わたしたちは、どこから来て、どこへ行くのか? 『聖書はすべて、神の霊感による』(Ⅱテモテ3章16節)ものであり、 『ちり(肉体)はもとあった地(土)に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。』(伝道者12章7節) 『人は、肉体的には両親から生まれます。しかし、人は、霊的には御霊から生まれるのです。』 (ヨハネ3章6節) と書いてある。 わたしたちは、聖霊を受けることにより、『聖書』を正しく理解し、真理を知り、罪の奴隷から解放され、真の自由を得よう。
2014年5月25日日曜日
『 洗礼式の本義 』
序 言
2012(平成24)年12月22日(土)の前後は、マヤ文明(前300年頃~1200年頃)のマヤ暦 ※1 における「終末の日」と言われていた。 しかし、この日のライブドア・ニュースによれば、『マヤ暦の研究者たちが、マヤ暦を現在のグレゴリオ暦に換算した時に、4年に1回ある閏年を計算していなかった』 という。 従って、マヤ暦の正しい「終末の日」は、エジプトのイシス神殿の伝説 ※2 にある「終末の日」と重なる2015(平成27)年9月23日(水) 秋分の日、ユダヤ教の大贖罪日になる。 しかも、この9月23日(水) 秋分の日の前後の間、珍しい日食3回と月食3回を 地上から6回も観察できる以上、『地上の万人に対する宇宙的な次元上昇(英語: アセンション Ascension)を伝えるシグナル(合図)だ』 と感じられる。 但し、「終末の日」と言っても、『人の思考観念の枠組みが一新される日』 『人の精神レベル(次元)が急速に上昇または下降する日』 『万人が、宇宙的規模での次元上昇の長い過程に入ったことを、太陽黒点の増大・ 異常気象の恒常化・ 地震の頻発・ 火山の噴火・ 神経生理学的な異常感の増大・・・ を通じて体感するようになる日』 というポジティブな意味を見出すべきだろう。
※1 マヤ文明(前300年頃~1200年頃)は、天文学・数学・暦法を中心とした都市文明であり、南米のユカタン半島・グアテマラ・ホンジュラスで栄えた。17種類もの精密なマヤ暦の中でも、25640年を宇宙の1周期としたロングカウント・カレンダーの中にマヤ文明の宇宙観を見出せるが、この暦法は、「霊的存在者」とのチャネリングを通じて得たのではないだろうか。 ロングカウント・カレンダーは、25640年を宇宙の1周期と考え、この「25640年=5128年×5等分」 という暦計算をした。 マヤ暦をグレゴリオ暦に換算するGMT対照法によると、「最後の5番目の周期開始=紀元前3114年8月11日、周期終了=2012年12月21日」 と計算したが、閏年を入れて再計算したところ、「最後の5番目の周期終了=2015年9月3日」 になったという。 但し、GMT対照法に基づく暦換算に誤差が頻出した過去の経緯を考慮すると、『正しくは、2015年9月23日(水) 秋分の日ではないのか』 と想われる。
※2 エジプトのフィラエ島に在る「イシス神殿」は、女神イシスが息子ホルスを産んだ土地を記念して建立された「神殿」であり、『』『 「神殿」が閉鎖されると、毎年の秋分の日に1体の神が「神殿」を去り、「神殿」に祀られている神々1465体の全てが神殿を去った年の秋分の日に世界が水没するだろう』 という予言を伝承してきた。 そして、『ローマ帝国による「イシス神殿」の閉鎖550年+神々1465体=2015年9月23日(水) 秋分の日』という計算になる。 果たして、2015年9月23日(水)秋分の日に世界は水没するのだろうか? 『世界の水没は、ありえない』 と思うが、海水温度の上昇・ 異常気象・ 地震頻発・ 火山噴火・ 大雨洪水・ 大雪被害・ 大干ばつが、世界各地で起きていることは間違いない。 しかし、『霊的に見た場合、2015年9月23日(水) 秋分の日から悪霊の大雨洪水が始まった』 と言えるような凶悪事件の続発・ 精神病の増加・ 精神的な腐敗堕落に起因した犯罪の日常化・ お金 ゲーム ポルノ 娯楽 飲食のみに興味を持つ 思考力無き家畜ゾンビ人間の増殖・・・・・といった激変中の世界情勢と否定的感情に覆われた社会状況にある。
◎ フィラエ島の「イシス神殿」の観光 (4:44) https://youtu.be/vj8dqGJlWhg
なお、2012(平成24)年12月22日(土)の直後に、反日左翼の民主党政権(2009年9月16日~2012年12月26日)が終焉し、親日右翼の自民党政権(2012年12月26日~現在)が誕生したわけであるから、『2012(平成24)年12月22日(土)秋分の日は、歴史の分岐点であった』 と言える。
そして、このような望ましい歴史の分岐点の渦中にあって、『 国家の指導者層は、武人→ 知識人→ 富裕者→ 武人 のサイクルで循環する』という社会循環論を提唱した、米国の経済学者 ラビ・バトラ(1943~ )を思い出した。 経済予測を見事に的中させてきた彼の社会循環論からすれば、利己主義の蔓延する私利私欲の時代 (商人の時代)が終り、精神的成長に価値を見出す滅私奉公の時代 (武人の時代)が始まったのであり、日本人の精神的成長に役立つ 洗礼式の本義について執筆しよう』 と考えてきた。
洗礼式の本義とは、バプテスマ(洗礼)の本来の正しい意義ということだ。ところが、まったく筆が進まなかった。 この理由は、バプテスマ(洗礼)の全体像をつかむために『聖書』の知識を充実させるにつれ、『バプテスマ(洗礼)は、歴史上の原理に如何なる影響を及ぼしてきたのか?』 という問題意識が高まってきたからだ。
歴史上の原理とは、国民世論・政治動向・景気変動・技術革新・情報通信・事件事故・戦争事変・天災地変という諸要因の影響を受けながら常に少しずつ変化する 時代潮流の法則・ 政治力学のルール・ 原因と結果の連鎖反応 という意味である。ここで、歴史上の原理を構成する、この三つの原則を簡潔に説明しておきたい。
(1) 時代潮流の法則 とは、ある時代の方向性を示す一定の流れのことである。例えば、封建的な絶対王政社会から市民革命を経て民主的な自由主義社会へと向かう近代社会の趨勢があった。
(2) 政治力学のルール とは、時代潮流の法則に従わざるを得ない諸国家間または諸国家内の諸勢力に作用する政治力学的なルールのことである。例えば、第一次世界大戦後、広大な植民地を持つ英米仏等の連合国陣営と、広大な植民地を持たない日独伊等の枢軸国陣営と、新興国のソ連が統率する共産主義陣営との三陣営に分かれての思想的・制度的・経済的・軍事的な対立構造が生み出した政治力学のルールは、諸国家間または諸国家内の諸勢力に対して、来たるべき第二次世界大戦に勝利する上で役立つ思想のみを国内外社会の共通認識にする公然または非公然の諸行動を強いた。ここで言う公然または非公然の諸行動とは、例えば、米国陸海軍が、枢軸国との戦争を想定して策定した国家戦略 レインボー・プラン(1939年)の推進などを指す。なお、思想こそが、価値観・政策の産みの親であり、これらの価値観・政策が政治・経済・法律面の諸制度と化す。
(3) 原因と結果の連鎖反応 とは、常に変化する政治力学のルールに適応することによって国内社会において優勢となった思想・価値観・政策の中に見出せる一定の原因が、ある一定の結果を生むということである。例えば、旧教カトリック教会という「偽りのキリスト教」の文化圏と化した欧州諸国内において、そのローマ帝国時代の4世紀に遡る反ユダヤ主義思想が、20世紀のナチス・ドイツによって継承された。その反ユダヤ主義思想の諸政策が原因となって、欧州諸国内にいたユダヤ人の国家意識を強化し、第二次世界大戦後の1948年に、ユダヤ人の国家であるイスラエル共和国の樹立という結果をもたらした。 そして、『バプテスマ(洗礼)は、歴史上の原理に如何なる影響を及ぼしてきたのか?』 という客観的な影響力に関する考察を、主観的な効果に関する考察に置き換えて表現すれば、『バプテスマ(洗礼)は、個人と社会を変え得(う)るのか?』 となる。この問題意識が、長年、脳裏を占めてきたのであり、本編の結言において、この解答をまとめた。
さて、この度、バプテスマ(洗礼)に関する執筆の困難性を体験したことにより理解できたことは、『バプテスマ(洗礼)は、キリスト教にとっての「始めであり、終わり」であり、聖餐式と並ぶ二大礼典の一つでありながら、キリスト教の教理と礼典の全体を包含する最も重要な霊的儀式である』 ということだった。 同時に、今更ながらに知ったことは、『イエス之御霊教会の創設者である村井ジュン師(1897~1970)が記した「聖書」の奥義書 「聖書神学」-根本教義-(1957年)の全11章のすべてがバプテスマ(洗礼)に関係する内容であった』 ということだ。 これは、当然であろう。なぜなら、イエス之御霊教会の歴史的な使命が「水と霊」 、即ち、ヨハネ 3:5 『人は、水と霊によって生まれなければ、神の国にはいることはできません。』 を伝道し、水と霊のバプテスマ(洗礼) による「真のクリスチャン」の教化育成に努め、「真の教会」を建設することにある以上、その伝道者・牧師・教師たちに水と霊のバプテスマ(洗礼)について正しく理解してもらう必要性があったからだ。
しかし、本編で『聖書神学』-根本教義-(1957年)の全11章のすべてを解説している時間的・心身的な余裕は無い。 また、本編の目的は、『聖書』の奥義に到達した伝道者・牧師・教師を育成することにはなく、『クリスチャンの正しい回心のための聖書義解 1』 において明らかにしたごとく、1コリント 1:10 『一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。』 という、初代教会の使徒パウロを通じて主から下達された要求を満たすことにある。
このため、旧教カトリック教会と大多数の新教プロテスタント教会という「世の教会」に集う自称クリスチャンと、キリスト教以外の諸宗教を信仰するノンクリスチャンという「隣人」を対象として、バプテスマ(洗礼)の基本的事項を、自己の体験談を交えながら 『洗礼式の本義』 として一般公開することにした。 最後に、情報資料の提供と実践的な助言をして頂いたイエス之御霊教会の牧師各位に衷心からの感謝を申し添えたい。
( 再編集中 )
公開2014(平成26)年5月25日(日)18:52
saintsfellowship@outlook.com 聖書伝道会
←前編 ■ 次編→
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿