序 言
断食 ( 英語: Fasting ) をした経緯であるが、何かの強い決意や信仰心をもって行ったわけではない。 休暇になり、時間をもてあましつつも、倦怠感にとらわれ、何も食べる気がしなかったので、そのまま、『何となく断食することにした』 のであった。 断食をしたのは、人生で初めてのことであったが、自宅でネットをしながら、くつろぎ、大半を寝て過ごしたにすぎない。 但し、後になって気づいたことであるが、この度の断食は、我 (われ)という「意識」による断食ではなく、聖霊という「無意識」の導きによる断食であった。
断食をしたのは、2014(平成26)年7月27日(日)日没後~7月29日(火)午前9時までの2日半である。 この間、ネット等を利用して『聖書』の断食観と断食の医学的な識見を深めることができたので、本編において、断食の宗教的な本義と医学的な効用について記しておこうと思う。
ちなみに、断食中に知ったことであるが、2014(平成26)年7月28日は、第1次世界大戦の開戦から100周年めになる。 今回の断食日と第1次世界大戦の開戦100周年めの日とが偶然の一致で重なったわけだが、下記はその記事になる。 『歴史は、螺旋状に繰り返す』 と言うが、今後の日本国の平和と繁栄を祈るばかりだ。
朝日新聞デジタル (ローマ発=石田博士) 2014年7月27日 23時59分 「第1次世界大戦の過ち、繰り返すな」 法王、ガザ戦闘に警告 ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は27日、28日の第1次世界大戦開戦100年にあわせ、「過去の過ちを繰り返してはならない」「戦争は絶対にだめだ。 今こそ止める時だ」と警告した。 バチカン・サンピエトロ広場に集う信徒に向けたスピーチで、法王はイスラエル・パレスチナ間の戦闘やイラク、ウクライナを明示し、対話を求めた。 「子どもたちが死に傷つき、親を失っている」とも訴えた。 第1次世界大戦は1914年7月28日、オーストリア・ハンガリー帝国がセルビアに宣戦布告して始まった。 1918年の終戦までに約1千万人が亡くなった。
また、断食後に知ったことであるが、車のラジオを流していたら、女優兼歌手の夏木マリ(1952~)が、『毎年定期的に断食している』 とのことである。 夏木マリは、断食が自己の肉体と精神に良いことを実感しているのであろうが、テレビでも断食の効用について喋っているようで、芸能界の一部では、彼女の体験談に触発されたのか、ちょっとした断食ブームになっているようだ。 なぜなら、この後にラジオを流していたら、別の無名の男性芸能人も、『ファスティング(断食)は、当初に考えていた以上に新鮮な体験だった』 と話していたからだ。
翻(ひるがえ)って、旧教カトリック及び新教プロテスタント並びにその他のキリスト教会の伝道者・聖職者たちは、断食をしたことがあるのだろうか? 当方が、ある牧師に『断食をしたことがありますか?』 と聞いたら、『ない。強制されて行うことでもないでしょう』 との返事であった。 大概は、このような実態であると推測される。 この意味で、『世俗社会の芸能人たちに、キリスト教会の伝道者・聖職者たちが、自己の身を戒める上において、引けを取っている』 と言えよう。 それにまた、自己の食欲を抑えられる自制心を持たない人が断食することはありえないのであるから、自制心を養うためにも断食を活用できる。
最後に、神である主イエス・キリストを礼拝する信仰者たちにとって最も肝心なことであるが、今回の些末な断食体験からしても、断食をしての祈りには想像を絶する効果があった。 ブログ上では、具体的なことを述べられないが、『仕事上の障害となっていた2007年以来の7年間にわたる懸案(けんあん)が、断食後1ヶ月間もしないうちに忽然と消えた』 のである。 これからは、神である主イエス・キリストの御意(みこころ)にかなう断食をしたい。
【 1 】『聖書』には、食物を得られぬために必然的に断食したことが記されている
(1) 大指導者 モーセ の断食
出エジプト 34:28
『モーセはそこ(シナイ山)に、四十日四十夜、主とともにいた。 彼(モーセ)はパンも食べず、水も飲まなかった。 そして、彼は石の板に契約のことば、十のことばを書きしるした。』
申命記 9: 9
『私(モーセ)が石の板、主があなたがた(イスラエルの民)と結ばれた契約の板を受けるために、山に登ったとき、私(モーセ)は四十日四十夜、山にとどまり、パンも食べず、水も飲まなかった。』
(2) 預言者 エレミヤ の断食
1列王記 19: 4- 8
『自分は荒野へ一日の道のりを入って行った。彼(エレミヤ)は、えにしだの木の陰にすわり、自分の死を願って言った。 「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。 私は先祖たちにまさっていませんから。」 彼(エレミヤ)が えにしだの木の下で横になって眠っていると、ひとりの御使いが彼にさわって、「起きて、食べなさい」と言った。 彼(エレミヤ)は見た。 すると、彼(エレミヤ)の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水の入ったつぼがあった。 彼(エレミヤ)はそれを食べ、そして飲んで、また横になった。 それから、主の使いがもう一度戻って来て、彼(エレミヤ)にさわり、「起きて、食べなさい。 旅はまだ遠いのだから」と言った。 そこで、彼(エレミヤ)は起きて、食べ、そして飲み、この食べ物に力を得て、四十日四十夜、歩いて神の山ホレブに着いた。』
(3) 使徒 パウロ の断食
2コリント 6: 5
『また、むち打たれるときにも、入獄にも、暴動にも、労役にも、徹夜にも、断食にも、 』
2コリント 11:27
『労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。』
【 2 】 大贖罪日(ヨム・キップール)におけるレビ族の祭司たちの断食について
ユダヤ暦の第7月(ティシュリーの月)の10日は、大贖罪日(ヨム・キップール)という大祭日であり、祭司であるアロンの子ら(レビ族の祭司たち)は、その身を戒める断食をせねばならない。(レビ記16:29-31) なお、ユダヤ暦の第7月(ティシュリーの月)は、現代社会のグレゴリオ暦の9月~10月に相当する。 また、アロンは、モーセの三歳年上の兄であり、神に選ばれて出エジプト後のイスラエル初代の大祭司となった。 アロンの子孫は、祭司職を独占し、レビ人と呼ばれた。(出エジプト6:20、同左7:7、民数記26:59) なお、2015年の大贖罪日(ヨム・キップール)は、 9月23日になる。
ユダヤ教の大祭司は、大贖罪日(ヨム・キップール)に雄牛・雄羊・雄やぎの犠牲を 神である主に捧げ、自己自身と全イスラエルの民のために、その罪を清める贖いの儀式を行った。(レビ記16:1-34、同左23:26-32、民数記29:7-11) なお、聖句中にある「身を戒める」とは、具体的には「断食」を指す。
レビ記16:29-31
『以下のことはあなたがた(レビ族の祭司たち)に、永遠のおきてとなる。 第七の月の十日には、あなたがたは身を戒めなければならない。 この国に生まれた者も、あなたがたの中の在留異国人も、どんな仕事もしてはならない。 なぜなら、この日に、あなたがたをきよめるために、あなたがたの贖いがなされるからである。 あなたがたは、主の前でそのすべての罪からきよめられるのである。 これがあなたがたの全き休みの安息であり、あなたがたは身を戒める。 これは永遠のおきてである。』
レビ記23:26-31
『ついで主はモーセに告げて仰せられた。 「特にこの第七月の十日は贖罪の日、あなたがた(レビ族の祭司たち)のための聖なる会合となる。 あなたがたは身を戒めて、火によるささげ物を主にささげなければならない。 その日のうちは、いっさいの仕事をしてはならない。 その日は贖罪の日であり、あなたがたの神、主の前で、あなたがたの贖いがなされるからである。 その日に身を戒めない者はだれでも、その民から断ち切られる。 その日のうちに仕事を少しでもする者はだれでも、わたしはその者を、彼の民の間から滅ぼす。 どんな仕事もしてはならない。 これは、あなたがたがどこに住んでいても、代々守るべき永遠のおきてである。』
民数記26:7
『この第七月の十日には、あなたがた(レビ族の祭司たち)は聖なる会合を開き、身を戒めなければならない。 どんな仕事もしてはならない。』
【 3 】 大贖罪日(ヨム・キップール)以外の断食は年4回行われてきた。
律法(レビ記、民数記)によらない断食 (=大贖罪日以外の断食)は、南朝ユダ王国のユダヤ人のバビロン捕囚帰還後から年4回行われてきた。 例えば、預言者ゼカリヤは、預言者ハガイと共にバビロン捕囚から帰還したユダヤ人を激励して、バビロニア帝国によって破壊されたエルサレム神殿を再建させ、また、「ゼカリヤ書」を記したが、これを記した年月は、「ダリヨス王の第四年の第九の月」(ゼカリヤ 7:1)であり、現代社会のグレゴリオ暦の紀元前518年12月に相当するが、この「ゼカリヤ書」8章19節によれば、『断食は、バビロン捕囚からの帰還後の紀元前518年以降、レビ族の祭司たちに限らず、ユダヤ人一般に広く普及して例祭となった』 と分かる。
ゼカリヤ 8:19
『万軍の主はこう仰せられる。 「第四の月の断食、第五の月の断食、第七の月の断食、第十の月の断食は、ユダの家にとっては、楽しみとなり、喜びとなり、うれしい例祭となる。 だから、真実と平和を愛せよ。」 』
(1) 第四の月の九日の断食 ( タムーズの月の九日の断食、グレゴリオ暦の6月~7月 )
バビロンの王ネブカデネザルによるエルサレム陥落の第四の月の九日を追悼する断食
エレミヤ 52:6- 7
『第四の月の九日、町(エルサレム)の中では、ききんがひどくなり、民衆(ユダヤ人)に食物がなくなった。 そのとき、町(エルサレム)が破られ、戦士たちはみな逃げて、夜のうちに、王の園のほとりにある二重の城壁の間の門の道から町(エルサレム)を出た。 カルデヤ人(ネブカデネザルが率いる新バビロニア帝国の民)が町(エルサレム)を包囲していたので、彼ら(戦士たち)はアラバへの道を行った。』
(2) 第五の月の七日の断食 ( アブの月の七日の断食、グレゴリオ暦の7月~8月 )
バビロンの王ネブカデネザルによる神殿破壊の第五の月の七日を追悼する断食
2列王記 25:8- 9
『第五の月の七日――それは、バビロンの王ネブカデネザル王の第十九年であった――バビロンの王の家来、侍従長ネブザルアダンがエルサレムに来て、主の宮と王宮とエルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物をことごとく火で焼いた。』
(3) 第七の月の二日の断食 ( ティシュリーの月の二日の断食、グレゴリオ暦の9月~10月 )
第七の月の十日は、大贖罪日(ヨム・キップール)だが、これに先立つ第七の月の二日の断食がある。 即ち、ユダ総督ゲダリヤがイシュマエル一味によって殺害された第七の月の二日を追悼する断食だ。 ゲダリヤという名前は、「ヤハウェは偉大なり」を意味する。 アヒカムの子でシャパンの孫。エルサレム陥落後、バビロンの王ネブカデネザルによってユダの総督に任命されたが、バビロンに逆らうイシュマエル一味によってミツパで殺害された。
2列王記 25:22-25、 エレミヤ 39:14、 エレミヤ 40:7-41:10 参照
(4) 第十の月の十日の断食 ( テベットの月の十日の断食、グレゴリオ暦の12月~1月 )
バビロンの王ネブカデネザルによるエルサレム包囲開始の第十の月の十日を追悼する断食
2列王記 25:1
『ゼデキヤ(南朝ユダ王国の最後の王)の治世の第九年、第十の月の十日に、バビロンの王ネブカデネザルは、その全軍勢を率いてエルサレムを攻めに来て、これに対して陣を敷き、周囲に塁を築いた。』
エレミヤ 52: 4
『ゼデキヤ(南朝ユダ王国の最後の王)の治世の第九年、第十の月の十日に、バビロンの王ネブカデネザルは、その全軍勢を率いてエルサレムを攻めに来て、これに対して陣を敷き、周囲に塁を築いた。』
(5) その他の断食 ( ユダヤ教パリサイ派のユダヤ人は、週2度の断食を行う )
ユダヤ教パリサイ派のユダヤ人は、モーセがシナイ山に入った木曜日(週の第5日)と、
下山した月曜日(週の第2日)を記念して、週2度の断食を行う。
ルカ 18:12
『私(パリサイ派のユダヤ人)は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』
【 4 】 悲嘆にくれ、神への懺悔を表す宗教的な行為としての断食
士師記 20:26
『それで、すべてのイスラエル人は、全民こぞってベテルに上って行って、泣き、その所で主の前にすわり、その日は、夕方まで断食をし、全焼のいけにえと和解のいけにえを主の前にささげた。』
1サムエル 7: 6
『彼らはミツパに集まり、水を汲んで主の前に注ぎ、その日は断食した。 そうして、その所で言った。「私たちは主に対して罪を犯しました。」 こうしてサムエルはミツパでイスラエル人をさばいた。』
1サムエル 31:13
『それから、その骨を取って、ヤベシュにある柳の木の下に葬り、七日間、断食した。』
2サムエル 1:12
『彼らは、サウルのため、その子ヨナタンのため、また、主の民のため、イスラエルの家のためにいたみ悲しんで泣き、夕方まで断食した。彼らが剣に倒れたからである。』
2サムエル 12:16
『ダビデはその子のために神に願い求め、断食をして、引きこもり、一晩中、地に伏していた。 』
2サムエル 12:21-23
『すると家来たちが彼に言った。 「あなたのなさったこのことは、いったいどういうことですか。 お子さまが生きておられる時は断食をして泣かれたのに、お子さまがなくなられると、起き上がり、食事をなさるとは。」 ダビデは言った。 「子どもがまだ生きている時に私が断食をして泣いたのは、もしかすると、主が私をあわれみ、子どもが生きるかもしれない、と思ったからだ。 しかし今、子どもは死んでしまった。 私はなぜ、断食をしなければならないのか。 あの子をもう一度、呼び戻せるであろうか。 私はあの子のところに行くだろうが、あの子は私のところに戻っては来ない。」 』
1列王記 21: 9
『手紙にはこう書いていた。 「断食を布告し、ナボテを民の前に引き出してすわらせ、 』
1列王記 21:12
『彼らは断食を布告し、ナボテを民の前に引き出してすわらせた。 』
1列王記 21:27
『アハブは、これらのことばを聞くとすぐ、自分の外套を裂き、身に荒布をまとい、断食をし、荒布を着て伏し、また、打ちしおれて歩いた。 』
1歴代誌 10:12
『勇士たちはみな、立ち上がり、サウルのなきがらとその息子たちのなきがらとを取り上げ、これをヤベシュに運んで、彼らの骨をヤベシュにある樫の木の下に葬り、七日間、断食した。 』
2歴代誌 20: 3
『ヨシャパテは恐れて、ただひたすら主に求め、ユダ全国に断食を布告した。』
エズラ 8:21
『そこで、私(エズラ)はその所、アハワ川のほとりで断食を布告した。それは、私たちの神の前でへりくだり、私たちのために、私たちの子どもたちと、私たちのすべての持ち物のために、道中の無事を神に願い求めるためであった。 』
エズラ 8:23
『だから、私たち(エズラたち)はこのことのために断食して、私たちの神に願い求めた。 すると神は私たちの願いを聞き入れてくださった。 』
エズラ 10: 6
『エズラは神の宮の前を去って、エルヤシブの子ヨハナンの部屋に行き、パンも食べず、水も飲まずにそこで夜を過ごした。 捕囚から帰って来た人々の不信の罪を嘆き悲しんでいたからである。』
ネヘミヤ 1: 4
『私(ネヘミヤ)はこのことばを聞いたとき、すわって泣き、数日の間、喪に服し、断食して天の神の前に祈って、 』
ネヘミヤ 9: 1
『その月の二十四日に、イスラエル人は断食をし、荒布を着け、土をかぶって集まった。 』
エステル 4: 3
『王の命令とその法令が届いたどの州においても、ユダヤ人のうちに大きな悲しみと、断食と、泣き声と、嘆きとが起こり、多くの者は荒布を着て灰の上にすわった。 』
エステル 4:16
『 「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私(エステル)のために断食をしてください。 三日三晩、食べたり飲んだりしないように。 私(エステル)も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。 たとい法令にそむいても私(エステル)は王のところへまいります。 私(エステル)は、死ななければならないのでしたら、死にます。」 』
エステル 9:31
『ユダヤ人モルデカイと王妃エステルがユダヤ人に命じたとおり、また、ユダヤ人が自分たちとその子孫のために断食と哀悼に関して定めたとおり、このプリムの両日を定まった時期に守るようにした。 』
詩篇 35:13
『しかし、私(ダビデ)は――、彼らの病のとき、私の着物は荒布だった。 私(ダビデ)は断食してたましいを悩ませ、私(ダビデ)の祈りは私(ダビデ)の胸を行き来していた。 』
詩篇 69:10
『私(ダビデ)が、断食して、わが身を泣き悲しむと、それが私(ダビデ)へのそしりとなりました。』
詩篇 109:24
『私(ダビデ)のひざは、断食のためによろけ、私(ダビデ)の肉は脂肪がなく、やせ衰えています。 』
【 5 】 神は、その御意にそぐわない形式的な断食を嫌われる
イザヤ 58: 3- 6
『 「なぜ、私たち(イザヤが見た幻のイスラエル人たち)が断食したのに、あなた(神)はご覧にならなかったのですか。 私たちが身を戒めたのに、どうしてそれを認めてくださらないのですか。」 見よ。 あなたがたは断食の日に自分の好むことをし、あなたがたの労働者をみな、圧迫する。 見よ。 あなたがたが断食をするのは、争いとけんかをするためであり、不法にこぶしを打ちつけるためだ。 あなたがたは今、断食をしているが、あなたがたの声はいと高き所に届かない。 わたし(神)の好む断食、人が身を戒める日は、このようなものだろうか。 葦のように頭を垂れ、荒布と灰を敷き広げることだけだろうか。 これを、あなたがたは断食と呼び、主に喜ばれる日と呼ぶのか。 わたし(神)の好む断食は、これではないか。 悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。 』
エレミヤ 14:12
『彼ら(イスラエルの民)が断食しても、わたし(神である主)は彼ら(イスラエルの民)の叫びを聞かない。 全焼のいけにえや、穀物のささげ物をささげても、わたし(神である主)はそれを受け入れない。 かえって、剣とききんと疫病で、彼ら(イスラエルの民)をことごとく絶ち滅ぼす。」 』
エレミヤ 36: 6
『だから、あなた(エレミヤの口述の筆記者バルク)が行って、主の宮で、断食の日に、あなた(バルク)が私(エレミヤ)の口述によって巻き物に書きしるした主のことばを、民の耳に読み聞かせ、また町々から来るユダ全体の耳にもそれを読み聞かせよ。 』
エレミヤ 36: 9
『ヨシヤの子、ユダの王エホヤキムの第五年、第九の月、エルサレムのすべての民と、ユダの町々からエルサレムに来ているすべての民に、主の前での断食が布告された。 』
ゼカリヤ 7:1- 11
『ダリヨス王の第四年の第九の月、すなわち、キスレウの月の四日に、ゼカリヤに主のことばがあった。 そのとき、ベテルは、サル・エツェルとレゲム・メレクおよびその従者たちを、主に願うために遣わし、 万軍の主の宮に仕える祭司たちと、預言者たちに尋ねさせた。 「私(ベテルの従者たち)が長年やってきたように、第五の月にも、断食をして泣かなければならないでしょうか。」 すると、私(ゼカリヤ)に次のような万軍の主のことばがあった。 「この国のすべての民と祭司たちに向かってこう言え。 この七十年の間、あなたがたが、第五の月と第七の月に断食して嘆いたとき、このわたし(万軍の主)のために断食したのか。 あなたがたが食べたり飲んだりするとき、食べるのも飲むのも、自分たちのためではなかったか。 エルサレムとその回りの町々に人が住み、平和であったとき、また、ネゲブや低地に人が住んでいたとき、主が先の預言者たちを通して告げられたのは、次のことではなかったか。」 ついで、ゼカリヤに次のような主のことばがあった。 万軍の主はこう仰せられる。 「正しいさばきを行ない、互いに誠実を尽くし、あわれみ合え。 やもめ、みなしご、在留異国人、貧しい者をしいたげるな。互いに心の中で悪をたくらむな。」 それなのに、彼らはこれを聞こうともせず、肩を怒らし、耳をふさいで聞き入れなかった。 』
【 6 】 主イエス・キリストの断食観
マタイ 4: 1-2
『さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。 そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。』
マタイ 6:16-18
『(イエスは弟子たちに言われた。) 断食するときには、偽善者たちのようにやつれた顔つきをしてはいけません。 彼ら(偽善者たち)は、断食していることが人に見えるようにと、その顔をやつすのです。まことに、あなたがた(弟子たち)に告げます。彼ら(偽善者たち)はすでに自分の報いを受け取っているのです。 しかし、あなたが断食するときには、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。 それは、断食していることが、人には見られないで、隠れた所におられるあなたの父(神)に見られるためです。 そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父(神)が報いてくださいます。』
マタイ 9:14-15
『するとまた、ヨハネの弟子たちが、イエスのところに来てこう言った。 「私たちとパリサイ人は断食するのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」 イエスは彼らに言われた。 「花婿につき添う友だちは、花婿がいっしょにいる間は、どうして悲しんだりできましょう。 しかし、花婿が取り去られる時が来ます。 そのときには断食します。』
マタイ 17:21
『 [ ただし、この種のもの(てんかんで苦しむ男の子に憑いた悪霊の追い出し)は、祈りと断食によらなければ出て行きません。]」 』
マルコ 2:18-20
『ヨハネの弟子たちとパリサイ人たちは断食をしていた。そして、イエスのもとに来て言った。「ヨハネの弟子たちやパリサイ人の弟子たちは断食するのに、あなたの弟子たちはなぜ断食しないのですか。」 イエスは彼らに言われた。「花婿が自分たちといっしょにいる間、花婿につき添う友だちが断食できるでしょうか。 花婿といっしょにいる時は、断食できないのです。 しかし、花婿が彼らから取り去られる時が来ます。その日には断食します。 』
マルコ 9:29
『すると、イエスは言われた。 「この種のもの(汚れた霊)は、祈り{と断食}によらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」 』
ルカ 2:37
『(女預言者のアンナは、) その後やもめになり、八十四歳になっていた。 そして宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていた。 』
ルカ 5:33-35
『彼らはイエスに言った。 「ヨハネの弟子たちは、よく断食をしており、祈りもしています。 また、パリサイ人の弟子たちも同じなのに、あなたの弟子たちは食べたり飲んだりしています。」 イエスは彼らに言われた。 「花婿がいっしょにいるのに、花婿につき添う友だちに断食させることが、あなたがたにできますか。 しかし、やがてその時が来て、花婿が取り去られたら、その日には彼らは断食します。」 』
ルカ 18:12
『私(パリサイ派のユダヤ人)は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』
使徒 13: 2-3
『彼ら(アンテオケ教会の預言者や教師たち)が主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたし(聖霊)のために聖別して、わたし(聖霊)が召した任務につかせなさい」と言われた。 そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたり(バルナバとサウロ)の上に手を置いてから、送り出した。』
使徒 14:23
『(パウロとバルナバは、) また、彼ら(弟子たち)のために教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈って後、彼ら(弟子たち)をその信じていた主にゆだねた。』
【 7 】 断食の医学的な効用
(1) 空腹感を克服した断食による健康管理
人や動物の空腹感は、そのエネルギー源であるブドウ糖(グルコース)の不足によって起きる。 具体的に言うと、お米などを食べて摂取した炭水化物は、小腸でブドウ糖(グルコース)に分解され、小腸から吸収され、体内での主要なエネルギー源になる。 特に脳のエネルギー源として多く使われる。 しかし、運動することによって体内の脂肪を燃焼させてブドウ糖(グルコース)を作り出すと、血糖値が元の値近くまで戻り、空腹感が減退する。 この空腹感の減退作用について野生動物を観察してみると、餌を探して運動することによって体内の脂肪を燃焼させてブドウ糖(グルコース)を作り出し、血糖値を元に戻し、空腹感を減退させているため、餌にありついた時に食べ過ぎることがない。 野生動物が、太らずに健康でいる理由は、餌となる動植物を求めて運動し続けているからであり、人に飼われたペット動物と違って、運動不足・過食・生活習慣病にならない。 また、予防医学においては、『空腹感は「食べろ!」という合図ではなく、「活動しろ!」という合図だ』と言われる。 逆に言えば、「空腹感を感じて、すぐに食べてしまうこと」や「朝昼晩の定時が来たから食べること」こそが、運動不足・過食・生活習慣病の原因なのだ。 空腹感をもたらすブドウ糖(グルコース)の不足と、体内脂肪の燃焼によるブドウ糖(グルコース)の回復を理解した上で、「一日一食」の軽い断食生活を送ったり、週に1日間の断食を行えば、運動不足・過食・生活習慣病に陥らず、頭が冴え、身体も軽く動き、思考・労働・創作・祈りなどの諸活動に最適な健康状態を作れる。
(2) 人にとって最も重要な睡眠欲と食欲
人の生理的欲求の重要度は、睡眠欲>食欲>性欲 の順序になる。 人は、2~3日間も眠らないでいると生理的な危機に陥るが、30~40日間の断食は可能であり、性欲を満たさなくとも生存できる。 人は、2日間眠らないと暗記力と計算力などの思考力を失い、この後に幻覚などを生ずる精神的危機に陥り、2~3週間眠らないと脳細胞の損傷が広がって死亡する。 人以外の動物も同様だ。 最新の脳生理学と脳神経学の研究成果によれば、『脳の重さは体重の2%しかないのに、カロリー(エネルギー)の4分の1を消費している。 このため、アミロイドベーターという有害なタンパク質の老廃物が脳内に溜まりやすい。 この老廃物を回収して血液中に排出する働きをするのが脳脊髄液(CFS)であるが、脳脊髄液(CFS)は、眠っている間しか働かない。 睡眠の必要性は、ここにある』 という。 このように、人は、食べないではいられるが、眠らずにはいられない。
ロシア連邦共和国のブリアート共和国バイカル湖畔にあるゴリアチンスク病院では、50年前から絶食療法(以下、「断食」を「絶食療法」と称する)を実施してきた。 アレルギー体質・喘息に苦しむ患者に対して、医師が説明を行ってから、10日~21日間にわたる絶食を指導する。 絶食の期間中、口にするのは水だけ。 3日ほどで空腹感は無くなるが、頭痛や倦怠感が生じるため、医師が適時に健康診断を行い、場合によっては絶食を中断することもある。
絶食療法は、1950年代のモスクワで精神病患者の治療法として取り入れられた。 この過程で高血圧・内臓疾患にも治療効果があることが判明した。 1970年代に絶食に関する大規模な研究が進み、『絶食することにより、体に大きなストレスが加わることで、人間本来が持つ免疫抵抗力や自然治癒力が高まる』ことが分かった。 この後、ぜん息の治療でも絶食が活用され、大きな治療効果を上げた。
ロシアでは絶食療法が医療の一部として認知されている。 また、ドイツでは国民の2割が絶食療法を経験している。 ドイツ各地の病院では医師の監督の下に3週間程度の絶食治療コースを提供している。 絶食により、肝臓の肥大や肝臓機能障害が回復した事例が多数、報告されている。
ロシアのブリアート共和国バイカル湖の近くの温泉地、ゴリアチンスク診療所では1995年以降、絶食療法が行われ、ロシア連邦共和国の保険が適用されている。
水だけで平均12日間から21日間の絶食が医師の監視下で行われる。 絶食2・3日目から持病用の薬の服用を止める。 15年間で1万人が絶食療法を受け、糖尿病・喘息・高血圧・リュウ-マチ・アレルギーなどの患者の3分の2の症状が消えた。
絶食を始めるとアシドーシス(体が酸性に傾く)が起きて、疲労感・吐き気・頭痛になるが、24時間(2日間)から36時間(2日間半)で治る。
肝臓のブドウ糖(グルコース)は1日で消費され、その代わりにタンパク質が分解されてブドウ糖(グルコース)を体に供給するようになる。 また、体脂肪は肝臓によってケトン体に変えられ、脳へと供給されるように代謝が変化する。
これらのことを発見したのは、今から60年ほど前、モスクワ第一医科大学 精神科のユーリ・ニコラエフ医師である。 発見の切っ掛けは、食事を拒絶する患者によってであった。 ユーリ・ニコラエフ医師によると、『試みとして、重度の精神疾患を持つ患者の本能にそって食事を強制することなく、何も食べさせないまま放置して、この患者の健康状態の変化を診断した。 絶食を続けた患者は、5日目にベットから起き上がり、10日目に自力で散歩を始め、15日目でジュースを飲み、これ以後、患者だったとは思えないほどの健康体になり、社会に適応して新しい人生を始めた』 という。
この患者の臨床を、その他の多くの患者に適用したところ、統合失調症・鬱病・恐怖症・強迫性障害などの精神疾患の多くに効果があるだけでなく、その他の慢性疾患にも大きな効果があることが判明した。 同時に、絶食がもたらす、尿・血液・ホルモン・脳波などの生化学的な変化に関する検査と研究も行われた。
モスクワ精神医学研究所のワレル・グルビッチ精神科医によると、『ユーリ・ニコラエフ医師は、約8千人の患者に絶食療法を行い、その70%が健康を回復し、6年後も47%が健康を保ち続け、また、社会に復帰して結婚した元患者もいた。 その他に高血圧・喘息・皮膚炎・関節炎が治るなど良好な結果が出た』という。
旧ソビエト連邦共和国政府 保健省は、この結果を信じられず、1973年に「絶食検証プロジェクト」を実施した。
軍医だったパブロフ生理学研究所 呼吸器科のアレクセイ・ココソフ教授と、ロシア医学アカデミー 胃腸科のワレリ・マスモフ教授が、この「絶食検証プロジェクト」に携わった。 そして、ユーリ・ニコラエフ医師の患者数千人を調べ、絶食療法が適している疾患と、そうでない疾患とを区別した結果、個別の疾患ごとに絶食療法の適否があることを発見した。 これは、以下のごとくである。
絶食療法に適合する疾患: 気管・心臓・血管・胃腸・内分泌・消化器・関節・皮膚などの疾患
絶食療法に不適合な疾患: ガン・結核・Ⅰ型糖尿病・慢性肝炎などの疾患
( 下記の動画43’以降に「ガンにも効く」との研究報告あり )
パブロフ生理学研究所 呼吸器科のアレクセイ・ココソフ教授によれば、『絶食によって起こるストレス状態が、日常の生活習慣のせいで眠ったままになっている自己調節力(自然治癒力)を高め、体の健康回復メカニズムを働かせる』という。 ( 続きは、下記の動画を視聴して下さい。)
■ 絶食療法の科学 2013年 1月21日 公開 ( 時間 48:57 )
http://www.youtube.com/watch?v=oA-eI2WQLRU
【 8 】 断食によって排泄される「宿便」とは何か?
断食開始後2~3日間もすれば、黒いタール状の、下水のような臭いのする、水っぽい便が出る。 これを一般的に宿便と呼んでいるが、『 宿便とは、長い間、排泄されないで腸の中にたまっていた便である』 と考えることは誤りだ。 つまり、『人間の腸には多数の襞(ひだ)があるので、その谷間に便が滞留しており、この滞留していた便が断食によって排泄される』 という考え方は間違っている。
なぜなら、内視鏡で腸内を観察しても腸壁にこびり付いた便を確認できないし、小腸の内壁の表面は、柔毛という無数の小突起でおおわれており、これを構成する細胞は、新たに増殖し供給される細胞によって約24時間で突起の頂上まで押し上げられ、頂上に達すると剥がれ落ちて排泄されてしまう。 また、大腸の腸壁も新しく増殖した細胞が次々に出現して古い細胞が剥がれ剥がれ落ちて排泄されてしまうのであり、小腸と大腸の腸壁に便が滞留する事はありえない。
断食中であっても、腸の上皮細胞の更新が起きているほか、粘液腺から分泌される粘液が常に腸管内に供給されており、腸内細菌は、これらを餌にして繁殖し続け、その一部は排泄される。
従って、断食によって排出される宿便とは、腸内粘液・消化液・腸から脱落した古い上皮細胞などを基質として増殖した腸内細菌そのものと考えられる。
【 9 】 断食とは、食べることを否定する宗教的な懺悔を通じて自己を聖別する行為
人が生きるためには、① 呼吸によって空気中の酸素を肺に取り込み、② 水道水などの真水を飲み、③ 地上の食物を食べて、生存に必要なカロリー(エネルギー)を摂取し、④ 脳の正常な機能を維持するために眠らなければならない。 つまり、物質的な肉体を持った人が地上で生きるためは、呼吸・飲食・睡眠 が絶対条件だ。
そして、人の食物は、植物・動物という生き物であるから、『人は、生き物を犠牲にして生きている』 と言える。 つまり、『人は、生き物を殺して食べざるを得ない』 のだ。 だから、人が生きること、即ち、食べることであり、他の生き物を犠牲にすること、である。
ちなみに、「生き物」を学術的に表現すると「生物」と言い換えられるが、目に見える植物・動物どころか、目に見えないウイルス・細菌さえも歴然とした生物だ。 そして、宇宙空間・月・火星・金星などに、これらの生物は何一つ発見されていない。 太陽系の8つの惑星と月を含む160以上の衛星の中で、生物が存在しているのは地球だけだ。 また、『聖書』 の中に『神は、地球以外の他の惑星にも生物を創造した』 と解釈しうる記述がない以上、地球外の生物は100% 存在しない。 だから、太陽系の中の地球は、多種多様な生物に満ち溢れた特別な惑星であり、人が何気なく食べている植物・動物は実に尊い生物だ。 しかも、最先端科学である遺伝子工学・分子生物学・量子力学をもってしても、生物の謎は尽きない。 例えば、生物の食物連鎖という生態系、生物の誕生・生存・増殖の方法などを研究すればするほど、「神の創造の御業」の不思議に驚くことになる。
このように尊い植物・動物という生き物を殺して食べざるを得ない人は、これらの犠牲死という恵みを得ることによってしか生きられない。 これを自覚することなく、植物動物・自然環境・宇宙気象・見えざる神に敬意をはらわず、食欲と貪欲に囚われた利己的な生活を送り続けることを悔い改めなければならない。(ヨエル 1:11- 20、マタイ 6:24- 26、その他)
従って、数日間から数週間にわたって食物を絶つ断食とは、自己の「生」を否定して自己の「死」を肯定する自己犠牲の精神に基づいた宗教的な懺悔の行為である。 つまり、自己の歩んできた「生」を顧(かえり)みて反省・否定し、人の生存できる自然環境を創造・維持・破壊してきた神に対する畏敬と感謝を表わし、罪-恐怖怯懦・無知迷信といった自己の否定的感情-を悔い改めて神に懺悔し、自己を聖別する宗教的な行為に他ならない。
断食は、長い歴史を持った宗教的な懺悔を通じて自己を聖別する行為だ。 そして、現代社会に至ってから断食の医学的な効用が発見され、ちまたの一部で、『断食は、美容や健康に良い』 と注目されるようになった。
ヨエル 1:11- 20 -『旧約聖書』 の小預言書-
『農夫たちよ。 恥を見よ。 ぶどう作りたちよ。 泣きわめけ。 小麦と大麦のために。 畑の刈り入れがなくなったからだ。 ぶどうの木は枯れ、いちじくの木はしおれ、ざくろ、なつめやし、りんご、あらゆる野の木々は枯れた。 人の子らから喜びが消えうせた。 祭司たちよ。荒布をまとって いたみ悲しめ。 祭壇に仕える者たちよ。 泣きわめけ。 神に仕える者たちよ。 宮に行き、荒布をまとって夜を過ごせ。 穀物のささげ物も注ぎのぶどう酒もあなたがた(ユダヤ人たち)の神の宮から退けられたからだ。 断食の布告をし、きよめの集会のふれを出せ。 長老たちとこの国に住むすべての者を、あなたがた(ユダヤ人たち)の神、主の宮に集め、主に向かって叫べ。 ああ、その日よ。主の日は近い。 全能者からの破壊のように、その日が来る。 私たち(ヨエルとユダヤ人たち)の目の前で食物が断たれたではないか。 私たちの神の宮から喜びも楽しみも消えうせたではないか。 穀物の種は土くれの下に干からび、倉は荒れすたれ、穴倉はこわされた。穀物がしなびたからだ。 ああ、なんと、家畜がうめいていることよ。 牛の群れはさまよう。 それに牧場がないからだ。 羊の群れも滅びる。 主よ。私(ヨエル)はあなたに呼び求めます。 火が荒野の牧草地を焼き尽くし、炎が野のすべての木をなめ尽くしました。 野の獣も、あなたにあえぎ求めています。 水の流れがかれ、火が荒野の牧草地を焼き尽くしたからです。』
マタイ 6:24- 26 -『新約聖書』 の山上の垂訓-
『だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。 一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。 あなたがた(弟子たち)は、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。 だから、わたし(イエス)はあなたがたに言います。 自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。 いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。 けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。 あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。』
『だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。 一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。 あなたがた(弟子たち)は、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。 だから、わたし(イエス)はあなたがたに言います。 自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。 いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。 けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。 あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。』
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