これを『2000年の大分裂』と呼ぶ。  (12)そして、2006(平成18)年7月を迎えると、教会に混乱と分裂をもたらした村井純基自身が、突如、緊急入院する事態に陥り、程無くして亡くなった。 村井ジュンは、『息子は、父のしていることを、とても恐れており、できない』と語った。 また、『村井純基は、人の心を読み、大変に思慮深い行動をとった』と好意的に評価する牧師もいた。 しかし、村井ジュンの評価からすれば、村井純基は、「霊の人」になろうとせず、あくまでも「肉の人」であったようだ。  (13)さて、村井純基が緊急入院した、教会運営の混迷時において、村井美都子ら役員付の運転手をしていた三戸富夫は、広島県の安芸イエス之御霊教会の牧師の娘婿であるが、村井純基が病室で亡くなった2006(平成18)年8月5日に、『村井純基監督から、次の監督に就任すべしとの自筆の信任状を得た』と公言しながら第五代監督に就任した。 但し、その信任状は、今もって公式に確認されていない。 信任状の証拠を示さず、反対する牧師が大勢いたにもかかわらず、簒奪就任したのである。 なお、宗教法人法に基づく届出上においては、「代表役員代務者」となっていたが、2008(平成20)年5月6日に「代表役員」に就任した。  (14)三戸富夫は、安息日礼拝に怠慢であり、牧会に姿を見せず、聖餐式などにおける霊的な責任を回避し続け、聖霊からの「報い」を恐れていた。 しかも、講壇の説教内容が空疎で全体的な整合性がなく、『聖書』の聖句を理解する知性が明らかに不足していた。 そして、異言の祈りにおいては大声を出すものの、異言一辺倒では、どうしようもない。 但し、正確に言えば、異言ではなく、偽異言・意識異言と呼ぶべき、グローリー・ハレルヤなどの十数語の暗唱した単語を意識的に連呼したり、動物のような遠吠えを繰り返すだけでは無意味だ。 異言とは、無意識から湧いてくる不思議な言葉であり、暗唱した単語を連呼する意識的な言葉では決してない。 そもそも、村井ジュンが、『霊讃歌』の序において、『 「・・・ 私(パウロ)は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。 霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。」 1コリント14章15節、 「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。」 コロサイ3章16節 』と、『聖書』の聖句を引用したのは、三戸富夫のごとく、『聖書』の聖句を理解する知性の涵養を怠ったまま、異言一辺倒の監督が君臨する偏屈な教会に陥る危険性を予知して危惧したからではなかったのか。 但し、逆説的ではあるが、異言一辺倒で賛美歌を歌い、聖餐式を執り行うのみの安息日礼拝に徹するが故に、「人の肉の思い」 「自己自身の世俗話」の入り込む余地がなく、「脱世俗化」に成功している。  (15)信者が、『霊讃歌』の入手を希望した時には無料で配布していたが、三戸富夫は、信者の世話をしている博学な長老に対して、『霊讃歌には霊的な真理が記されているため、信者に配布してはならない』と命じて、『霊讃歌』の配布を禁止した。 従来のように、霊的な真理を普及することに務めねばならないはずであるが、どこから、このような考え方が湧いてきたのか。 また、『霊讃歌』のみならず、村井ジュンの著作物を信者の眼から隠した上で、『過去のことは忘れて、現在の新しい体制に従うべきだ』と力説した。 しかも、村井ジュンの著作物を封印した時点から、教会の霊的衰亡が始まったことを認識していなかった。 まさに本末転倒で、「霊の人」 村井ジュンこそがイエス之御霊教会の「本」である。  (16)『三戸富夫は、安芸イエス之御霊教会の傀儡監督にすぎない』 という一部の牧師の見方は、「大聖会」を広島市内で頻繁に開催し続けた状態からすれば正鵠を射ていた。 また、『大患難時代に入る前に、私たちは必ず携挙される』 と堂々と宣言した、その気迫には感銘を受けたが、ここに聖霊の働きを見出すことはできない。 なぜなら、携挙の時期は、患難後の御再臨の時期であり、「患難前携挙説」は、『聖書』を曲解した迷妄愚説である。 次の動画で詳しく正確に解説されている。参照: 「聖書による携挙の時期と有様」 https://www.youtube.com/watch?v=WEE2DX0E4cg (50:44)  (17)「世の教会」のごとく、ピアノ演奏会の開催、イベント開催時などにおける教会への奉仕の精神の強調、子供に対する七五三祭・感情訴求伝道などを止め、雑多な大人を霊的に啓蒙せねばならないはずだ。 それに、世俗社会の政治扇動集会のように、右腕の握りこぶしを突き上げるポーズを必ず行い、子供を含む信者にも行わせている。 いっそのこと、ローマ帝国式の敬礼(「ハイル・ヒットラー!」のポーズ)にして、「下品な肉の人、万歳!」と叫べば、信者の覚醒を促すだろう。  (18)余談になるが、村井ジュンと村井スワ両監督の葬儀において、村井純基と長年の内縁関係にあった戸川昌子が葬儀会場の親族席に座り、火葬場へ向かう時も親族車に乗った。 この一方、村井純基は、両監督の葬儀に出席しなかった。 つまり、監督に就任する前の村井純基は、イエス之御霊教会を辟易して遠ざけており、戸川昌子を自らの代理人として両監督の葬儀に出席させた。 これを見る限り、『初代教会の復興を伝道するイエス之御霊教会』の監督として不適格な村井純基による冒涜的な行為の数々は、法華経系の(宗)霊友会の信者である戸川昌子の邪悪な提言によるものであったのかもしれない。 なお、戸川昌子は、村井美都子と村井純基両監督の葬儀には出席していないため、村井純基亡きあとのイエス之御霊教会には、その邪悪さが及んでいないと考えられる。 但し、異端のキリスト教派と諸宗教の邪教団体のスパイ信者、即ち、悪魔・悪霊の使者が、イエス之御霊教会へ潜入し、異教流布・偶像礼拝・破戒活動をおこない続けている可能性も高い。  (19)これらの醜悪にして腐敗堕落した現状から目をそらすことなく、自戒を込めて警告すべき結論は、『神からの呪い・災い・報いを止めるためには、異教導入・預言者迫害・偶像礼拝・不品行・姦淫をおこなった古代イスラエル王アハブの王妃イゼベルを想起し、この女を離れて、悔い改める』(列王記上16章~列王記下9章黙示録2:20-23) ことだ。  (20)主イエス・キリストは、次のように言われる。  黙示録2:23 『 わたし(イエス・キリスト)は、この女(イゼベル)の子ども(個人崇拝者)たちをも死病によって殺す。 こうして全教会は、わたしが人の思いと心を探る者であることを知るようになる。 また、わたしは、あなたがたの行ないに応じてひとりひとりに報いよう。 』  ちなみに、『聖書』には、のろいが76節、わざわい(災い)が267節、報いが131節もある。 例えば、申命記 11:26-28 『見よ。私は、きょう、あなたがたの前に、祝福とのろいを置く。 もし、私が、きょう、あなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令に聞き従うなら、祝福を、もし、あなたがたの神、主の命令に聞き従わず、私が、きょう、あなたがたに命じる道から離れ、あなたがたの知らなかったほかの神々に従って行くなら、のろいを与える。』 と書いてある。 このように、『聖書』の神から特別に愛されている「神の選民」たるヘブル人・イスラエル人・ユダヤ人の祝福と呪いに彩られた個別の人生と民族の歴史に見られるごとく、『聖書』の神である主イエス・キリストから特別に愛され、また、主イエス・キリストを信じて愛する世界各国の異邦人のクリスチャンにも、神である主からの祝福と呪い、恵みと災い、報い即ち、報酬と損害、復讐と無力とが、その個別の人生と民族の歴史に顕在化してきたし、今後も顕在化し続けるであろう。 呪い・災い・悪い報いという不幸な現象を帳消しにしうるのは、主イエス・キリストのあわれみだけである。

ローマ 12:1
『そういうわけですから、兄弟たち。 私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。 あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。 それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。』

(6) イエス之御霊教会の未来
 イエス之御霊教会の現状に関しては、教会教団(本部)の監督が、いかなる人格者であれ、教会教団(本部)及び、そこから独立した世界各国及び日本国の各地域にある教会の伝道者・牧師・教師・長老・信者は、われらの主であるイエス・キリストの御霊、即ち、聖霊に導かれながら、主イエス・キリストの御意(みこころ)を『聖書』 に基づいて確信し、その祝福(あわれみ)を受けている。 なぜなら、主イエス・キリストは、個別の信者の全てをお見通しでおられる。 また、安息日礼拝は、主イエス・キリストに会うために集われ、「肉の人」に会うために集われるのではない。 この霊的な認識は、監督以下の全員の共通認識だ。 イエス之御霊教会は、聖霊に従う教会である。 別言するなら、聖霊を中心に集う、「キリストの体」なる教会であるが故に、イエス之御霊教会の未来は、聖霊の働きに委ねられている。 つまり、「真の教会」とは、「宗教」の組織ではなく、聖霊と直接的に結びついた信仰者から成る霊的な有機体だ。 この辺の微妙なニュアンスに関しては、次の動画にある。 如何なる教会であれ、主イエス・キリストの御意(みこころ)にかなう「真の教会」の歩みと違うのであれば、聖霊による審判が下されよう。
「宗教の悪霊を克服して、聖霊を受け入れる」 Mr.Faisal Malick and Ms.Patricia King
https://youtu.be/-V_kLi1VEOQ (28:30)



【 12 】 世にも不思議な数々の奇跡

(1) 主イエス・キリストによるイエス之御霊教会の個別の信者への祝福と あわれみ
 信者勧誘と営利を目的とする宗教団体または悪魔・悪霊に突き動かされている組織であれば、通常、『不治の病気が奇跡的に完治した』 とか、『宝くじで大金を当てた』 といった奇跡・幸運・美談・利益・救済のみを誇大宣伝するのであろうが、イエス之御霊教会に関しては、そのような宣伝は無用であるし、路傍伝道と機関誌を別にすれば、一切の勧誘宣伝をしてこなかった。 何しろ、教会案内用のホームページや諸々の印刷物すら用意してこなかった。 また、牧師の誰であれ、自己の名前さえも「公」に語ることなく、『主の御名のみを覚え、主の御名を称えて下さい』 と告げるのみで、「私」なるエゴを完全に滅却してきた。 そして、なぜ、勧誘宣伝が無用かと言えば、聖霊のお導きに任せると同時に、世界各国及び日本国の各地域にあるイエス之御霊教会の個別の信者に対する主イエス・キリストの祝福(あわれみ)を説明していたらキリがないほど日常的にみられる不思議な現象を体験してきたからだ。『百聞は一見にしかず』 という格言があるように、イエス之御霊教会の安息日礼拝を敬虔に継続する限り、世にも不思議な数々の奇跡を自ら体験し、また、自らの眼で目撃し、耳で聞くことになる。 だから、勧誘宣伝は信仰の証ではなく、「真 の教会」 「キリストの体」 「キリストの花嫁」に属する「霊の人」であるが故に、本来、あるまじき世俗化・腐敗堕落・異端化を包み隠さずに糾弾し、正していくことが信仰の証となる。 なお、「奇跡」とは、不思議な現象が起きた原因と結果の因果関係を、人智によって理解できない時に用いる表現方法であり、「運」という表現方法と双子の関係にある。 従って、神の視点からすれば、「奇跡」と「運」は無く、人の意識の働きによって起こるべくして起きた、必然の出来事になる。  さて、イエス之御霊教会の世界各国における洗礼者数の推移を見ると、2010年に約6000人で、この半数は日本国籍であったが、2015年に約400人となり、2010年~2015年の5年間で15分の1へと減少した。 これを見る限り、「恵みの時代」(教会時代)は、「キリスト昇天2000周年」の2029年の7年前である2022年を以って終わるのではないだろうか。 つまり、世俗社会を支配する悪魔サタン=ルシファーの側につくのか、神の御国におられる主イエス・キリストの側につくのか、一人一人が明確に選択せざるを得ない、聖霊無き、大患難時代が直近に迫ってきていると感ずる。

(2) イエス之御霊教会の教理
 「教理」に関しては、別頁にある 『 イエス之御霊教会の教理概要 』 を参照してほしい。 但し、あくまでも概要(大雑把なあらまし)に過ぎない。 なお、「教理」とは、知識の統一的全体(教えの体系)を意味する。 そして、「教義」とは、「教理」を構成する個別の原理(根本法則)を指す。 別言するなら、個別の原理(根本法則)である「教義」から構成された知識の統一的全体(教えの体系)を「教理」という。 但し、次のことを肝に銘じておかねばならないだろう。 『聖書』 は、神である主イエス・キリストの霊感に基づく真理の書だ。 従って、人の知性は、決して、『聖書』 を追い抜けないが、人の知性は、『聖書』 と「実在」とが一致していることを認識してきた。 そして、『聖書』 が論理的に一貫した整合性をもっていることを認識している。 さらに、『聖書』 に関する仮説は、事実によって検証されるであろうことを確信している。 だから、『聖書』 の全体を「教理」とするならば、その「教義」は、モーセの「十戒」と、主イエス・キリストの「山上の垂訓」に集約されるだろう。 これらの「教義」に明示されている戒めは、(1)神である主から人への「愛」 (2)人から神である主への「愛」 (3)神である主の御意に従う人と人との「愛」を守るためにある、と考えられる。

(3) 聖い信仰に生き、異端と決別した、主イエス・キリストを頭とする教会
 「真の教会」であるイエス之御霊教会は、主イエス・キリストを頭とする教会であり、主イエス・キリストへの愛を貫く、最も聖い信仰を保たねばならない。 このため、『聖書』に反する異端と決別せねばならないことを勧告した公同書簡のひとつである『ユダの手紙』の聖句に着目しよう。 異端との闘いの成否は、ひとえに、主イエス・キリストのあわれみによる。

エペソ 5:23
『なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身(キリスト)がそのからだ(教会)の救い主であられるように、夫(キリスト)は妻(教会)のかしらであるからです。』

コロサイ 1:18
『また、御子(主イエス・キリスト)はそのからだである教会のかしらです。 御子(主イエス・キリスト)は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。 こうして、ご自身(主イエス・キリスト)がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。』

ユダの手紙 17-21 
『愛する人々よ。 私たちの主イエス・キリストの使徒たちが、前もって語ったことばを思い起こしてください。 彼らはあなたがたにこう言いました。 「終わりの時には、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう、あざける者どもが現われる。」  この人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。 しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、 神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。 』 

(4) 聖い信仰を守るための、異端との闘い
 異端とは、キリスト教の仮面をつけた、ベリアル(悪魔サタンの別名)、偶像(悪霊)、反キリストの霊、にせ預言者を信仰して礼拝することである。 つまり、『キリストを信ずる』 『聖霊を信ずる』と公言するも、その心の内奥において悪魔・悪霊に従い、主イエス・キリストの十字架による罪の赦しを信じず、自己の罪を否認しながら、罪を悔い改めず、主イエス・キリスト以外の生命や光があると考えて、これらを求め、教理・礼典・行動の一切の終局が、主イエス・キリストを崇めず、『聖書』を冒涜する悪魔礼拝に陥ったキリスト教の宗派を異端と言う。 例えば、聖母マリア崇拝・個人崇拝・偶像礼拝を行い、中世の暗黒時代に敬虔なクリスチャンを大量虐殺し、「神の子の代理人」という『私は神と等しい』とする称号を持つローマ教皇の下で、『人の罪を赦す権威がある』『偶像礼拝の禁止を十戒から削除した』『安息日礼拝を拒否し、主日礼拝(日曜日礼拝)を行え』といった主張をするローマ・カトリック教会は、『聖書』の教えに背き続ける「壮大な異端」に他ならない。 また、「モルモン書 イエス・キリストについてのもう一つの証」(1830)という『聖書』と異なる内容の経典を持つモルモン教=末日聖徒イエス・キリスト教会は、「その他、大勢の異端」のひとつである。 但し、「異端者」「凶悪犯罪者」であっても、神である主イエス・キリストは、その回心・救いを絶対にあきらめず、たった一人であれ、異端教会の中に敬虔な信者がいれば、その異端教会を見捨てる事はない、と信ずる。 さて、最後に、異端を識別する上で役立つ聖句を次に挙げておこう。  ラテン語で「神の子の代理人」を意味するヴィカリウス・フィリィー・デェイ VICALIUS FILII DEI は、ローマ教皇冠に刻印されており、ローマ・カトリック教会の公式文書においても、ローマ教皇の称号として頻繁に使われる。ちなみに、このラテン語の各文字に相当する数字を合計すると、「獣の数字666」(黙示録 13:18)となる。

2コリント 6:15-16
『キリスト(救世主)とベリアル(悪魔サタンの別名)とに、何の調和があるでしょう。 信者(クリスチャン)と不信者(ノンクリスチャン)とに、何のかかわりがあるでしょう。 神の宮(聖霊)と偶像(悪霊)とに、何の一致があるでしょう。 私たちは生ける神の宮なのです。 神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。』

1ヨハネ 2:22-23
『偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。 御父と御子を否認する者、それが反キリストです。 だれでも御子を否認する者は、御父を持たず、御子を告白する者は、御父をも持っているのです。』

1ヨハネ 4: 1-6
『愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。 それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。 なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。 人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。 それによって神からの霊を知りなさい。 イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。 それは反キリストの霊です。 あなたがたはそれ(反キリストの霊)が来ることを聞いていたのですが、今それ(反キリストの霊)が世に来ているのです。 子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。 そして彼ら(反キリストの霊)に勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方(聖霊=主イエス・キリスト)が、この世のうちにいる、あの者(悪魔サタン)よりも力があるからです。 彼ら(にせ預言者)はこの世の者です。ですから、この世のことばを語り、この世もまた彼ら(にせ預言者)の言うことに耳を傾けます。  私たちは神から出た者です。神を知っている者は、私たちの言うことに耳を傾け、神から出ていない者は、私たちの言うことに耳を貸しません。 私たちはこれで真理の霊と偽りの霊とを見分けます。 』 

(5)「主の祈り」 -主イエス・キリストが弟子たちに教えた祈り方- マタイ6:9-13ルカ11:2-4
 『天に存(ま)します我らの父よ。願わくは聖名(みな)を崇めさせ給え。 御国を臨(きた)らせ給え。 聖旨(みこころ)の天になる如く地にもなさせ給え。 我らの日用の糧を今日も与え給え。 我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦し給え。 我らを試練(こころみ)に遭(あわ)せず悪より救い出し給え。 国と権力(ちから)と栄(さかえ)とは限りなく汝のものなればなり。 アーメン 』

(6) イエス之御霊教会の「頌栄」 -主イエス・キリストの弥栄を祈る歌-
 『天地(あめつち)の主なる唯一の神 キリストイエスにみさかえあれ 栄光と能力(ちから) 富と尊崇(とおとき)は 世世に限りなく主のものなり 』

(7) イエス之御霊教会の「祝祷」 -村井ジュン師の制定による信者を祝福する祈祷-
 『仰ぎ、請い願わくば、唯一の大能の神、永遠(とこしえ)の父、平和の君、万人の贖い主なる主イエス・キリストより賜う真理と恩寵、また、御(おん)祝福と御(おん)愛と平安と御(み)光と慰めと励ましと御(おん)導きは、真の教会の上に、また、ここに集いし愛する兄弟姉妹方 御(お)一人一人の上に、常に豊かに与えられんことを! 』  アーメン



脱稿2012(平成24)年11月29日(木)
公開2012(平成24)年 8月14日(火)15:00
saintsfellowship@outlook.com 聖書伝道会



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