わたしたちは、どこから来て、どこへ行くのか? 『聖書はすべて、神の霊感による』(Ⅱテモテ3章16節)ものであり、 『ちり(肉体)はもとあった地(土)に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。』(伝道者12章7節) 『人は、肉体的には両親から生まれます。しかし、人は、霊的には御霊から生まれるのです。』 (ヨハネ3章6節) と書いてある。 わたしたちは、聖霊を受けることにより、『聖書』を正しく理解し、真理を知り、罪の奴隷から解放され、真の自由を得よう。
2015年12月26日土曜日
『 イルミナティ 2 』
【 1 】 イルミナティの凶悪犯罪を告発したクロチルデ・ベルソーネの伝記本
(1) クロチルデ・ベルソーネの伝記本の原本
Clotilde Bersone aka Sister Marie Amerie : L'ELUE DO DRAGON Originally Published in 1928 by Paul Boulin,Paris,France カトリック司祭 パウル・ブリン編著 『 クロチルデ・ベルソーネ 別名シスター・マリ・エメリー: 龍の選民 』(1928) パリ・ フランス
(2) イルミナティの最高幹部 クロチルデ・ベルソーネ
クロチルデ・ベルソーネ(別名シスター・マリ・エメリー)は、イタリヤ人の女性であり、悪魔サタン=ルシファーの意思を受信して伝達する女性霊媒師としてイルミナティの最高幹部であった。 彼女の伝記本 『 L'ELUE DO DRAGON 』(1928)は、1874(明治7)年に始まり、1886(明治19)年に終わるが、クロチルデが、この12年間(18歳頃~30歳頃)に体験したイルミナティの凶悪犯罪の実態を暴露した内部告発文書である。
(3) 悪魔に従うイルミナティの社会的影響力の拡張
A.クロチルデ・ベルソーネ
クロチルデ・ベルソーネ(洗礼名:シスター・マリ・エメリー)の出生地は不詳であるが、イタリヤ北部のミラノとヴェネツィアの中間地域にベルソーネ自治県が在るため、この周辺かもしれない。 「ミラノを南下した港湾都市のジェノヴァで母親に迎えられた」と記している。 また、生没年も不詳であるが、伝記内容から判断すると、18歳頃から30歳頃に体験したイルミナティの活動記録であるため、1856(安政3)年頃に生まれたと思われる。 そして、イルミナティは、「神」と崇める悪魔サタン=ルシファーの意思を受信して伝達するのに相応しい能力・血統・霊統を持った若い女性の霊媒を求めていた。
B.イルミナティの重要人物の活動期間
歴史的には、次のイルミナティの重要人物の活動期間と重なっており、悪魔サタン=ルシファーの邪悪な意思が、イルミナティの無意識を強力に突き動かしていた時代だった。
・ 「夜の妖精」クロチルデ・ベルソーネの活動期間 -------1874~1886
・ ヴァイスハウプトの後継者ジュゼッペ・マッツィーニの生没年- 1805~1872
・ 「黒い教皇」アルバート・パイク の生没年----------1809~1891
・ ドイツ帝国首相のオットー・フォン・ビスマルクの生没年 ---1815~1898
・ 神智学の創始者ヘレナ・P・ブラヴァツキー の生没年-----1831~1891
・ 第20代米国大統領のジェームズ・ガーフィールド の生没年 - 1831~1881
・ 黄金の夜明け団の ウィリアム・ウィン・ウェスコット の生没年 1848~1925
・ 米国支配の為の「D.C. 法」の成立(1871年2月21日)- 1871
・ イルミナティの「長期計画」の手紙(1871年8月15日)- 1871
・ イルミナティの政策を記した『シオン長老の議定書』の作成-- 1897
・ 国際共産主義運動に関する供述書『ラコフスキー調書』の作成- 1938
C.イルミナティの国際共産主義運動
トロッキストとして活躍したイルミナティのクリスチャン・G・ラコフスキー(1873~1941)は、ソ連のヨシフ・スターリン(1879~1953)に従う取調官に供述した『ラコフスキー調書』(1938)の中で、第二次世界大戦と国際共産主義運動を国際金融面から操作したイルミナティの指導者を「彼ら」と称して告白した。 本編を理解できれば、イルミナティの指導者の正体も理解できるだろう。 なお、クロチルデ・ベルソーネは、『ボルシェビキと呼ばれる寄宿舎学校で学んだ』 と記したが、イルミナティは、アダム・ヴァイスハウプト(1748~1830)の共産主義思想を『資本論』(刊行:1867~1894)で理論的に体系化したカール・マルクス(1818~1883)の「第一インターナショナル」(1864~1876)の時代から、共産主義政党を「ボルシェビキ」と称して政治活動を行い、学校教育を通じた革命要員の育成にも尽力した。 また、イルミナティが、ロシアの共産主義化を1871年以前に決定していた証拠がパイクの手紙にある。 但し、一般的に言われる「ボルシェビキ」とは、ロシア社会民主党の内部でウラジミル・レーニン(1870~1924)とユーリー・マルトフ(1873~1923)との路線対立から1903年に生まれた党派を指す。 「ボルシェビキ」を率いたレーニンが、1917年のロシア革命でソ連の創設者となった。 つまり、現代史におけるイルミナティは、マルクスの共産主義思想に基づき、ヴァイスハウプトの世界革命計画を推進してきた。
(4) ローマ・カトリック教会に秘蔵されていた クロチルデ・ベルソーネの元原稿
クロチルデ・ベルソーネ(別名シスター・マリ・エメリー)の元原稿は、イタリヤ語・フランス語・ドイツ語などの数カ国語で執筆され、ローマなど数カ所の修道院に極秘に保管されたが、ローマ・カトリック教会の司祭がイルミナティと一緒になって悪魔礼拝の儀式を執り行っていたことなど、ローマ・カトリック教会の邪悪な汚点が記され、登場する重要人物が生存していることなどの理由から長いこと出版されずに秘蔵されてきた。
(5) 1928(昭和3)年における元原稿の発見
1928(昭和3)年にフランスのイエズス会の神父 アラル・リシャールが、クロチルデの原稿を修道院で発見した。 この原稿に基づき、カトリック司祭 パウル・ブリンが、フランスで『 L'ELUE DO DRAGON: 龍の選民』(1928)を出版するや否や大反響を呼び、フランスの1920年代末期の反フリーメーソン運動に非常に大きな影響を与えた。
(6) 1930(昭和5)年のドイツ語版と、その後のナチス・ドイツによる発禁処分
1930(昭和5)年、ニュルンベルグの北東部に位置する小都市ヴァルドザッセンで、アルベルト・アンゲラーによる ドイツ語版が出版されたが、ナチス政権下の1933(昭和8)年に発禁処分となった。 つまり、 ヒトラーは、政治を含む現象世界の霊的な真理を暴露した文献を、ドイツ国民に秘匿して、その霊的な真理を独占する必要性を感じたのであろう。 また、ドイツ帝国(1871~1918)の首相 オットー・フォン・ビスマルク(1815~1898)が 陰謀まみれのイルミナティであったことを記録しているため、ヒトラーは、『かかる恥辱にまみれたドイツ民族史を断じて容認できない』 と感じたに違いない。 この後、第二次世界大戦の戦火の中で散逸した。
(7) 1985(昭和60)年のローマにおける『 L'ELUE DO DRAGON 』(1928)の発見
1985(昭和60)年にメキシコのフランシスコ会系修道院の指導司祭 ヨナス・ガッツェ神父が、ローマで『 L'ELUE DO DRAGON 』(1928)を発見して衝撃を受けた。 なぜなら、ヴァチカン市国=ローマ・カトリック教会の中からフリーメーソンを一掃する計画を持っていたヨハネ・パウロ一世(在位:1978年8月26日~9月28日)が、ローマ教皇の座に即位するや否や突然死(1978)した原因をめぐって、フリーメーソンによる毒殺説が広く囁かれていたからである。 だから、ヨナス・ガッツェ神父は、闘病生活をおしてまで命懸けの英訳を進め、米国人のフランシスコ会士 ブラザー・ビンセントに英訳原稿の出版を託して息を引き取った。 ブラザー・ビンセントは、独自のコメントと関連情報と共に、ヨナス・ガッツェ神父の英訳原稿を『 From A Nymph of Satan to a Bride of Christ: サタンの妖精からキリストの花嫁へ 』(1987)と題して出版した。
(8) 日本語版の 『 悪魔に愛された女 』(2000)の出版
日本語版のシスター・マリ・エメリー著 『 悪魔に愛された女 』(2000) 成甲書房 は、訳者の林陽氏が、『 From A Nymph of Satan to a Bride of Christ 』(1987)の中からクロチルデの伝記部分だけを翻訳したものであり、この要約文を『 イルミナティ 3 』 に掲載した。
★ 参照サイト(英語): http://www.biblebelievers.org.au/masonry3.htm
【 2 】 クロチルデ・ベルソーネの伝記本の概要
(1) クロチルデ・ベルソーネの生い立ち
クロチルデ・ベルソーネ(別名シスター・マリ・エメリー)は、イタリヤ貴族の家に生まれた。 母親は篤信のローマ・カトリック教徒で、父親は悪魔崇拝のフリーメーソン会員であった。 クロチルデが3歳の時に両親は離別し、共産主義者の寄宿学校に預けられた。 クロチルデは勉学にいそしみ、17歳で数カ国語をマスターして特待生となるほどの優れた頭脳を表した。 クロチルデの伝記本は、1874(明治7)年12月、フリーメーソンに従事していた父親の赴任地であるトルコのイスタンブールから始まる。 1874(明治7)年の時点でフリーメーソンのグランド・ロッジが、イスタンブールに在ったと分かる。
(2) イルミナティのリクルート方法
悪魔サタンル=シファーの耳目手足として国際謀略活動を行うイルミナティは、既存のイルミナティの子弟、または、イルミナティの知友と、その子弟の中から新しいイルミナティの候補者をリクルートする。 だから、イルミナティは、悪魔の啓示に基づき、フリーメーソンの父親を持つクロチルデの妖精のような美貌と優れた頭脳に白羽の矢を立てていた。 やがて、クロチルデは、イルミナティの母体であるフリーメーソンに入会させられてしまうが、その最初の契機は、イスタンブールのグランド・ロッジによって莫大な借金を計画的に負わされた父親に呼び出されたことに始まった。 クロチルデは、父親と一緒に謎めいた悪魔崇拝を行うフリーメーソンのグランド・ロッジの壮麗な広間を見学してから、秘密の地下室で行われた殺人儀式の痕跡を目撃して気絶した。 しかし、父親の生死に関わるフリーメーソンの「死の誓約」などを考慮した挙句、フリーメーソンに入会することを決意した。
(3) イルミナティが七頭龍(ヒュドラ)と呼ぶ悪魔サタン=ルシファーの実体であるベルゼブブ
クロチルデは、イルミナティが七頭龍(ヒュドラ)と呼ぶ悪魔サタン=ルシファーの実体であるベルゼブブの意思を告げ知らせる霊媒役である「夜の妖精」の地位に就任するべく宿命づけられてしまう。 クロチルデは、イルミナティの3人目の女性霊媒師になったが、最初の2人は悪魔の霊媒であることに、その心身が耐えられず、イルミナティの秘密厳守のために殺害された。 なお、クロチルデがフリーメーソンに入会する約100年前にウィーンで活躍した音楽家のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~1791)は、フランス革命(1789)の時代を生きたが、フリーメーソンのイニシエーション(秘儀参入)をテーマとしたオペラ 『魔笛』(1791)の中に「夜の女王」という人物を登場させている。 つまり、フランス革命(1789)の時代からイルミナティの最高幹部の中に悪魔の意思を受信して伝達する女性霊媒師がいたのであり、クロチルデの伝記本にも、1人目の「夜の妖精」の個人情報がある。 ちなみに、35歳のモーツァルトは、『魔笛』(1791)を公式発表した直後に、『フリーメーソンによって毒殺された』 と伝わる。
(4) イルミナティのイニシエーション(秘儀参入)である殺人儀式
クロチルデは、パリにある「グランド オリエント」(大東社)で、イルミナティのイニシエーションを受けた。 これは、殺人儀式であったので非常に困惑したが、自分が殺される状況にあるため、やむを得ず、「教皇人形」の中にいる人を短剣で刺し殺した。 この後、イルミナティの伝令役として欧州各国を巡る任務をこなし、最終的に悪魔の意思を受信して伝達する霊媒役 「夜の妖精」の最高位に到達した。 そして、「七頭龍」(ヒュドラ)の恐るべき心霊力を実際に見聞し、また、その心霊力によってクロチルデ自身も空中浮揚その他の想像を絶する超自然現象を体験した。 しかも、『自分の人生を凶悪な政治犯罪に巻き込んで破壊したイルミナティに復讐を果たすこと』 に生きる希望を見出し、「夜の妖精」として「七頭龍」(ヒュドラ)の権威を体現し始めると、邪悪なイルミナティの男たちに死をもたらし、復讐を果たした。
(5) 悪魔の心霊力に従うイルミナティ同士の殺し合いからの脱出
クロチルデは、悪魔の心霊力に従うイルミナティ内部の殺伐とした権力闘争に敗れ、「夜の妖精」の地位を失い、フリーメーソンの経営する高級売春宿で政府高官を相手にする高級娼婦にされた。 卑屈な1年間を過ごした後、イルミナティから別の指令が来たが、この指令に従う姿勢を示しながら、列車移動中に途中下車してローマ・カトリック教会の修道院に避難し、イルミナティの魔の手を脱け出した。 なお、クロチルデの別名のシスター・マリ・エメリーとは、修道院生活に入ってからの洗礼名だ。 クロチルデの伝記本は、修道院の中で書かれ、1886(明治19)年6月1日付で終わっている。 その最後の悲哀に満ちた言葉は、次のものだ。 『 わたしを・・・キリストの最も卑しい花嫁へと変えて下さいますように! 』
(6) 霊的なエピソード(逸話)
クロチルデの伝記本の脱稿から約5ヶ月の後に、ローマ神話における自由の女神「リベルタス」の立像が完成し、その除幕式が、米国のニューヨーク港に浮かぶリバティ島で1886年10月28日に盛大に行われた。 米国の自由の女神像は、米国独立宣言100周年(1876年)を記念して、フランスのフリーメーソンから米国のフリーメーソンに寄贈された巨大な彫像である。 だから、米仏両国のフリーメーソンの友好親善と暴力的な革命精神を表現した全長93mの、右手に灯火を高く掲げた女神像は、ラテン語の「ルクス・フェルレ」、即ち、「光を持ち運ぶ者」を意味する悪魔の「ルシファー」を秘密裡に象徴した。 しかし、隠されてきたイルミナティの歴史を知る21世紀の現代人からすれば、皮肉なことに、『米国の自由の女神像は、悪魔サタン=ルシファーに従うイルミナティの凶悪犯罪を内部告発した元「夜の妖精」にして自由の女闘士クロチルデ・ベルソーネの象徴だ』と想える。
公開 2015(平成27)年12月26日(土)06:12
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(クリシュナの富と名声のカルト)
返信削除あなたの人生を変えることは決して簡単ではなく、実際にはそれはまったく苦痛ですが、年々一箇所で自分自身を見ることほど苦痛なことはありません。大きな進歩がなければ、本当に自分の責任を負い、前進に向けて一歩。あなたはあなたの人生をコントロールすることができるでしょう。そして、私はあなたの人生が今日よりも短期間でもっと違って見えることを保証します。
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